心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

許せないのは尊厳を傷つけられたから

 

 

 

昔の日記から。

 

 

 

*  〜  *  〜  *

 

 

 

「お母さんを絶対に許さない。

終わりになんかしない。

ずっと苦しみ続けるがいい。」

という私がいる。

 

それだけ私が苦しかった、痛かった、

傷ついた、ということ。

 

私は、許したくない私に寄り添って

「許したくないんだね。辛かったね。

今までよくがんばって生きてきたね。」

と声をかける。

 

私の「許したくない」を抱きしめる。

 

 

 

 

 

 

母を許せないその悔しさは

私の尊厳を傷つけられたから。

 

その憎しみは、もしかしたら

生まれるもっと前から

握りしめているのかもしれない。

 

私の中にある恨み根性。

 

 

 

でも、私も

自分自身に同じことをしてきた。

 

言いたいことは無視して

否定して、罵って

尊重せずに軽く扱って

粗末に扱ってきた。

 

そうされてきた私は言いたかったのだ。

 

 

「私は人間だ。私は尊い存在だ。

私の尊厳を取り戻したい。

私は素晴らしい。私は自由だ。

私の存在を忘れるな。」

 

 

 

今こそ、この認識を受け入れる時だ。

 

私が自分をどう扱おうと

人からどう扱われようと

私の価値は始めから変わらない。

 

私は、もう自分の価値を認める。

自分の尊さを認識して、尊厳を守る。

そのことをいつでも忘れない。

 

 

 

そして、自分自身や母に対する

「許さない」を手放す。

 

 

 

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ロープでキツくぐるぐる巻きになってる自分

 

 

 

昔の日記から。

 

 

 

*  〜  *  〜  *

 

 

 

私の言いたいこと。

私の腹の底から湧き上がってくる思い。

 

 

 

監視されたくない。

支配されたくない。

縛られたくない。

操作されたくない。

口出しされたくない。

妨害されたくない。

邪魔されたくない。

好きにしたい。

自由にしたい。

解放されたい。

 

 

 

 

ある時、私は夢を見た。

 

夢の中で、私は全身

包帯でぐるぐる巻きになっていて

その包帯がなぜか徐々に締まってくる。

 

あれ?締まってくる。どうして?と

戸惑っていると、包帯は更に強く

呼吸ができなくなるくらいキツくなってきた。

 

私は、このままでは死んでしまうと怖くなり

「誰かー!助けてー!誰かー!」と

大声で助けを呼んだ。

 

でも、助けは来ない。誰もいない。

 

私はすごく苦しくて

身動きできないまま絶望しているが

それでも包帯は容赦なく締まってくる。

 

「もうダメだ…私は死んでしまう」

 

そう思いながらも、心のどこかで

「この包帯、本当は

自分で緩められるんだよなー」と

わかっている。

 

夢の中の世界には他に人はいなくて

「この包帯を緩められるのは

自分だけなんだよなー」ともわかっている。

 

そんな夢だった。

 

 

 

 

 

夢の中では包帯だったけど、今の私は

ロープでぐるぐる巻きに縛られて

身動きが取れなくなっている私の魂が

「もう限界!」とばかりに暴れているのだ。

 

「ロープがキツくて苦しい」

と言っている。

 

いい加減にして!

もう解放されたい!

もう解放されたい!

 

 

 

その言葉は私に届き

私は、自分の今の状況を理解した。

 

 

 

ぐるぐる巻きにしたロープは

始めは母が巻き、次に世間が巻き

最後は自分自身で巻いた。

 

 

 

夢の中で悟ったように

私は、自分をキツく縛っている

ぐるぐるに巻かれたロープを

自分で緩めることができる。

 

キツくぐるぐる巻きにしたのは

自分自身だからだ。

 

人が私をキツくぐるぐる巻きにするのを

許したのは自分自身だからだ。

 

 

 

だから、自分だけが

そのロープを緩めることができる。

 

