心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

人からの批判

 

 

毒親育ち、アダルトチルドレン

自己肯定感が低いから

人に親切にしたり

良い行いをしたりします。

 

そうすると、

「今、自分良いことした。

人の役に立ったんじゃないか?」

と、自己肯定感が上がって

いい気分になれるからです。

 

 

 

また、アダルトチルドレン

自己肯定感が低いから

人からの批判にはめっぽう弱いです。

 

人からの批判は

想像以上の打撃となります。

 

生きているのが辛くなるくらい。

死んだ方がいいのではないか?

と思うくらい。

 

 

 

 

 

 

 

私も、人からの批判はすごく怖くて

それをいかにして回避するか

ということだけのために生きていました。

 

批判さえされなければ

自分が我慢や無理をすることも

自分がありのまま自由でいられなくても

好きにできなくても、かまいませんでした。

 

人から批判さえされなければ。

 

 

 

ルールにこだわる規範意識の肥大化や

やらなければならないことだけを

やり続けることも

ルールを守っていれば

やらなければならないことをやっていれば

誰からも批判されないからです。

 

そうしていれば安全だからです。

 

 

 

批判を恐れている間は

「自分らしく」「ありのままの自分で」

「自由に」「好きなことを」「自分を表現」

などはご法度でした。

 

そうある時に批判されることが多いからです。

子どもの頃は主に母親から

大人になっても人の自由を許せない人から

批判されました。

 

 

 

 

 

人から批判されると

心が耐えがたい状況になりました。

 

「やっぱり自分はダメ人間だ」と落ち込み

地球上の全員から嫌われたような気がして

絶望的な気分になり

こんな嫌な気分にした批判した人に

怒りや怨みを感じました。

 

ほんの些細な批判でも

その批判を自分そのもの全部に当てはめて

この世の終わりくらいに思うので

捉え方がだいぶ偏っていたなと思います。

 

こんなふうに、いちいち絶望的になるので

人から批判されることは、私にとって

どうしても回避しなければならない

ことだったのです。

 

 

 

 

 

 

でも、批判を回避することだけに

人生を費やしていたら、ある時

本当の私が「いい加減にして!」

とブチギレたのです。

 

本当の私は

「苦しいよ。狭いよ。閉じ込めないで。

私は自由に、好きなことして

人生を楽しみたいよ!」と言いました。

 

 

 

その声を聞いて

私は自分を取り戻す旅に出たのです。

 

自分と向き合い続け

自分を深く知っていくにつれて

私の批判に対する異様な恐怖は

薄れていきました。

 

 

 

批判されると嫌な気持ちは

もちろんありましたが

それはこの世の終わりではなくて

「怖い」「悲しい」「反論したい」

「批判する人を言い負かしたい」

という感じです。

 

 

 

そんなふうに思っている自分の心を

見つめているうちに、私は

批判する人を猛烈に批判している自分に

気がつきました。

 

人のいたらないところを責め立て

批判する人に言いたい言葉は

「人の欠点や過ちは許した方が自分が楽だよ。

完璧な人なんていないんだから」です。

 

この言葉は、そっくりそのまま

自分への言葉となって返ってきました。

 

「そうか

批判している人はそのままでいいのか。

批判していていいのだ。

その人はそう思ったのだから」

 

 

 

ということは、私も

何も変えないでそのままでいいのです。

 

だって、それが私だし

私はそう思ったのだから。

 

 

 

 

 

人との境界線がはっきりして

人は人、自分は自分、ということが

腑に落ちると、人が批判しているのは

「その人がそう思っただけ」なのだと

思えるようになりました。

 

人の批判と自分の価値は

全く関係のないものだったのです。

 

どんなに悪く言われようが

それは「その人がそう思っただけ」。

事実でも真実でもありません。

 

ましてや、自分の価値が

その人の言う通りに

失墜するわけでもないのです。

 

自分の価値と人々の言うことは

全く別次元にあって、人々の言うことは

「人々がそう言った」

というだけのことなのです。

 

 

 

 

 

そのことに気づくと、批判されても

それを間に受けて

自分を傷つける必要などないのだと

思いました。

 

その人がその人の価値観の中で

そう思っただけなのですから。

その人が正解なわけではないのですから。

 

もし批判する人がいたら

「あなたはそう思うんだね。

私は私の価値観を生きていて

自分はそれでいいと思ってる」

と言いたいです。

 

 

 

 

 

完璧な人など、この世にひとりもいません。

みんな、何かしら欠点があって

何かしら過ちを犯しています。

 

それでいいのです。

すべての人はそのままでいいのです。

 

すべて、それはそうであるだけなのです。

 

 

 

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