心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

怒りを溜めると人から怒られる

自分の中に怒りを溜めると

腹立たしい出来事によく遭うようになります。

 

それと似たような現象で

「怒っている人によく会う」

というのもあります。

 

 

 

 

道端でケンカしてる人

一人で文句言ってる人

電車の中で怒り出す人、など。

 

中でも一番嫌なのが

こちらに怒りをぶつけてくる人です。

 

怒りの原因は、ほんの些細なことや

ほとんど言いがかりのようなものばかり。

 

前を歩いていただけ、とか

通りすがっただけ、などです。

 

相手にとっては

何か気に触ることがあったのでしょう。

突然怒鳴られたり、舌打ちされたり

文句言われたりして

とにかく怒りをぶつけられます。

 

 

 

ただでさえ、こちらも

無意識とはいえ怒りを溜めている身です。

この時の不快感といったらありません。

 

八つ当たりの対象になっているだけなので

理不尽感が半端ないし

怒りで応戦したいけれど

「いい人」なのでそれもできない。

とにかく気分悪く、腹が立って

最後は悲しくなってしまいます。

 

人から怒りをぶつけられるというのは

理由なんてどうであれ

それだけで傷つく体験です。

 

傷ついた時は

リアルに胸のあたりが痛くなります。

本当に嫌な、できれば避けたい体験です。

 

 

 

 

でも、これも自分自身が自分の中に

怒りを溜めているから起こる現象なのです。

 

 

 

怒る人たちが自分の目の前に現れて

「自分の中にも怒りがある」

と気づくためです。

 

目の前の怒る人たちは

実は自分自身を映した姿なのです。

 

なので、自分に対してでも

自分に対してじゃなくても

怒っている人を目にしたら

立ち止まって自分と向き合う時です。

 

「何か怒ってることあるんじゃない?」

と自分に問いかけてみます。

 

それで、自分の怒りを認めて

しっかりと感じてあげると

怒る人たちは現れなくなります。

 

おもしろいくらいに

ぱったりと現れなくなります。

 

 

 

 

このことに気づく前

怒りを溜め込んでいた私は

それはそれはよく嫌な思いをしました。

 

道を歩いているだけで

よくいろんな人から怒られたものです。

 

怒鳴り散らしながら闊歩するおばあちゃんや

道端で罵り合うおじさんなどにも

よく会いました。

 

だから私は外を歩くのが怖くて

人の怒りをかわないように

周りをキョロキョロしながら歩いてました。

 

世の中は怖いし、嫌な人だらけだ

この世は嫌なところだ、と思っていました。

 

でも、どんなに私が

人の怒りをかわないように気をつけても

怒っている人は現れ続けました。

 

 

 

 

 

転機になったのは、やはり

自分と向き合うことを始めたことです。

 

自分の心の中を見つめ

自分がどれほど怒っているのか

言いたいことは何なのか

少しずつ掘っていき、わかってあげました。

 

「ああ、そうか、そうだったんだね。

すごく嫌だったね。怒っているね」

と自分に寄り添い、わかってあげると

気づいたら

怒る人は現れなくなっていたのです。

 

それで「ああ、あの人たちは

このことを教えてくれたんだな」

とわかったのです。

 

 

 

 

今でも、たまに怒っている人に遭遇すると

自分を振り返ります。

すると、例外なく自分の中に怒りがあります。

 

なので、今では周りの人や世界は

自分の心を映すバロメーターとして

活用しています。

とてもわかりやすく便利です。

 

 

 

 

目の前の怒る人たちは

「あなたの中に怒りがあるよ。

感じて流してあげてね」と

教えてくれた存在だったのです。

 

そこまで腑に落ちると

傷ついたり、腹が立ったりした思いも

優しく流れていきます。

 

 

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