心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

手放せない恨み

 

 

以前、次男が小6の頃

担任が問題のある先生でした。

 

 

40代くらいの男性で

子どもたちへの叱り方が威圧的で

人格を否定するような罵り方をしたり

机を叩いたり、椅子を蹴って恫喝したり

子どもを押して倒したりしていました。

 

子どもたちは報復を恐れて

親には言ってないようで

教室の中はその担任によって

支配されていました。

 

その担任の怒鳴り声は

当然隣の教室に聞こえているのですが

他の教師は人のことには口出ししないのか

誰も注意する人がいなくて

子どもは親に言わないので

保護者は実体を知らず

その担任は野放しにされていました。

 

子どもたちは担任を怒らせないように緊張し

繊細な子は「学校に行きたくない」と

行きしぶりをしていたと後から聞きました。

 

 

 

 

私も、始め半年くらいは

次男が何も言わなかったので

教室がそんな状況だとは

全く知りませんでした。

 

「先生が嫌い」とよく言っていたのですが

深く考えず、「厳しいからねー」くらいに

受け流していたのです。

 

4月の始めから「嫌い」と言っていたのに

きちんと話を聞かなかったことを

すごく悔やみました。

 

 

 

 

秋頃の授業参観、保護者会の時

私は、その担任に

なんとも言えない違和感を感じて

家に帰ってきました。

 

「なんか変だな、なんか気持ち悪いな」

という感じです。

 

その担任は、ジョークを飛ばして

楽しく授業をして、子どもたちも笑っていたし

保護者会ではいろんなお母さん方と

にこやかに談笑していました。

 

何の問題もありません。

 

けれど、私には全部「嘘」に見えたのです。

「この人は取り繕っている。何か隠している。

なんとかこの場をやり過ごそうとしてる。」

と感じました。

 

 

 

嫌な予感がするので、その日

次男に「先生ってどんな人?」と

詳しく聞いてみたのです。

 

すると、冒頭で書いたような

「不適切な指導」をしてることが

判明したのでした。

 

 

 

しかも、次男は

担任の気に触ることをしたらしく

引きずられて廊下に出され

押されて転んでアザができていました。

 

 

次男には高機能自閉症という障害があるので

融通が効かず、納得しないことはしないなど

頑固なところもあるので、担任にとっては

腹立たしい存在だったのでしょう。

 

だとしても、子どもにアザを作るなんて

私は許せないと思いました。

 

ただでさえ、周りにうまく馴染めず

人から怒られることが多い次男に

これ以上悲しい思いをしてほしくありません。

 

 

 

私は、すぐに、次男から聞いたすべてを

教育センターに通報しました。

 

教育センターは「そんなことは絶対に

してはいけないことです。

本当に申し訳ありません。すぐに対処します」

と言ってくれました。

 

 

 

それから、おそらく

教育センターから学校に連絡がいき

担任は校長から注意を受けたようです。

 

次男情報によると

校長先生はちょいちょい教室の外に来て

中を覗いて監視していたようでした。

 

不適切な指導が治らないようなら

すぐさままた通報してやろうと思って

私は、次男に担任の様子を

聞くようにしていましたが

担任はある程度は態度を改めたようでした。

 

怒鳴ったりはしても

机や椅子を蹴ったり叩いたりはしない

というくらいに。

 

 

 

 

 

次男は、この担任のことが本当に嫌いでした。

 

絶対に勝てない大人の男の人に

(次男の中では)理不尽なことで

引きずられたり、倒されたりして

本当に悔しかったのです。

 

 

 

でも次男は、中学生になっても

この時のテンションのまま恨み続け

中学生活に支障をきたすくらいに

担任に対する憎しみに翻弄されていました。

 

担任にどう仕返ししようかと考えて

実際にしようとしているのです。

 

「いくら態度を改めたと言っても

一言も謝ってもらってない!許せない!」

というのが次男の言い分です。

 

 

 

自閉症スペクトラムの人は

過去の嫌な記憶を忘れることができず

記憶が薄れてくるということがないので

その時のリアルなテンションのまま

憎しみや怒りの中に居続けます。

 

これは、本当に苦しいことだと思います。

だから、いつまでも過去のことを許せず

流せず、 恨みを募らせるのです。

 

 

 

その特性はわかっていたのですが

私は、もう二度と会わないような人のために

今の生活がめちゃくちゃになるなんて

馬鹿げていると思いました。

 

そして、つい言ってしまったのです。

 

「でも、もう今は何もされてないでしょう?

先生は変わったんだよ。ずっとそこに

居続けないで、今の現実を見てごらん」

 

私は、次男が憎しみから解放されるといい

と思い、また、仕返しなどして、今の自分の

生活を壊して欲しくなかったのです。

 

 

 

 

けれど、この次男に言った言葉。

よくよく考えてみると、それは

私自身にも当てはまる言葉なのでした。

 

 

私の場合は憎しみの相手は母です。

 

母は、その頃もう私を傷つけないように

気をつけていて、変わっていました。

なのに、私は昔傷つけられたことを忘れず

その時も母に仕返しをし続けていたのです。

 

「お母さんが苦しめばいい。

私をバカにした罰だ。死ぬまで苦しめばいい」

という憎悪を心の奥底に持っていました。

 

私と次男は全く同じだ。

私の方がもっと酷い。

30〜40年前のことを今でも怒っている。

そう気づきました。

 

 

 

側から見たら「いつのこと言ってるの⁉︎」

「いつまでもそんなこと言ってても

仕方ないじゃない」という感じですが

私には次男の気持ちがよくわかりました。

 

そりゃあ水に流すなんてできない。

ひどく傷ついたのだから。

 

私は、その時

次男の仕返ししたい気持ちも

私の仕返ししたい気持ちも

そのまま受け止めようと思いました。

 

 

 

次男はその後、なんやかんやで

更なる荒波に飲み込まれて

それどころではなくなり

結局、いつの間にか小6の頃の

担任のことは言わなくなりました。

 

 

 

それにしても、私が次男を客観的に見た時

「いつのこと言ってるのよ。もういいでしょ。

もっと今を大切にしなさいよ」と

半ば滑稽に見えたのですが

私も側から見るとこんなに滑稽なんだ、

滑稽なことをしているんだ、とわかって

おかしくなりました。

 

 

 

 

手放せない恨みというのは

これと同じなのです。

 

 

 

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