心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

しんどい時は休む

 

 

最近、食べるものを変えたせいか

頭痛になることが少なくなりましたが

以前はよく頭痛がしていました。

 

 

 

気圧が下がると頭痛

暑くても頭痛、寒くても頭痛

冷たい風に当たっても頭痛

満月付近は頭痛、疲れると頭痛

睡眠不足でも頭痛、胃が悪くなると頭痛

目を使いすぎて頭痛、と

何かと言っては頭痛がしていました。

 

 

 

頭痛がすると、私は頭痛薬を飲んで

いつも通りのやらなければならないことを

こなしていました。

 

ご飯作ったり、片付けたり、家事全般

子ども絡みの雑務、など。

 

 

 

 

 

ある時、頭痛がしたので、また薬を飲んで

いつも通り動こうとしました。

 

 

 

でも、その時

「ちょっと待って」と思ったのです。

 

頭痛がするってことは

私、今しんどいんだよね?

それなのに、体のメッセージを無視して

いつも通り働かせるって

自分を酷使する横暴な行為じゃない?

 

 

 

それまで、私はずっと自分の声を無視して

エゴの奴隷となって

自分に無理をさせてきました。

 

自分が「疲れたよ。しんどいよ」と言っても

私は(エゴは)「休むな。働け」と

無理することを要求してきたのです。

 

そうして、疲れても、しんどくても

「でも休めない」と私は動き続けました。

 

 

 

怖くて、自分に

休むことを許可できなかったのです。

「休んだりしたら、人の役に立てない。

自分の価値がなくなっちゃう。

ただのお荷物になっちゃう」

と怖かったのです。

 

自己肯定感や自尊心が低いと

自分が休んだり、楽をしたり

心地いい思いをすることに抵抗があります。

 

怠けているんじゃないか

自分は楽しちゃいけないんじゃないか

と思ってしまうのです。

 

こんな自分が楽しちゃいけない。

みんなの役に立たなきゃいけない。

そんな思いです。

 

「こんな自分」ってなんでしょう?

「低く見積もってるダメな自分」

ということでしょうが

それも全部妄想なのですよね。

 

 

 

自己肯定感や自尊心が育ってくると

はたと「え、休んでよくない?」

と気づく時がきます。

 

 

 

ずっと自分の声を無視して

無理しすぎて、私は悲鳴をあげていました。

 

この悲鳴を、もう無視してはダメだと思い

私は自分にいっぱい「ごめんね」と謝って

「ねばならない」を放り投げ

自分がどうしたいのかを考えました。

 

 

 

私は、体を横にして休んだり

お風呂で温まったり

目を瞑って静かなピアノ曲を聴いたり

心も体も、緩めたいと思いました。

 

薬を飲んで頑張るのではなく

ゆったりと緩めたいと思いました。

 

 

 

私は、自分の頭に、心に、体に

「ごめんなさい」をいっぱい言いました。

 

そして、その日のご飯は作らないことにして

すべての用事から自分を解放して

のんびり横になって

ゆったりと過ごすことにしました。

 

肩の荷が降りたような、ホッとした

とてもいい気分でした。

 

 

 

そうしていたら、いつの間にか

頭痛はなくなっていました。

 

 

 

 

 

 

アダルトチルドレン

自己肯定感が低いので

どうしても自分に厳しくなりがちです。

 

「こんなんじゃダメだ。もっと頑張らなきゃ」

と思いがちです。

 

 

 

でも、微かに聞こえる自分の悲鳴を

聞き逃さず、自分を休ませたり

緩ませてあげられるといいですね。

 

仕事など、自分がやらなきゃ!と思っていても

それも妄想で、案外なんとかなるものです。

 

 

 

自分に優しくしてもらえるのを

自分は待っています。

 

 

 

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