自分がロープを解いて

「さあ、自由にしていいよ」と

自分を許してあげればいい。

 

「好きにしていいよ」と

解放してあげればいい。

 

 

 

自分のことを助けられるのは

自分だけなのだ。

 

 

 

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否定の猛毒は受け取らない

 

 

 

昔の日記から。

 

 

 

*  〜  *  〜  *

 

 

 

先祖代々受け継いできた

否定エネルギー、ねば、べきエネルギー。

 

母から与えられる

否定エネルギー、ねば、べきエネルギー。

 

私の中に溜まっている

否定エネルギー、ねば、べきエネルギー。

 

 

 

私は、これらのエネルギーを手放し

もう金輪際受け取らない。

 

「怠け者」「母親失格」「グズ」

「あんたおかしい」「こうすべきだ」

「これが主婦の役目だ」「これが常識だ」

「こうじゃなきゃだめだ」

「そんなの変だ」などなど。

 

こういう否定の猛毒は、もう受け取らない。

 

 

 

 

私が苦しんでいるから。

私が助けてと言っているから。

 

私が私を守る。

私が私を助けて

私が私を愛する。

 

 

 

私は、ちゃんとやっているよ。

家族と楽しく暮らして

家族に愛と優しさをあげているよ。

 

私は、私にできることをやっている。

私は、ベストを尽くしている。

 

毎日毎日、がんばっている。

自分と格闘して足掻いている。

意識を磨いている。

一生懸命生きている。

 

 

 

こんな私に、もう

否定エネルギー、ねば、べきエネルギーは

いらない。

 

受け取らない。

 

それは、私のものじゃない。

私に相応しくない。

 

だから、受け取らなくていいのだ。

 

誰かが私に

それらのエネルギーを差し向けてきても

「それは私には必要ないからお返しします」

と、跳ね返していいのだ。

 

 

 

そうして、私は、私を守る。

それが、私にとっては自然なことだ。

 

 

 

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負の連鎖を癒す

 

 

 

昔の日記から。

 

 

 

*  〜  *  〜  *

 

 

 

私の目の前に

頑なに自分を変えようとしない人がいる。

 

その人が私を映した鏡だとしたら

私に対するメッセージはなんだろう?

 

「いつまで同じこと言ってるの?

自分が変われば心穏やかな世界になるのに。

そのままでいいの?

自分を変えてみたらどう?」

という感じだろうか。

 

 

 

 

 

私は、母を恨み、憎み

ずっと同じことを言い続けている。

 

「お母さんに傷つけられた。

だから生きづらい人生になった。

私が辛いのはお母さんのせいだ。」

 

 

 

これを撤回するつもりはないし

そのまま尊重するけれども

これを言い続けている私は幸せだろうか?

 

もし、私が変わることで

私が心穏やかに幸せになれるのなら

もう手放してもいいのではないか?

 

それが、自分のためなのではないか?

 

 

 

 

 

私は、いつまでも頑なに

同じことを言うのはやめて

変わりたい。

 

 

 

変わるためには

視点を変えなければならない。

 

被害者、加害者のレベルにいると

今までと同じで、なかなか変われない。

 

だから自分の視点を

「傷つけられた」からぐんと上げる。

 

思い切って視点を上げ

上から見るように高い視点を持つと決める。

自分のことも、母のことも客観的に見る。

 

 

 

私は母に傷つけられ

母は祖母に傷つけられ

祖母は継母に傷つけられ

連なっている。

 

私、母、祖母、その先のご先祖さまは

「愛がない」を経験して

「愛がない」を次に伝え、連なっている。

 

私たちは「愛がない」を

共に学んだチームであり、仲間である。

 

 

だから、今度は「愛がある」を

共に学んでいくのだ。

 

私だけが幸せになるのではなく

連なっている仲間全体、みんなで

共に幸せになる。

 

 

 

「愛がない」を経験したからこそ

ハイコントラストで

「愛がある」がより際立つ。

 

