心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

怖れているもの

 

 

私には怖いものがたくさんあります。

 

 

 

新幹線、ゴキブリ、ブツブツしたもの

という具体的なものから

死、未知などの観念的なものまで

たくさんあります。

 

 

 

自分に「何が怖い?」と聞くと

 

病気が怖い、死が怖い、孤独が怖い

外が怖い、生活苦が怖い、未知が怖い

失敗が怖い、人からの攻撃が怖い

バカにされるのが怖い、変わるのが怖い

 

と、怖い怖いのオンパレードです。

 

 

 

ひとりなんて心細くて死にそうだ。

この世の中は安全じゃない。

何が起こるかわからない。

事故、災害、犯罪に巻き込まれるかも。

人から攻撃されるかも。

具合が悪くなるかも。

誰も助けてくれないかも。

自分ひとりで困るかも。

外は怖い。怖い怖い怖い怖い。

 

私は怯えて、縮こまって生きていました。

 

 

 

 

私が怖れていることは

本当に起きるのでしょうか?

本当に起こったのでしょうか?

 

 

 

実際には、事故も災害も犯罪も

経験したことはありませんでした。

(軽い交通事故や大地震には遭いましたが

命に関わるような経験ではありません)

 

現実的に、実際に起こったのは

人からの攻撃と具合が悪くなることくらいです。

 

この2つが、私の人生を止めるほど

大変なことなのでしょうか?

 

その経験をした時は

たしかに嫌な思いをしたし

心細い思いもしたけれども

大事にならず、私はこうして生きています。

 

その経験をしたけれど

命は取られないのです。

 

 

 

 

 

私は、ふと

「このふたつの嫌な経験と私の怖れの大きさは

釣り合いが取れているだろうか?」

と疑問に思いました。

 

私の頭の中で大きくなりすぎて

大袈裟に怖がりすぎているのではないか?

と思ったのです。

 

私の怖れは、もしかして

幻想なのではないか?

自分の頭の中で大きく大きく育てて

漠然とした不安を巨大なモンスターに

してしまったのではないか?

 

私は正しく怖がっているだろうか?

 

私は、もしかしたら

ただの影をモンスターだと思い込んで

怖がっているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

私は、自分が怖れているものの正体を

突き止めようと思いました。

 

 

 

今この瞬間に

誰かに銃口を向けられているわけでもなく

目の前に猛獣がいるわけでもなく

津波や火の手が迫っているわけでもなく

巨大な隕石が落ちてきているわけでもなく

 

私は平和で安全です。

 

今この瞬間の私の目の前の世界は

危険なことは何もなく、平和です。

 

 

 

私が怖れているのは

こうなるかもしれない、ああなるかもしれない

という想像です。

 

それは、実際には起こっていなくて

今まで起こったこともなくて

起こっても死ぬほどじゃなくて

ただの予想、イメージ、幻想

もっと言うと妄想なのです。

 

私は、実体のない妄想を怖れているのです。

 

 

 

私は、現実のものと相応しくない

怖がり方をしていました。

 

私は、ただの影を怖れていました。

 

 

 

 

 

 

それから、不安と恐怖が上がってきたら

「これは影じゃない?」と

自分に聞いてみることにしました。

 

影を影だと見破ると

囚われていた幻想は一瞬にして消え

不安と恐怖は軽減されました。

 

 

 

もし、不安と恐怖で震えている幼い私が

「怖いよ、怖いよ」と言ってきたら

「大丈夫だよ。私が守ってあげるから」

と抱きしめて安心させてあげました。

 

 

 

 

 

でも、恐怖心は

自分を守るために必要な機能なので

なくす必要はありません。

 

だから、正しく怖がることが大切なのです。

 

影をモンスターだと思って

必要以上に怖がるのではなく

現実のものをそれ相応にふさわしく

正しい怖がり方をしようと思いました。

 

 

 

 

 

私は、この地球で

怖れて縮こまって生きるのではなく

くつろいで、楽しく、自由に

幸せに生きていきたいのです。

 

そのために

この自分が怖れているものの検証は

とても大切な作業でした。

 

よく言われますが

怖れているもののほとんどが

自分の妄想なのです。

 

 

 

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