心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

より良い自分を目指すことをやめる

 

 

努力して良い人間であろうとしたり

幸せになろうとすることをやめる。

 

それでは迷路に入りこむと

気づかなければならない。

 

 

 

 

 

良い人間であろうとするのは

自分のネガティブな面など

本当の自分から目を背けているし

今の自分は良くないと否定しているから。

 

努力するのは

今の自分ではダメだと否定しているから。

 

幸せになろうとするのは

自分には足りないものがあると

思っているから。

 

 

 

良い人間になろう、努力しよう、

幸せになろう、というのは

表向きキレイに見えるけど

裏には否定が隠されている。

不足が隠されている。

 

 

 

その不足を補おうとするのはエゴだ。

 

努力して何かを得ようとすることも

幸せに「なろう」とすることも

自分の価値を上げようとすることも

より良い自分を目指すことも、エゴだ。

 

「より良くなりたい。もっと、もっと」

はエゴの発想。

 

エゴはコントロールしたい。

執着したい。

エゴは努力が大好き。

 

エゴが自分を否定していて

それを補おうと努力している。

 

 

 

 

 

 

まったく逆だ。道が違う。

 

私は、より良い自分を目指すことを

いったん手放そうと思った。

 

 

 

 

 

おでんの大根に味を染み込ませる時は

一回、火を止めて冷ます。

そうして放っておくと

冷めていく過程の浸透圧で

味は勝手に染み込んでいく。

 

味を染み込ませようと執着して

意地になって火をかけ続けるのではない。

火にかけることをやめ

染み込ませようとすることをやめる。

一回、手放す。

 

同じように、私は

より良い自分を目指すことをやめる。

一回、手放す。

 

がんばって

より良くなろうとすることを手放すと

自然と成熟へと向かっていく。

 

 

 

 

 

やることは

自分も、周りも

すべて、あるがまま受け入れること。

 

ありのままの「今」を

経験することにオープンでいる。

 

産まれたての赤ちゃんのように

地球の常識を知らない異星人のように

目の前のことを、ただ見る。

 

常識も何も知らないのだから

何の判断もしようがなく

ただ、ありのままを見て

受け入れるしかできないはずだ。

 

目の前の出来事に

素直に、オープンにしているだけ。

 

努力、ジャッジ、否定、日課、ノルマ

こういうものはいらない。

 

ただ、すべてを受け入れているだけ。

 

 

 

その状態で、やりたいことはやればいい。

それは、否定や不足からの努力とは違う。

 

スタート地点が

「愛」なのか、「不足」なのか。

やっている行為が同じでも

スタート地点の自分の在り方で大違いだ。

 

 

 

やることはシンプル。

あるがままを受け入れて

コントロールや執着を手放すこと。

わからないと降参すること。

 

 

 

コントロールを手放せたら

この世はくつろげるところになる。

 

 

 

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