心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

自分が自由になることを許す

 

 

次男が小学生の頃

仲良くしていたお友達のお母さんが

私は苦手でした。

 

 

 

その人は、教育熱心で厳しくて

なんとなく批判的なのです。

 

「こうすべき、こうじゃなきゃダメ」

がいっぱいあるみたいで

それに反するものは許せなくて

いつもイライラしていました。

 

 

 

べき、ねば、がいっぱいあると

周りの人も出来事も

自分の思い通りにならないことだらけなので

いつもイライラと腹を立てることになります。

 

その人も、そんな感じで

自分の子どもに対しても

いつもガミガミと怒っていました。

 

うちの子ども情報によると

家の中では自分の子どものことを

蹴ったり叩いたりして

言うことを聞かせていたそうです。

 

 

 

 

 

そのお母さんは、たぶん

私たち親子が嫌いだったと思います。

 

次男は、高機能自閉症でちょっと変わっていて

普通やらないことをやったり

常識から外れたりすることがあるのです。

 

いわゆる「良い子」ではなくて

どちらかというと問題児でした。

(中学生になったら

学校一の問題児になりました)

 

 

 

人の顔色が人一倍気になる私は

次男が幼い頃から

「人の迷惑にならないように。

常識から外れないように」と

神経をすり減らしていました。

 

でも、そんなこと言っても、次男は

まったく異次元のスケールで生きていて

大人が思う枠にはめようとすると

ものすごいエネルギーで反発して

私の思う「良い子」にはなってくれません。

 

私は、途中から、次男を

普通の子にしようとすることをやめました。

 

なるべく枠にはめようとせずに

次男の個性を尊重して

でも、次男が社会の中で快適に過ごせるように

ルールやマナーを丁寧に教えていきました。

 

 

 

その私の教育方針が

厳しく子育てしてる人から見ると

甘くていい加減に見えるのでしょう。

 

子どもたちの間で何かトラブルが起こるたびに

「どういう教育されてるんですか?」

というようなことを言われました。

 

 

 

そんなお母さんに育てられている

次男のお友達は、成績も良く

大人の言うことをよく聞く良い子で

そんな子が、なぜ次男と仲が良いのか

本当に不思議でした。

 

不思議ですが、次男とその子は

本当に馬が合うようで

学校が離ればなれになるまで

ずっと一緒に遊んでいたのでした。

 

私は、その子のお母さんからの

風当たりが強いので

「なるべく遊ばないでほしい…」

と内心思っていたのですが。

 

 

 

 

 

どうしてもその子と関わるので

そのお母さんの「ねば、べき」にそぐわない

私や次男は、たびたび、そのお母さんから

批判めいたことを言われます。

 

それは

完全にその人の物差しによるジャッジで

「うちの事情も知らない人から、なんで

そんなこと言われなくちゃならないんだ」

と、本当に嫌な気分になりました。

 

でも、私は反論もせずに

ただひたすら謝っていました。

 

 

 

 

 

 

そんなことを繰り返していて

私は、あることに気づきました。

 

 

 

私がゆるい子育てをして

キツイお母さんが批判してくる。

これって、子どもの頃、私が自由にして

母がそれを否定してくるのと同じ構造だ!

 

 

 

そのお母さんと私の母は

本当に怖いくらいそっくりなのでした。

 

「ああ、同じだな、繰り返してるな」

と同じパターンを繰り返していることに

気づきました。

 

 

 

このパターンのテーマは何か?

そう考えてみると、それは

私自身のゆるさ、自由と、それに対する否定。

「自由と否定」だと思いました。

 

そこを、もっと掘っていくと

私自身の中に「自由になってはいけない」

という否定と、「自由になると攻撃される」

という怖れがあることがわかりました。

 

子どもや他人まで巻き込んで

これは、「私が自分の自由を許すのか?」

という問題なのだと思いました。

 

たぶん、それだけの問題なのです。

 

 

 

 

 

他人のお母さんから嫌味を言われるなど

本当に嫌な体験をしましたが

それは、私自身が

この「自由」について真剣に考えて

自分を解放するために起こったのです。

 

この出来事は

「もう自分に自由になることを許そう」

とメッセージをくれていたのでした。

 

 

 

人からとやかく言われるのは

本当のところ、自分が自分に

それを許していないからなのです。

(目の前の起きることは自分の心の反映)

 

 

 

 

 

 

自由になることを自分に許すのは

自分を愛することです。

 

人の自由を許すのは

その人を愛することです。

 

自由とは、自分のままでいること。

自分らしくあるということ。

 

 

 

私は、その時

自分が自由になる時が来たと思いました。

それを、自分で意図して選ぶ時がきたのです。

 

 

 

私は、自由にしていい。

子どもも、自由にしていい。

そして、批判する人も批判していていい。

 

そのままでいいのだ。

「私、自由」→「文句言われる」でいいのだ。

 

 

 

そうして、自分に自由を許し

起こることをそのまま受け入れたら

本当に心が楽になりました。

 

 

 

 

 

 

その苦手なお母さんとは

子どもが小学校を卒業してから

一度も会っていません。

 

もう学び終わったから会わないのでしょう。

もし会っても、気にならないか

もしくは(いつも謝っていた)私は

別人のように自分の言いたいことを

まくし立てるかもしれません。

 

それはそれで楽しみです。

 

自分が自由であることを自分に許すと

厳しく批判的な人のことが怖くなく

自分のことを述べられそうな気がします。

 

自分を許していないと批判的な人が怖くて

いちいちグサグサと言葉が刺さるのです。

 

 

 

「私はもう自由だよ。

私は、自分のままで生きるよ」

と、自分に自由を許した

きっかけとなる出来事でした。

 

 

 

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