心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

ジャッジする世界

厳しい親に育てられると

「あれはダメ、これはダメ」と言われます。

 

世の中には

ダメなもの、許されないものが

いっぱいあると学びます。

 

ダメなものがあるということは

良いものもあるということ。

世の中は、良いものとダメなもので

二分されているように感じてしまいます。

 

 

 

 

いつも親から「これは良い」「これはダメ」

とジャッジされ、評価されていると

自分にもその思考が刷り込まれます。

 

そして自分も、世の中のすべてをそのように

「これは良い」「これはダメ」と

ジャッジして見るようになります。

 

 

 

 

 

私もまさに、ずっとそんな思考でした。

 

 

 

 

子どものことも

そんなふうに見ていたのだと思います。

 

発達小児科で診察を受けていた時

私が子どものことを何か褒めたのです。

すると、先生が

「だから!評価するんじゃなくて

そのまま認めてあげてください!」

とキレ気味に言いました。

 

私は「子どもの良いところを褒めたのに

なんで怒られなくちゃならないの?」

と訳がわかりませんでした。

 

そして、先生の口調がキツかったことで

傷ついた気分になりました。

 

「何がなんだかわからないけれども

どうやら私は先生をイラつかせるほど

ダメな母親らしい…

私は褒められたことなんてなかったけど

子どもはたくさん褒めてあげようと

思っただけなのに…」と思いました。

 

 

 

 

 

今はわかります。

子どもを褒めるのは良いことのようですが

その子を良い悪いと評価しているので

使い方を気をつけなければならないのです。

 

発達障害のある子などは

評価されることはしんどいです。

良い時は褒められるけれど

悪い時は注意される

悪い子だったら受け入れてもらえない

という緊張感がありますから。

 

それよりも、その子のありのままを

受け入れてあげる、認めてあげる

喜んであげることの方が

大切なように思います。

 

その方が、子どもも安心して

「自分は大丈夫」という自信や自尊心を

養ってあげることができます。

 

先生が言いたかったのは

このことだったのでしょうが、当時の私は

良い悪いのジャッジの世界にいたので

意味がわからず

ぽかーんとしてしまったのでした。

 

 

 

 

 

 

私は、自分では気づかないうちに

いつでも、何に対しても

「これは良い、これはダメ」と

ジャッジをしていたのです。

 

子どものことだけではなく

自分自身にとっても

ジャッジをしている間は

私は縛られたままでした。

 

「ダメ」と判断したものは

「良い」に変える努力をしなければならない。

「ダメ」はダメ。

「良い」でいっぱいにしなければならない。

 

と、「ダメ」と「良い」に縛られて

息苦しくて仕方ありません。

 

 

 

 

こんな思考でいるのに

「ありのまま受け入れる」

「自由に」「好きなように」

「本当の自分で」なんて

そんな選択できるわけがないのです。

 

「ダメ」が許せなければ

「ありのまま」も「自由」も

「好き」も「本当」もあり得ないのです。

 

 

 

 

 

 

ジャッジを手放さなければ

私は幸せにはなれないと悟りました。

 

 

 

まずは、自分が、何事も

ジャッジする目線であることに気づき

気づいたその時に「出来事、物など

対象をただ観察する」ということを

繰り返しやりました。

 

良いとか悪いとか感想とか考えずに

ただ、事実をありのまま観察するのです。

 

コップに少し水が入っていたら

「コップに少し水が入っている。以上」

という具合に。

水が少ないだの、水がきれいだの

自分の解釈は入れません。

 

 

 

ものごとや人をただ観察するというのは

公平で中立な目線で

実はそこには深い愛があります。

 

繰り返し、観察する練習をして

その目線を獲得すると

良いも悪いもない

ありのままの世界があることに気づきます。

 

 

 

良いも悪いもない、ジャッジのない

ありのままの世界にいると

自分もそのままの自分でいられます。

 

「もっとがんばらなければ」ではなく

「疲れた?じゃあ休もー」

「ムカついた?そうなんだねー」

「うまくいかない?

そういうこともあるよねー」

という感じです。

 

 

 

 

 

 

「これは良い」「これはダメ」

というジャッジの世界ではなく

「そうである」という

ありのままの世界。

 

 

ジャッジを手放し

私はゆるゆるな楽な世界に転生しました。

もうジャッジの世界に

戻ろうとは思いません。

 

 

 

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