心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

人のケアをしている人こそケアが必要

 

 

 

ここのところ、夫が病に倒れ、入院したり

転勤して単身赴任先から帰ってきたりと

バタバタしていました。

 

 

 

夫は、幸い命に別状はなく

もう仕事に復帰しています。

 

けれども、後遺症で体にしんどさが残り

本人的には普通の生活をしているだけで

精一杯という様子。

 

ぶっちゃけ夫は自分のことで精一杯です。

 

 

 

だから、私ができることはやり

ケアをしているのですが、本人は

「なぜ自分がこんなことになったんだ」

という怒りや

思うようにならない体への苛立ち

「この先自分の体はどうなるのか」

という恐怖で、心が危機的な状態です。

 

そんな状態なので

些細なことで心が波立ち

すべて自分が責められていると捉えて

こちらの何気ない言葉にも反応して

噛み付いてきます。

 

私は、「相当辛いのだろうな」と配慮して

言いたいことは言わずに

黙って気持ちを受け止めていました。

 

 

 

誰かのケアをする人

特に病人のケアをする人は

病人にはキツいことは言えないからと

配慮して優しくしているのではないかと思います。

 

でも、そうしていたら、私は次第に

自分の中にモヤモヤが溜まっていきました。

 

久しぶりにモヤモヤモヤモヤしました。

 

 

 

 

 

私は、毎日毎日人のケアばかりしているけれど

私のやっていることは

誰にも感謝されないし、労いもされない。

やって当たり前だと思われる。

 

私は人のケアばかりしているけれど

私のケアは一体誰がしてくれるんだろう?

 

誰が、私を優しく気遣い、心配して

励まして、支えが必要な時に

支えてくれるんだろう?

ケアしてくれるんだろう?

 

夫には、もうそれは望めない。

私にはケアしてくれる人はいない。

 

 

 

そんなふうに思ったら

それがとても私の心を重くし、疲れさせ

「しんどい」とつくづく思いました。

 

 

 

そんな心でいるから、ウンザリすることや

心が重くなることが重なって

(猫も高齢になりケアが必要になった)

心底疲れて本当に嫌になりました。

 

 

 

なので、すべてを放り投げたくなって

先日、「今日はもう自分を甘やかす!」

と決めました。

 

とことん自分を甘やかしてダラダラして

ハチミツかけたライ麦パン食べて

のんびりテレビ観て、たっぷりのお湯で

ゆっくりお風呂に入りました。

 

そうして、自分の機嫌を取ろうと決めたら

「ああ、そうか。私のケアは

私がしてあげればいいんだ」と気づきました。

 

 

 

誰かに何かしてもらおうとすると

「してくれない」と不満に思い、腹が立つ。

だから、人には期待しないで

私が、常に私を気遣い、励まして

応援して、ケアしてあげる。

それを人に求めない。

 

 

 

夫は自分のことで精一杯。

「しんどいんだね」と理解して

ケアしてあげるしかない。

 

でも、私のことも同じくらいか

それ以上に、大切にして

常に気遣ってあげたいと思いました。

 

 

 

 

 

私は、私のやっていることを

私だけはわかってあげよう。

 

私が精一杯頑張っていること。

私の行いが家族を底から支えていること。

それはやって当たり前じゃない。

私のがんばりであり、成果なのです。

 

私、いつも家族のために動いてくれて

ありがとう。

私、いつもいろいろなことを考えてくれて

ありがとう。

私、いつも一生懸命頑張ってくれて

ありがとう。

 

私は、私に感謝します。

 

 

 

 

 

自分の心の状態は

周りの人や状況に影響されるのではなくて

いつでも自分次第なのですね。

 

周りに影響されて波風が立つのではなく

自分の心は自分が決める。

どの気分かは私が選ぶのです。

 

 

 

人のケアをしている自分こそ

しっかりと自分でケアしなければ、と

強く思いました。

 

 

 

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