心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

「ねば、べき」は後回しにする

アダルトチルドレンあるあるかもしれませんが

私は以前心の中に、自分を責め、急かし、縛る

敵を住まわせていました。

 

 

 

その敵は、私の心の中にいるので

24時間休みなく

「休むな!怠けるな!」

「もっとがんばれ!」

「もっと早く!」

「だからおまえはダメなんだ!」

「おまえは本当に使えない!」

などと私を責め続けました。

 

 

 

中でも、この敵がよく言うのが

「○○せねばならない」「○○すべき」

という言葉。

 

主婦なら食事は

きちんと作らなければならない。

妻なら夫のために尽くすべきだ。

母親なら子どもを優先すべきだ。

と、こんな感じに。

 

 

 

 

私は長いこと

この「ねば、べき」に苦しんできました。

私の中には無数の

「ねば、べき」がありました。

 

私は「ねば、べき」に支配されていて

「ねば、べき」を破るなんて

考えたこともありませんでした。

 

 

 

私の一日は「ねば、べき」を

こなすことで終わります。

一日が「あれやらなくちゃ」

「これやらなくちゃ」

「あれやっとかなくちゃ」でいっぱいです。

 

 

 

 

「ねば、べき」という

「自分がやりたいわけじゃないけど

やらなくちゃいけないからやる」

ということをこなすのは

想像以上にエネルギーを使います。

心が楽しくないのでぐったりと疲れます。

 

すると、やっと自分の時間だ!という時に

エネルギーが下がっていて

楽しめなくなるのです。

 

結局、一日は楽しくないまま終わります。

 

 

 

 

これをずっと続けていると

いつかエネルギーが完全に枯渇して

死人のように生きることになります。

 

私は、もう半分死人でした。

 

 

 

生きていて楽しくない

とにかく疲れる

すべてがめんどくさい

という感じです。

 

 

 

 

私は「しなければならないことを

こなすだけで終わっていく毎日を続けると

私はこのまま死人になってしまう」

と思いました。

 

だから、ある時から「ねば、べき」よりも

自分の楽しさ、心地よさを

優先することにしたのです。

 

「ねば、べき」に支配されていた私も

それを優先している限り私は楽しめない

私のエネルギーはなくなる一方だと

気づいたのです。

 

 

 

 

私は、まず自分の楽しさ、心地よさを優先して

残った時間で「ねば、べき」を

やることにしました。

 

「ねば、べき」は

やろうと思えばきりがありません。

完璧になど、どうせできません。

 

だから「やりたくない時はやらない。

サボる。ダメなままでいる」ことにしました。

 

そうして、「ねば、べき」を後回しにしても

別に、誰からも苦情も出なかったし

何か困ったことが起こるわけでも

ありませんでした。

 

「こうしなきゃダメ!困ったことになる!」

と私が思い込んでいただけでした。

 

 

 

 

「ねば、べき」は後回しにして

自分を優先して

自分の楽しいこと、やりたいことをやるのは

「快を増やして不快を減らす」

ということに他なりません。

 

楽しさ、心地よさを大切にして

自分にとっての「快」を集めるのは

「本当の自分」を育てる方法なのです。

 

 

 

「快」を集めれば「私」になる。

そう思ってからは

死人のように生きていた私にも

エネルギーが戻ってきたように思います。

 

 

 

人間は、楽しいことや

好きなことがないと生きられないんだな

とつくづく思いました。

 

 

 

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