「愛がある」をより深く体験し、実感し、

学ぶことができる。

 

それは

素晴らしい経験となるだろう。

 

 

 

私は、自分を深く愛し

それを母へ、祖母へ、ご先祖さまへと

繋げていきたい。

 

私が自分を深く愛することで

負の連鎖を遡って

癒していけるのではないかと思っている。

 

負の連鎖を断ち切るだけではなく

負の連鎖を癒していくのだ。

 

 

 

それが、私の進む方向だ。

 

 

 

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傲慢な人

 

 

 

思い返すと

昔、傲慢な人が周りにいました。

 

 

 

当時、お付き合いのあったママ友や

家に出入りしていたペットシッターさんなど。

この人たちは、本当に傲慢な人たちでした。

 

この人たちと接するたびに

モヤモヤしていたのを思い出します。

 

どんなだったかというと

自分だけが正しい、自分こそが正義、

他の人は無知で間違えている、

知らないだろうから、この私が教えてあげる、

あなたを正してあげる、という

自分を一段上に置いて、人を見下す在り方。

 

人を尊重したり、

人から学ぶということはありません。

 

 

 

そんな人と接するたびに

不快になっていたのですが

そういう人が身近にいたということは

きっと私も同じだったのです。

 

私も、自分を知らない頃は

その人たちと同じように

傲慢だったろうと思います。

 

 

 

でも、本当はそんな傲慢な自分だって

たくさん間違えるし

知らないこといっぱいあるし

人に迷惑もかけるし

闇や欠点がいっぱいある

エゴにまみれた人間なのです。

 

周りのエゴ丸出しの人と大差ないのです。

 

 

 

そのことを知ると

人に偉そうな態度は取れなくなり

謙虚になります。

 

謙虚とは「自分を偉いものと思わず

素直に他に学ぶ気持ちがあること」。

 

 

 

人は、真の自分を知れば知るほど

謙虚になるものだと思いました。

 

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とは

本当にそうだなぁとしみじみ思います。

 

 

 

だから、偉そうにしている人は

本当の自分を知らないのです。

 

ものごとがよく見え

自分のことがよく見えるようになると

人は、他者や出来事に寛容になり

豊かさを知り、感謝を抱くものです。

 

 

 

昔の私も、ママ友も、ペットシッター

そのことを知らなかったんだな、と

思いました。

 

 

 

そんな未熟な過去の自分も

歩いてきた道のりを振り返ると

微笑ましくほっこりします。

 

人は成長するものですね。

 

 

 

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すぐに気分が下がる

 

 

 

毒親育ちでアダルトチルドレンの私は

何かというと気分が下がり気味になります。

 

 

 

もともと自分に自信がなく

自分が「できる」とも思えないし

実際とびきり何かが得意というわけでもなく

根底に「どうせ私にはできない」という

マインドを握りしめていました。

 

そのマインドでいると

自分の中にエネルギーが湧かないので

何かやろうとしてもうまくいかず

結果「ほら、私にはできない」と

そのマインドを強化してしまうのでした。

 

 

 

自分の中に、やる気も元気も湧かず

そんな状態だから状況も良くならず

「私にはできない」マインドから

長年這い出せないでいました。

 

やろうと思うことがうまくいかない、

自分のことを自分で決められない、

家事も育児も中途半端、など

私はすぐに「できない」と自分を悲観して

「私はダメだ」と否定していました。

 

 

 

 

 

でも、本当は

これが真実なのではありません。

 

私が、長年いる慣れ親しんだ場所というだけ。

長年、この回路にいるだけなのです。

 

自分はダメ、自分はできない、と思い込んで

ずっと、そこに居続けているだけなのです。

 

 

 

 

「そうと気づいたら、今から変えよう」

と、私は思いました。

 

 

 

そうは言っても

慣れ親しんでいるので

すぐに悲観や否定がやってきます。

 

すぐに私の気分は下がります。

 

 

そんな時に、自分が

またお馴染みの気分になってるよ!

