心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

何のために生きるのか

 

 

最近、若者の自殺が増えていると

この間、テレビでやっていました。

 

 

 

それぞれに事情はあるでしょうが

「将来に希望が持てない。

生きることがしんどい」と

自殺してしまうそうです。

 

 

 

この気持ちはわからなくもないです。

 

生まれてから今まで、育ってくる過程で

人はいろいろな経験をします。

 

親から愛情がもらえなかったり

学校でいじめを受けたり

発達障害があって生きづらかったりして

「人とうまく馴染めない」

「自分の居場所がない」と感じると

何のために生きているのか?と

疑問に思ってしまうのも無理はありません。

 

 

 

 

 

 

私の長男も発達障害があって

「今まですごくしんどかったけど

我慢して無理して頑張ってきた。

これから先も、ずっとこれを

やり続けなければならないのなら

もう早く死にたい」と言います。

 

長男は発達障害があったけれど

ずっと普通学級でみんなと同じにこなそうと

大学卒業まで頑張り続けました。

 

側からはできているように見えましたが

本人は毎日必死だったのです。

辛さも見せないようにしていたと思います。

 

就職したら、このしんどさが

一生続くのかと思ったら、もう耐えられない

と心が折れてしまったようでした。

 

 

 

みんなと同じじゃないのに

みんなと同じことをし続けるというのは

相当きつかったのでしょう。

 

「みんなと同じ」

長男はこれに苦しめられました。

 

「だったら、もう自分が楽にいられる

この自分で大丈夫なところで

居場所を見つけるよう

生き方の方向転換をしたら?

就職のことは置いておいて

自分の喜ぶこと、楽しいことをしたら?」

と言っても、そう単純な話でもないようです。

 

「みんなと同じように働けない。

みんなと同じように自立できない」

と、結局「みんなと同じ」オバケが

長男を苦しめているように見えます。

 

知能が正常な発達障害の場合

障害が軽いように見えますが

それゆえに苦しいことがあるのですね。

 

 

 

結局、自分はこのままの自分でいいのだと

受け入れない限り、この先は進めないように

なっているのが人生というゲームなのかも

しれません。

 

その自己受容は

誰かがやってくれるわけではなく

自分で悩み苦しんで

気づかなければならないミッションです。

 

自分で自分に向き合い続けるのは

辛いですが、クリアできれば

そこからは全く違う人生がひらけていきます。

 

 

 

私は、長男の代わりに

長男の課題をやってあげることができません。

 

なので、気が済むまでゆっくり休める

安全基地を整えることと

有益な情報を見える所に置いておくこと

世間話をしたり、おいしいものを食べたり

なんとなく一緒にいること

くらいしかできません。

 

急かしたり、焦ったり、嘆いたりしないで

私は、私の人生を楽しんで

長男の成長を信じていようと思います。

 

 

 

 

 

 

さて、私自身についてです。

私は決してイキイキと充実した人生を

生きているわけではありませんが

自殺したいとは思いません。

 

私も過去にいろいろあって

「生きるのがめんどくさくなっちゃったな」

と思ったことはありました。

 

「死にたい」という積極的な感じでなくて

「生きるのがめんどくさい」という程度なので

死ぬために何かアクションすることも

めんどくさくて、結局そのまま

時が過ぎていき、今に至ります。

 

 

 

なぜ、私は死にたいと思わないのだろう?

 

 

 

自分のことを振り返ってみると

私は、自分が日々何かに気づき

変化、成長していくのを見ているのが

楽しいのだとわかりました。

 

 

 

以前は、母親を殺したいほど憎んでいて

苦しい思いもしましたが

その時の私はもういなくて

まるで別人のように成長した私になりました。

 

その変化が「すごいよね!」と

自分で感動してしまうほどで

「人間ってこんなに成長するんだ〜」

とワクワクします。

 

この変化、成長は

たぶん死ぬまで続いていきます。

私は、この変化をずっと見ていたいのです。

 

だから、死にたくありません。

 

例え、苦しいことがあったとしても

その先には成長がある。

それを知っているから死にたくありません。

 

 

 

結局、私は自分という存在を

この世で楽しんでいるのです。

自分がどこまで行けるのか

楽しみで仕方ありません。

 

私は、自分という存在の変化、成長を

観察するために生きているのだ

と思いました。

 

私にとっては

それが一番楽しくワクワクすることです。

 

それが私の趣味なんだなと思いました。

 

 

 

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