心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

「全部自分の選択」という正論

 

 

 

以前、私は自分を癒すために

いろんなセッションに通っていました。

 

 

 

そんな時に、あるセッションで

自分がこうなったのはどうしてだと思うか?

というような質問を受けました。

 

「こうなった」というのは、たぶん

「辛い」ということだと思いますが

(詳細をよく覚えていない)

私は、その時思ったまま

「母の影響だと思います」と言いました。

 

 

 

すると、そのセラピストは間髪入れず

「お母さんのせいじゃなくて

自分で選んだんですよ」と言いました。

 

「全部、自分の選択です」と。

 

 

 

「自分の今の状況は全部自分の選択」

というのは、本当にそうで

真実であり、正論です。

 

今では、私もそのことを腑に落とせています。

 

 

 

 

けれど、その時の私は、そう言われて

不快に思ったことを覚えています。

 

「あなたが悪い」「人のせいにするな」

「自業自得だ」「いつまでも甘えているな」

そんなふうに変換されて

私には聞こえたのです。

 

 

 

私は、自分が否定されたようで悲しくなり

そう言い捨てたセラピストに

怒りを感じました。

 

そして、そのセラピストに対する

信頼は一瞬にしてなくなり

私は心を閉ざして、もう二度と

そのセラピストのセッションには

行きませんでした。

 

そのセラピストの思いやりに欠ける言い方

厳しい感じで「この人、私の味方じゃない」

と心のシャッターを閉めることにしました。

 

(心のシャッターは閉めても

そのあとの受け答えはにこやかにしてます。

にこやかだけど、二度と行きません)

 

 

 

 

 

こう振り返ってみると

私はやっぱり甘えたかったのだと思います。

 

傷ついた子どもの私が、まだ癒されてなくて

「私の辛さをわかって、わかって」と

周りの人に懇願していたのです。

 

 

 

この傷ついた状態の段階で

いくら真実や正論を言っても

それはその人の中に浸透していきません。

 

浸透しないどころか

その段階の人を傷つけることになります。

 

どの言葉が入ってくるか、それは

その人の心の発達段階によって変わります。

 

 

 

ある程度、準備ができて

自分を客観視できるようになれば

「全部自分の選択」と言われても

「そう言われてみればそうだな」と受け入れ

その言葉で成長することができるでしょう。

 

(「全部自分の選択」ということは

本来、人から指摘されることではなくて

自分で気づくものだと思いますが)

 

 

 

でも、まだ苦しくて悲しくて

傷ついている段階では、やっぱり、まず

その気持ちをわかってあげることが先です。

 

「この人は苦しいのだ。悲しいのだ。

今までひとりで本当にがんばってきたのだ。」

と心から共感してあげるだけで

その人はずいぶん救われ、癒されます。

 

気持ちに共感するという一番大切なこと

一番の肝になるところをやらないで

真実や正論を伝えるだけでは

人を救うことはできません。

 

タイミングによっては

逆に人を傷つけるでしょう。

 

 

 

たまに、アダルトチルドレンに対して

「いつまでも親のせいにして甘えている」

と攻撃してくる人がいますが

それも同じことだと思います。

 

アダルトチルドレンがそう言うには

それなりの歴史があって、理由があって

その傷に今でも苦しんでるということ。

 

そう言うと、「同じような経験をしても

立派に生きている人もいる」と

言う人もいますが、全く同じ経験

全く同じ感じ方というのはないわけで

人と比べることは無意味だと思います。

 

その人の経験はその人独自のものだし

その人の苦しみはその人にしかわからない。

周りの人が「苦しんでるのはおかしい」

なんて言う権利はないのです。

 

 

 

 

私は、正論を言われて辛かったという経験で

「正しいことを言えばいいという訳ではない。

そう言い捨てられると辛い存在もいるのだ」と

知ることができて良かったなと思いました。

 

このことを忘れないでいようと思いました。

 

 

 

 

 

 

私は、そのセッションのあと

悲しい気持ちになりましたが

「お母さんのせいじゃなくて

自分で選んだことだ」と言われても

それしか選べなかったその時の自分に

寄り添うことにしました。

 

選択は間違えだらけだったかもしれないけど

なんとか自分を守って生き延びた自分に

「精一杯がんばったね」と言ってあげました。

 

その選択をした自分を抱きしめました。

 

 

 

 

 

誰が何を言っても

私は、いつでも、どんなときも

自分の味方です。

 

 

 

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