心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

一回失ってみるといい

よく、感謝しましょうと言われますが

そう思おうとしても

なかなか難しいことかもしれません。

 

けれど、一回失ってみる

あるいは失った想像をしてみると

感謝は自然と湧いてくるものです。

 

 

 

 

 

私には子どもが二人いますが

二人共に発達障害があり

二人共、中学時代は不登校を経験しています。

 

上の子の不登校

私にとって初めての経験だったので

心理的にきつく感じられました。

 

子どもが元気をなくして家から出られず

じっと寝てばかりいる。

それが心配で、不安で、悲しくて

私もまるで出口のないトンネルの中に

いるような気分でした。

 

 

 

そんな中、思い出したことがあります。

 

そういえば

私は、まだ子どもが学校に通っていた頃

子どもの登校に合わせて

早起きすることをしんどいと思っていた。

毎日お弁当作るのも

めんどくさいと思っていた。

部活でドロドロになる体操服を洗うのも

大変だと思っていた。

私は、日々不満に思っていたのでした。

 

でも、子どもが学校に行けなくなって

それらの日々を失ってみて、初めて

それらがとてもありがたいことだった

と気づいたのです。

 

子どもが、元気に外で活動してくれるから

お弁当が必要だし、体操服は汚れるのです。

私が朝起きて、お弁当を作って

体操服を洗うことができるのは

子どもが元気だからなのです。

 

それができるって、本当は

すごく嬉しいことだった。

すごくありがたいことだったのです。

 

私は、子どもが不登校の間

ドロドロの体操服を洗える人が

本当に羨ましかったです。

 

 

 

でも、そこでまた、ふと思いました。

 

もしかして、子どもを亡くした人からしたら

今の私でも羨ましいと思うかもしれない、と。

 

子どもが生きている、顔が見られる

一緒にいられる、まだ未来がある。

これは、かけがえのないことなのではないか?

 

 

 

 

 

 

よく、人は失ってみて初めて

そのものの大切さに気づくと言われますが

本当にそうだと思います。

 

それは、すべてにおいてそうで

水、空気、資源、環境、日常、健康

それぞれの物、食べ物、家、家族、命など

私たちは、なくなったら困るもの

かけがえのないものに囲まれているのです。

 

そう考えると、それらを手にしている今

感謝しかありません。

 

家族に「おかえり」と言えるありがたさ

温かいお風呂のありがたさ

おいしい食事のありがたさ

温かい布団のありがたさ

好きなものを楽しめるありがたさ

一緒にいられるありがたさ

 

こうして、たくさんのものを手にしている今

なんて豊かなんだろう、

なんて幸せなんだろう、と思います。

 

 

 

 

 

 

中学時代、不登校だった上の子は

この春、大学を卒業しましたが

就職ができず、家にいます。

 

この先のことは何も決まっていないし

どうなるかもわからないのですが

私は、心配しすぎたり、焦ったり

せっついたりしないで

一緒にいられる今の時間を喜び

楽しみたいと思っています。

 

この子には限りませんが

どうせずっと一緒になんていられないのです。

 

どちらかが死んだらお別れです。

別れは必ず来ます。

失う時は必ず来るのです。

 

だから

一緒にいられる今は貴重なありがたい時間。

それを忘れないで、喜んでいたいと思います。

 

 

f:id:miiko-3:20210406190752j:image