心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

いらないと言われた命

 

 

私は猫を飼っています。

 

その子は生後10日くらいの赤ちゃんの時に

近所のゴミ置き場にダンボールに入れられ

たった一匹だけで捨てられていました。

 

その子を保護して、30分後くらいから

数日に渡って雨が降り続けたので

もしあの時保護しなければ

うちの猫は死んでしまっていたでしょう。

 

 

 

f:id:miiko-3:20210613141850j:image

 

 

 

うちに来た時、猫は目も開いてなくて

歩けもしなくて、私の手の平の上で

もぞもぞと動く大ぶりの芋虫のようでした。

 

 

 

f:id:miiko-3:20210613142007j:image

 

 

 

でも、哺乳瓶でミルクをあげ

おしっこやうんちをさせて世話をすると

無事に立派な猫へと成長しました。

 

今では猫らしく、毎日寝てばかりいます。

 

 

 

 

 

うちの猫は、人間からも猫である親からも

「いらない」と言われた猫です。

 

誰からも「いらない」と言われたうちの猫は

本当に、ゴミ置き場に捨てられるような

いらない命なのでしょうか?

 

 

 

 

うちの猫は、私にとっては宝物です。

一緒にいられる今が嬉しいです。

 

一緒にいる時に

「うちに来てくれてありがとう。

ここにいてくれてありがとう。

生まれてきてくれてありがとう。

あなたが大好きだよ」と言うと

猫は、気持ち良さそうに目を細めて

ゴロゴロと喉を鳴らします。

 

そうして一緒にいる今が

私にはかけがえのない宝物の時間なのです。

 

いずれ、お別れの時はやってきます。

だから、一緒にいられる今という時間は

特別で、貴重で、スペシャルなのです。

 

 

 

 

 

 

私にとっては、うちの猫の命は

とても大切なもの。愛するもの。

 

誰かが「いらない」と捨てたとしても

うちの猫の価値は変わりません。

命の価値は変わりません。

 

命の価値がわからない人がいたとしても

誰かが粗末に扱ったとしても

命の価値は揺るぎません。

何の影響も受けません。

 

命には、絶対的な価値があります。

 

 

 

 

 

 

これは、人間でも同じことです。

 

毒親育ちのアダルトチルドレン

親に粗末に扱われてきた人や

いじめやDV、パワハラに遭って

自分を尊重されなかった人は

自分のことを「粗末な存在」だと錯覚します。

 

「自分は粗末な存在だ。

自分には何の価値もない」と思い違いをして

それを固く信じてしまいます。

 

人からそう扱われたから

そう感じてしまうのですが

粗末に扱われた人は

本当に粗末な存在なのでしょうか?

 

その人は「粗末な存在」なのではなくて

ただ「粗末に扱われたというだけ」

というのが真実ではないでしょうか?

 

 

 

粗末に扱われたからといって

その人の価値に傷がつくわけではありません。

 

その人の価値は

誰も触ることのできない次元にあって

いつでも、いかなる時も

素晴らしい存在であることに

変わりはないのです。

 

 

 

うちの猫が

「いらない」と捨てられた存在だったとしても

決して「いらない存在」なのではないように

人も、粗末に扱われたからといって

「粗末な存在」なのではないのです。

 

ただ、粗末に扱われたという過去があるだけ。

そのことは自分の価値に影響しません。

自分の価値を貶めることは

誰にもできないのです。

 

 

 

 

 

うちの猫と暮らして、猫を見ていると

命とはどういうものかを学ばせてもらえます。

 

私にとって、うちの猫は

ただいるだけでいい。いるだけで幸せ。

何もしなくたって宝物です。

 

それでも、猫にそんなつもりはなくても

結果的には、家族全員が

猫に癒されて、心を救われているのです。

 

 

 

猫は、たまに私に因縁をつけてきたり

物陰から襲ってきたり、噛みついたりしますが

おおむね仲良く暮らしています。

 

 

今日も、一緒にいられることに感謝です。

 

 

 

f:id:miiko-3:20210613142529j:image