と気づいたら、まずは

自分に訪れた悲観や否定を

ただ、そのまま眺めてみます。

 

「うん、いつものやつだね。

悲観してるね。否定してるんだね。

そんな気分なんだね。」と

そのまま眺めています。

 

そして、充分に眺めてみたら

今度は「で、本当は?」と

自分に問うのです。

 

 

 

自分が思い込んでいる「できない」「ダメだ」

は、妄想であって真実ではありません。

だから、本当はどうなんだろう?と

フラットに、客観的に

自分を観る練習をします。

 

 

 

今いる世界は、全部自分が創っているのに

やりたいことができないなんてあり得ません。

 

できないのは、自分が「できない」と

思っているからです。

自分に自信がないからです。

 

自分がそう思っているから

思った通りの世界が目の前に広がっています。

 

 

 

だから、うまくいってない時こそ

自分がいい気分でいることが大切なのです。

 

ワクワク、楽しく、いい気分じゃないと

答えが受け取れません。

良いアイデアが浮かびません。

ポジティブに考えられません。

 

だから、気分を変えて

楽しいことをするといいのです。

 

そして、必ず自分を褒めること。

地道にがんばっててえらいね、

いろいろ考えててえらいね、

努力しててよくやってるね、と。

 

 

 

自分にいつでもやってくる悲観や否定は

真実ではなく、妄想で

そう思っているから実際にそうなるのです。

 

で、実際にそうなるから

「ほら、やっぱり!」と妄想を強化して

永遠に悲観、否定回路をぐるぐるし続けます。

 

 

 

なので、同じところをぐるぐるしてると

気づいたら、「この回路から抜け出す!」と

意図することが大切です。

 

今までと違う新たな回路を作るのです。

 

それが「で、本当は?」という

フラットな視点。

「気分良くいよう」という心構え。

「自分はよくがんばってる」という

愛ある目線。

 

自分ダメ→自分よくやってる

自分できない→本当に?

下がり気分→いい気分に

 

これらのことを自分で変えていき

今までと違う反応、違う考え方をすれば

当然、それまでのぐるぐる回路から

抜け出すことができます。

 

今まで通り、悲観、否定にどっぷり浸かって

下がった気分のままでいれば

そのままぐるぐる回路に居続けます。

 

そこから抜け出すことは自分の意図次第、

自分次第なのです。

 

 

 

こうして、自分を褒めたり

自分がいい気分になるようにすることは

自分を救うことだと思います。

 

とにかく、下がった気分のままでいては

ものごともうまくいかず

幸せにもなれないのですから。

 

 

 

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完璧に美しい世界

 

 

 

今日、リビングのソファに座っている時

「今、私は完璧に幸せだ。

完璧にすべてがある世界にいる。」

と思いました。

 

 

 

静かな午前中のお部屋。

ソファに座ると

窓からは青空が見えます。

 

陽の光が部屋に差し込み

ベランダにはローズマリー

カラミンサの白い小花が

風に揺れているのが見えます。

 

虫の音が聞こえ

鳥のさえずりが聞こえます。

 

開け放した窓から外の柔らかな風が

部屋の中を通り抜けていきます。

猫が気持ち良さそうに寝ています。

 

私は、穏やかな平和の中にいます。

 

 

 

 

今日という時間を好きに使うことができ

私は、どこまでも自由です。

 

何をするのか、選ぶのは私。

選択権は私にあります。

 

私が、自分の人生を創っていくのです。

 

 

 

 

 

今、私は、完璧に美しい世界にいます。

美しいものをたくさんもらっています。

 

 

 

 

 

心をオープンにするとは

自分の周りにあるすべてのもの、人を

喜んで、感謝して、愛すること。

 

ここにいてくれてありがとう

と、喜んで、嬉しいと思うこと。

 

 

 

そう思えているなら

私は、もう幸せの中にいます。

 

 

 

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