心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

私は溺れる者だった

 

 

 

苦しくてしょうがなかった頃

私は幸せになりたくて

さまざまな望みを持った。

 

 

 

人生を充実させたい。

人の役に立ちたい。

使命を生きたい。

特別な人になりたい。

力が欲しい。

成功したい。

何者かになりたい。

などなど。

 

要するに

自分の人生をキラキラさせたかった。

 

 

 

 

でも、これらの望みの下には、私の

自己否定、劣等感、無価値感、不足感

があった。

 

だからこそ

人から必要とされたい

褒められたい、感謝されたい

崇められたい、認められたい

尊重されたい、下から抜け出したい

惨めになりたくない、と思った。

 

 

キラキラした人生になれば

自分にべっとりと張りついた

惨めな思いから解放されると思った。

 

そのために、特別な人になり

力を持ちたいと思ったのだ。

それは、切実に、そう望んだ。

 

 

 

 

その時の自分は、それを

自分の本当の思い、望みだと思っていた。

そんな下心があるとも気づかずに

「私の進むべき道」だと思っていた。

 

でも、冷静になって我にかえり

真の自分自身を見つめ

依存心を手放してみると

本当の自分が姿を現した。

 

それは、苦しみにもがき

なんとか生き残ろうとする自分の姿だった。

私は「溺れる者」だった。

 

キラキラしたい自分が

「溺れる者」だったなんて。

 

真実を見ると、惨めな自分は

間違えた道へと足掻いて

さらに惨めな存在になっていた。

 

この事実を知るのが怖くて、痛くて

本当の自分は、簡単には見えないように

なっているのかもしれないと思った。

 

 

 

 

私が、「自分の望み」と思ったものは

全部、自分を満たすための我欲だった。

 

純粋な望みではない。

自分の不足感を埋めるための

エゴの望みだった。

 

人のためにがんばるのも

趣味に打ち込むのも

何かを目指すのも

全部そのためのものだった。

 

 

 

 

私は、ただ特別な人になりたかったのだ。

 

なぜなら、自分は何の取り柄もなく

価値もなく、何のために生きているのか

わからないからだ。

 

自分のような価値も意味もない人間に

生きていていいという

ちゃんとした理由が欲しかったのだ。

 

私は、この世で、ただ

心穏やかに生きたかったのだ。

「生きていていい。そのままいていいよ。」

と自分に言いたかったのだ。

 

でも、そのままの自分にはとても言えない。

だって自分はダメな人間だから。

だから、特別な人になりたかった。

 

そんな思いだった。

 

 

 

 

 

だけど、私は気づいた。

 

そんなふうに自己否定したまま

どんなに立派になって、キラキラして

いろんなもので埋めていっても

いつまでたっても自分は満たされないことに。

 

結局、自分をずっと否定しているのだから

我欲を満たすことでは幸せになれないのだ。

 

 

ならば、本当の幸せとは何か?

 

 

 

 

それは、やっぱり、まずは

ありのままの自分を知ることからだ。

 

ありのままの自分を知ることは

とても怖いし、痛いし

惨めな気分を味わうかもしれない。

 

でも、そこからしか幸せにはなれない。

ワープもパスもできない。

自分に嘘をついたまま幸せにはなれない。

ありのままの自分を見るしかない。

 

ありのままの自分を知って

そして、その自分を愛すること。

 

平凡で、パッとしなくて

特に自慢できることもなく

普通で、地味な自分を

そのまんま受け入れて、愛する。

 

自分は自分のままで存在していていい。

そのまま安心して、そこにいればいい。

 

それができたら

周りから褒め崇められなくても

平凡な毎日の中に

小さな幸せをたくさん感じながら

楽しく過ごすことができる。

 

それが、本当の幸せなのではないかと思う。

 

 

 

「自分を知り、愛する」というと

聞き飽きたようなことだけれど

本当に心穏やかに生きたければ

そこを通らなければならない。

 

そのために、私は今でも

自分と向き合う。

 

ただ、ひたすらに自分と向き合う。

 

 

 

そんな道中も楽しいものだ。

 

 

 

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