心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

自分にバツをつけたのは自分

誘導されて自分の心の奥底に

入っていく瞑想をすると

よく「小さなわたし」に会います。

 

 

 

 

一番はじめに「小さなわたし」を見た時

小さなわたしは5歳くらいで

赤いワンピースを着ていました。

 

その5歳の女の子が

なぜ私だとわかるのかわかりませんが

なんとなく「私だ」とわかりました。

 

 

 

 

赤いワンピースを着た小さなわたしは

暗く無表情で、背中に何か付けていました。

 

よく見てみると、小さなわたしの背中には

墨で大きくバツが書いてある紙が

貼られていたのでした。

 

それはそれは大きなバツでした。

 

大きなバツを付けられていても

小さなわたしは嫌がるでもなく

反抗するでもなく、泣くでもなく

ただ、それを受け入れているようでした。

 

「わたしはバツなんだな」と無表情に

無気力に、でも少し悲しそうに

受け入れているように見えました。

 

 

 

 

 

 

私は、そのバツを付けたのは私だ!

と直感的に思いました。

 

小さい頃、母からいつもガミガミ叱られて

人格を否定するような酷い言葉も吐かれて

傷ついていたので、それまで

「母が私にバツを付けた」と思っていました。

 

私が自己否定するのは

母が私を否定したからだ!と思っていました。

 

 

 

 

確かに母に否定されて傷ついた時に

「自分はダメだ。バツだ」と思いました。

 

でも、心の中の小さなわたしに

大きくバツを書いて背中に貼ったのは

私なのです。

「いいや、私はダメじゃない」と

突っぱねることもできるのに

最後の最後で私はダメだと

判断を下したのは私なのです。

 

 

 

 

私に「あなたはバツ」と判断されて

大きくバツを付けられて元気を失い

悲しそうに佇む小さなわたしを見て

私は胸が締め付けられるようでした。

 

せっかくかわいい赤いワンピースを

着ているのに、紙に書いた大きなバツ

背中に貼っていなきゃいけないなんて

どれだけ嫌だったでしょう。

悲しかったでしょう。

 

私は小さなわたしに

バツなんて付けてごめんね。

あなたは悪くないのに

バツなんて付けて本当にごめんね」

と謝りました。

 

なんだか悲しくて涙が流れました。

 

私は、小さなわたしを抱きしめましたが

小さなわたしは無表情のままでした。

 

 

 

 

 

 

それから、何度も

心の奥底に入っていくと

小さなわたしに会います。

 

始め、謝っても、抱きしめても

無表情だった小さなわたしですが

何度も会って優しく抱きしめ続けたら

徐々に表情がゆるみ、笑顔が見え始め

最後にはリラックスして

私から離れて遊ぶようになりました。

 

それは、無邪気な子どもらしく

「やっと子どもらしく

いられるようになったね」

と私は嬉しくなりました。

 

 

 

 

 

 

私に「あなたはバツ!」と決められたら

それが悲しかったとしても

受け入れるしかない

真の自分(小さなわたし)は

なんて切ないのでしょう。

 

こんなふうに

自分で自分を傷つけているということが

たくさんあるのかもしれません。

 

自分を傷つけられるのは

本当は、自分だけなのです。

 

 

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