心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

そのままの自分でいるということ

 

 

自分のままでいられるというのは

なんて楽なのだろう!と思います。

 

 

 

「自分のままでいる」というのは

わかりやすく言うと

「我慢しない、無理しない、頑張らない

そのままの自分でいる」ということです。

 

「自分の苦手なところも

改善しようとせずにそのまま。

欠点もそのまま。未熟なところもそのまま」

ということです。

 

 

 

多くの人は、そんな自分の欠けているところ

足りないところがダメだと思い

それを埋めよう、改善しようと

日々、頑張っています。

 

そのままの自分はなかなか許せません。

 

 

 

自分はそのままでは愛されないから

愛される人になれるように自分を直そう。

自分には価値がないから

足りない価値を埋めるために頑張ろう。

自分はここで生きてる意味がないから

意味を持たせるために人の役に立とう。

自分は受け入れてもらえないから

人に喜ばれることをしよう。

 

こんなふうに思っていると

そのままの自分でいることなど

到底許せず、怖くてできないでしょう。

 

「周りの人が」というよりも

「自分が」許さないでしょう。

 

 

 

自分自身が自分のことを

価値がない、意味がない、愛されない

受け入れられない、と信じているからです。

 

これらは、多くは無意識の奥深くに

しっかりと根を張っている信念です。

自分のことをそんなふうに思っていると

気づいていない人も多いです。

 

気づいていなくても「価値がない」

という信念は確かに自分の中にあって

自分の行動のほとんどは

この信念から発動しています。

 

「価値がない」から

嫌な仕事でも我慢してやろうと思うし

人に喜ばれることをしようと思うし

しんどくても無理して頑張るし

やらなければならないことはやるし

モテようとするし

お金を稼ごうとするし

成功しようとするし

頑張って勉強するし

成果を上げようとします。

 

 

 

 

 

 

私も、このことに気づいた時

自分を振り返ってみると

自分の行動は、ほとんど

「成果を上げるため」「認められるため」

に行われていたとわかりました。

 

 

 

自分の喜びは二の次で、そんなことよりも

認められることの方が大事でした。

 

私は、足りない自分の価値を

埋めることに必死でした。

そのために生きていたし、生活の隅々まで

その信念は蔓延っていました。

 

私の生活のどこを切っても

「認められるため」「価値を埋めるため」

の匂いがぷんぷんします。

 

「自分の喜び、楽しみ」はごく僅かです。

 

 

 

行動する時に「それは何のためにするの?」

と自分に質問してみるとわかります。

 

大体「これやらないと非常識だと思われる」

「役割を果たさないといけないから」

「人に迷惑かかるから」

「できる人と思われたい」など

周りの人や世間からどう見られるか

を気にした理由が返ってきます。

 

それは、それをやらなければ

自分は周りの人や世間から

受け入れられないと思うからです。

 

自分を受け入れてほしい、認めてほしい

と思うから、その行動をします。

 

 

 

けれど、そうやって頑張っていても

私は、心底くつろいで幸せを感じることは

なかったように思います。

 

 

 

 

 

 

 

頑張っても頑張っても幸せになれないのを

ある時、「根本的に間違ってる!」

と気づきました。

 

その気づきは

まるで天地がひっくり返ったようでした。

 

 

 

何が根本的に間違っているのかというと

行動の動機が、すべてマイナスから

スタートしていることです。

 

「自分には価値がない。だから

それを補うために頑張る」というのは

「自分には価値がない」という

マイナスからスタートしています。

 

それは、「愛されない」でも同じです。

 

足りない自分、欠けている自分を

埋めるために行うことは

すべてマイナスからのスタートです。

 

 

 

マイナスからスタートしたことは発展しない

というのがこの世の法則です。

だから、足りない自分を補おうと

どんなに頑張っても

決して幸せにはなれないのです。

 

どんなに無理して、我慢して、頑張っても

自分が心から満たされて幸せになる

ということはありません。

 

それは、大金持ちの人や高学歴の人でも

自殺してしまうことがある

ということでもわかります。

 

お金や成果だけでは

人は満たされないのです。

 

 

 

 

 

 

 

では、どうすればいいのかというと

冒頭でお話した「自分のままでいる」

ということが大切になります。

 

 

 

足りないところを埋めようとしない。

ダメなところを直そうとしない。

未熟で、欠点や苦手がある

そのままの自分を「それでいい」と

許して、受け入れるのです。

 

「自分は自分のままで存在してていいよ。

できないこともいっぱいあるし

人に迷惑かけることもあるし

大した特技や才能もないし

この世の役に立ってない気がするけど

そのままで存在してていいよ」

と許してあげるのです。

 

「こんなにダメなのは自分くらいだ」

と思っていても、案外

人間はみんなそんなものです。

 

「欠点があるままでいてはいけない」

と思っても、欠点を完璧になくすことは

不可能なので(完璧な人間は存在しない)

どんな自分でもそれでいいのです。

 

自分がそのままでいることを許します。

 

 

 

そして、許されたそのままの自分で

やりたいと思いついたことを

やっていけばいいのだと思います。

 

そのままの自分が「やりたい」と思ったことは

自分の価値を高めるために

やろうとすることと違って

本当に自分が好きなこと、楽しいことです。

 

そうして生活していくと

満たされて、毎日は楽しくて

自分は幸せだと感じるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

私は、自分の価値を高める行動を

しなくていいというのは

なんて楽なんだろう!と思いました。

 

自分をちゃんと見せるために

何かを無理しなくていい。

頑張ったり、我慢しなくていい。

やりたくないことをやらなくていい。

やりたいことをやればいい。

 

なんて楽で、楽しいのだろう!

なんてのんびりとくつろげるのだろう!

 

自分のままでいるというのは

違う自分になろうとしないのは

何かを目指さなくていいというのは

 

なんて安心するのだろう!

 

私は、自分のままでいる感覚を

味わっていたいと思いました。

 

 

 

 

 

自分のままで

自分のペースで生きることに

誰かの許可は必要ありません。

 

誰か他の人に

許してもらう必要はありません。

 

自分が自分に

「そのままの自分でいていいよ」と

許してあげるだけなのです。

 

自分がそうするだけなのです。

 

 

 

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