心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

20歳を過ぎたら自分の責任?

 

 

 

昔の日記から。

 

 

 

*  〜  *  〜  *

 

 

 

アダルトチルドレン

親との関係がうまくいかなくて

生きづらくて、苦しい。

 

けれど、そのことを

「苦しい。辛い。親が許せない。」と

心の内を明かすと

「20歳過ぎた大人が

まだそんなこと言ってるの⁉︎」と

責める人がたまにいる。

 

「20歳過ぎたら辛いのは自分の責任だ。

自分で何とかしないなら自分のせいだ。」と。

(私が誰かに言われたわけではない)

 

人生の主導権を他人に握られ空っぽな人間は

責められるべき人間なのだろうか?

 

 

 

 

 

私は、自分の育ち方を諦めた。

自分の育ち方を受け入れた。

やっと「仕方ない」と腑に落とせた。

 

今はもう中年と言われる年齢だ。

私は、もしかして、20歳過ぎたら

この心境になれていたのだろうか?

 

洗脳先から離れて

自分の人生を生きると決断できた?

 

私には無理だった。

洗脳されてることに気づけなかった。

やっと気づけたのがこの間だった。

 

自分の生き方に気づけない。

気づけないから改善できない。

 

なぜ、気づけなかったのだろう?

なぜ、私は自分で生きていないと

気づけなかったのだろう?

 

それは、私が自分の心の奥底を

見れなかったからだ。

上辺でなんとかしようとする。

 

人生うまくいってるわけではないが

行き詰まってるわけでもない。

なんとかやり過ごしてきた。

 

 

 

 

そんな中で、何か大きな問題が起こると

その時に必要なことに気づく。

 

そうして、年月をかけて

ひとつひとつ気づいていき

たぶんある時、あるレベルに達して

やっと自分の生き方に気づけたのだ。

 

気づきを積み重ねるのに年月が必要で

私はこの歳になってしまった。

私は、これだけの時間が必要だった。

 

だから、いいではないか。

 

 

 

 

 

空っぽな人は責められていい存在ではない。

 

みんな、それぞれ一生懸命生きている。

辛さの中でもがいて

なんとか生き残ろうとしている。

責められる必要などない。

 

私は、私のタイミングで気づけた。

それは、人生の後半になってしまった。

 

でも、サボっていたわけでも

悪いことしたわけでもない。

 

ずっと一生懸命、自分と向き合ってきた。

だからこの時間が必要だったと思える。

 

空っぽなのは私のせいじゃない。

自分を責めて、得るものなど何もない。

だから、これでいいのだ。

 

 

 

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