心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

心理的孤児という認識

 

 

 

だいぶ前ですが、テレビで

戦災孤児の人達が言っていました。

 

 

「食べるものも着るものもない。

それにすごく寒かった。

でも、一番欲しかったのは人の温もりです。」

 

「(引き取られた親戚の家で)

ご飯がもらえなかったり、叩かれたりしたが

一番辛かったのは

『お前は何で生まれてきたんだ。

どうしてお前の面倒を見なくちゃ

いけないんだ』と言われることだった。」

 

 

 

私は、これを聞いて

「人間は物質よりも愛が必要なのだ」

と思いました。

 

 

 

 

 

 

この戦災孤児の人達の

悲しみ、苦しみ、不安、恐怖、怒りは

経験してない人が、いくら想像しても

わからないものなのでしょう。

 

相当な苦労をされたと思います。

 

 

 

私は、共感するなんてできないけれども

でも、何か少しだけ、通ずるものが

あるような気がしてなりませんでした。

 

 

 

 

 

私は、自分のことを

心理的孤児だと認識していました。

 

私の母は毒親だったので、私は

安全基地となる母親としての機能を備えた

母親を持っていません。

 

私は、ずっと心細くて、孤独で

世の中が怖いと思っていました。

 

私は、誰のことも信用せず

誰とも繋がりませんでした。

ひとりで殻にこもっているのが

一番安全で、一番ストレスがかからない

と思っていました。

 

私の口癖は「ひとりになりたい」。

 

私は孤独でした。

それは、友達がいても

結婚して子どもがいても同じでした。

 

表面上はにこやかにうまくやっている。

けれど、心の奥底では

誰のことも信用できなくて

受け入れていなかったのです。

 

 

 

 

 

人は怖い。人は信用できない。

それは、母が私にやって見せて

教えてくれたことです。

 

私は、食べるもの、着るもの

寒さを凌ぐ場所などには恵まれていました。

けれど、温もり、優しさ、温かい眼差しなど

愛は足りなかったのです。

 

子どもが正常に心を発達させるのに

必要なだけの愛はなかったのです。

 

 

 

戦災孤児の人が

「食べるもの、着るものがないことより

人から優しくされないことが

一番辛かった」と言うように

 

私は、食べるもの、着るものはあるけれど

母から優しくされないことが

とても辛かったのです。

 

 

 

 

 

 

私は、この世でひとりでした。

 

誰も私を助けてくれない。

誰も私を認めてくれない。

誰も私を愛してくれない。

 

心理的には孤児だったのです。

 

 

 

 

 

自分のことを「心理的孤児」だと認識したら

私が不安なのは当たり前だ

恐怖がこびりついてるのは当たり前だ

と思いました。

 

無力な幼い頃

助けてくれる味方もいないのに

この世を生きていかなければならない

その不安と恐怖。

 

「この先、どうやって

生きていけばいいのだろう」と

絶望したのが心の傷になっていました。

 

 

 

 

 

母親としての機能を備えていない

母親を持った人は、少なからず

似たような絶望感、心の傷を

持っているのではないでしょうか?

 

それは、心理的孤児と言っても

いいのではないでしょうか?

 

(母親の機能とは、子どもの安全基地である、

子どもを愛し、肯定して、認める、など)

 

 

 

 

 

 

けれど、この心理的孤児という認識が

私を孤独から救い出してくれました。

 

 

 

自分には不安がある、恐怖がある。

自分は人を信用してない。

自分は人を受け入れていない。

自分は孤独で、たったひとりでいる。

 

このようなことが明確になって

問題点がはっきりしたことで

これまでとは違ったアプローチが

できるようになったからです。

 

 

 

私は、それまでは自分で

「友達はいるし、家族も仲良い」

と思っていました。

 

でも、それは上辺だけの見せかけの自分で

本当の自分は全然違いました。

 

本当の自分は、誰とも繋がらず孤独な自分。

その孤独な自分を見つけて、ようやく

これまでの苦しさに合点がいったのです。

 

 

 

 

「怖くて当たり前。苦しくて当たり前。

これまで辛かったでしょう。」と

子どもの私を癒してあげようと思いました。

 

そして、安心させてあげて

本音を言って、人と繋がれるようにと

自分自身を導いていきました。

 

「殻にこもってなくても大丈夫。

攻撃してくる人ばかりじゃない。

大丈夫、大丈夫だよ。」と

まずは家族から、自分の本当の言葉を

話すようにしました。

 

 

 

家族は、私がいつもと違うことを言っても

少しわがままなことを言っても

あっさりと許してくれました。

 

こうして、少しずつ

「自分が本当の自分でいても

受け入れてもらえる。

人はわかってくれる。

人は許してくれる。人は優しい。」

と学んでいきました。

 

 

 

ちなみに、私の家族は

おそらく全員に発達障害があって

みんな個性的で常識はずれなので

どんな私でも大体「いいよ」と

言ってくれます。

 

ちょっと変わった自分たちが

ある程度楽しくやっているので

人のことも大きな器で受け入れてくれます。

 

発達障害のある子を育てるのは

正直大変な時もありますが

この巡り合わせ、出会いは

私が救われるために恵まれたのだと思います。

 

家族は、母と真逆で

私を許してくれ、受け入れてくれ

大好きでいてくれます。

 

今の家族は、子ども時代を生き延びた

私へのご褒美だと思ってます。

 

 

 

 

 

少し話がずれましたが

自分の心の状態を正しく把握すると

次の手が打てるようになります。

 

そのきっかけに

心理的孤児」という認識は

役に立つかもしれません。

 

 

 

自分を客観的に眺めること。

それが自分を苦しみから救い出します。

 

 

 

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