心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

母への憎しみの変化

 

 

先日、遠方に住む私の母へ

80歳の傘寿祝いの品を送りました。

 

母の誕生日は何ヶ月も前なのですが

緊急事態宣言やコロナの影響で

デパートに行くことを控えていて

数ヶ月遅れのお祝いです。

 

 

 

 

 

私の人生において

母は完全に敵キャラで

私を傷つけたり、苦しめたり

私の人生をめちゃくちゃにした(と思う)

人でした。

 

私は母のことを殺したいほど憎んでいたし

「いつ死んでもいいのに」と

常に思っていました。

 

年老いて、少し気弱になったのか

ここ数年は私を攻撃しないようにしようと

心がけてる節もありましたが

「そんなことで許さない。

なかったことにはしない」と思っていました。

 

母は弱味を見せることはしませんが

「心細いと思ってるだろうな」と気づいても

私は知らんぷりを通して

「私から愛情をもらおうとしないでよ。

今の状況は自分のしたことが

自分に返ってるだけだからね。

それを充分に感じて、自分が何をしたのか

よく振り返ってね」と思っていました。

 

年老いて、心細くなって

誰かから優しくされたいと願っていると

わかっていても

(母はその素振りを絶対に見せませんが)

私は知らんぷりして疎遠にして

母にじわじわと復讐していたのでした。

 

必要最低限の関わりや

上辺だけの会話はしていましたが

私の真心からの優しさをあげるような

ことはしませんでした。

 

私は「ざまあみろ」と思ってました。

「苦しめばいい。そして

自分の行いを反省すればいい」

と思ってました。

 

そんなふうだから「いつ死んでもいいよ」

と本気で思っていたのです。

 

 

 

 

 

そんな母のための傘寿祝いです。

 

父の傘寿祝いも数年前にありましたが

私はお祝いの品をあげました。

その頃はコロナもなかったので

遅れることなく、普通にあげられました。

 

もちろん、私が父に傘寿祝いをあげたことを

母は知っています。

 

だから母は、自分の誕生日を過ぎても

傘寿祝いがもらえないので

「父はもらえたけど自分はもらえない」

と心の中で何か感じていたかもしれません。

 

もちろん、母は何も言ってきません。

 

 

 

 

 

 

その状況で、

ずっと母に冷たい態度をとっていたのに

別にそんなに嫌いな相手なら

あげなくてもいいのに

なぜか私には、母に傘寿祝いをあげない

という選択肢はありませんでした。

 

 

 

なぜ、私は母に傘寿祝いを贈るのだろうか?

 

 

 

母に褒められたいのだろうか?

母に、やるべきことはちゃんとやる、と

認められたいのだろうか?

母に優しくしたいのだろうか?

 

 

 

 

 

私は、私にとって敵だった母に

傘寿祝いを贈る以外の選択肢がないことを

不思議に思い、どうしてなのか

知りたくなりました。

 

 

 

品物はシルクのパジャマにしたのですが

それを選んでいる時、私は

「これなら心地良いだろう。

これなら着た時、幸せになれるだろう」

と思っていました。

 

そして、父にあげたのに母にはあげない

などという意地悪はしたくないと思いました。

そこまで痛めつけようとは思いませんでした。

 

でも「いつ死んでもいいのに」

と思っているくらいなのに矛盾しているな

と気づきました。

 

 

 

 

 

この矛盾を見つめてみると

私は、本当はもう母に優しくしたいのだ

と思い至りました。

 

 

 

私自身が酷く傷ついていた頃は

母を憎いと思い「嫌いだ。死んでいい」

と思っていました。

 

でも、今の私は、一旦母と切り離して

自分の生活を心地よく楽しくすることを

一番大切にしていて

それをずっとやり続けていたら

私自身が癒されて、毎日が楽しく

幸せになっていたのです。

 

自分が幸せだと感じているなら

もう母のことはどうでもいいのです。

 

そして、自分が幸せで

自分を愛し、満たされていると

誰かを憎み続けるということが

違和感があり過ぎてできなくなりました。

 

憎むよりも、優しくする、愛する方が

今の自分にはしっくりきます。

 

 

 

それでも、なんとなく今まで通り

憎む姿勢をとり続けなきゃ

と思っていたようですが

本音が行動に現れますので

「母のためにお祝いを贈る」ということは

やらずにいられなかったようです。

 

 

 

今まで何十年も憎み続けてきた人に

優しくするというのは抵抗があって

その抵抗はなかなかだったのですが

それもエゴだったのだなと思います。

 

私は、エゴの「自分が幸せになっても

それでも母を憎み続けるんだ!」

という思いを受け止めて

「もう憎まなくても大丈夫だよ。

そうやって母から愛をもらおうとしなくても

私はもう愛を持っているから大丈夫なんだよ」

と憎しみを手放すことにしました。

 

憎いから憎んでいるのではなく

最後の方は、憎まなくちゃ

と自分に言い聞かせて憎んでいる感じでした。

 

もう、その必要はなくなったのです。

もう、そのためにエネルギーを

使わなくていいのです。

 

 

 

これからは、母に対して

自分が感じるままに、やりたいように

接していこうと思います。

 

それは、思いやりや心遣いの時もあれば

言いたいことをはっきり言う

辛辣な時もあるでしょう。

 

 

 

もう、母が私を傷つけることはできません。

 

私は、自分の幸せに全責任を持ち

私のことは私が愛していくからです。

私の人生に母が介入することは

もうできないのです。

 

 

 

自分の幸せの責任を100%自分が持つと

人のことが気にならなくなります。

人がどうあろうと

自分の幸せとは関係ないからです。

 

 

 

母は、私の人生で出会った

ちょっと厄介な人という位置づけで

今までとは違う

関係性を結んでいこうと思います。

 

今、私はすっきりといい気分です。

 

 

 

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