心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

うちの猫という存在

 

 

 

柔らかくて、あったかくて

かわいくて、小さな命が

私を信頼してくれて

私を好きでいてくれて

 

ぴたっと寄り添ってきたり

瞳をじっと見つめてきたりする。

 

私は、心から

「今ここで一緒にいてくれてありがとう」

と思う。

 

「出逢わせてくれてありがとう」

と感謝する。

 

私は、うちの猫といられることが

本当に幸せだと思っている。

 

 

 

*  〜  *  〜  *

 

 

 

以前、猛烈に

特別な人になりたいと願っていた私は

愛するうちの猫を見つめ

はたと思った。

 

 

 

うちの猫は、世間から見れば

特別な猫ではなく

平凡な雑種の家猫だ。

 

特技もなく

虫を見れば逃げるような怖がりだ。

 

平凡なうちの猫は

何か否定される存在だろうか?

 

うちの猫は劣っているだろうか?

うちの猫は何か罪を犯しただろうか?

うちの猫に価値はないのだろうか?

 

 

 

違う。

 

うちの猫は

そのままで素晴らしい愛の存在だ。

 

私にとって、うちの猫は

大切で、大好きで、尊い存在だ。

 

存在そのものに価値がある。

 

そのことが猫だとよくわかる。

 

 

 

 

平凡だから、何の取り柄もないから、と

自己否定、劣等感、罪悪感、無価値感を

抱くのは、おかしなことだ。

 

何か勘違いしている。

 

自分のことだと

そのおかしさになかなか気づけない。

自分のことだと

自分の存在について、見誤る。

 

 

 

 

でも、大好きなうちの猫に

置き換えて考えてみると、よくわかる。

 

「平凡だからダメ」

「取り柄がないからダメ」

などというのはおかしいのだ。

 

存在だけで愛おしいではないか。

その人そのものだけで充分ではないか。

 

それは、猫も人間もきっと同じだ。

地球上に生きているものは

すべて愛の存在なのだ。

 

 

 

うちの猫は

そのことを私に教えてくれた。

 

 

 

うちの猫は平凡な猫だけれど

そのことを本人は気にしていない。(と思う)

 

自分なんてダメだ…とか

役に立たなくてすみません、とか

ネズミ取るの苦手でごめんなさい、とか

負担かけてすみません、とか

 

どうして自分は黒猫なんだろう、とか

どうしてお母さんは僕を捨てたんだ、とか

捨てられた時ひとりで怖かった、とか

これからどうなるんだろう、とか

 

考えていない。(おそらく)

 

 

 

うちの猫は、今のことしか考えてない。

うちの猫は、今に生きている。

 

過去を悔やんだり

未来を不安に思ったりしないで

甘えたい時には甘えて

嫌なことされたら嫌な顔をして

我慢できなければ怒って

自分に用事がなければ知らん顔して

あからさまに手のひら返しをして

悪びれもせずに普通にしている。

 

自分に正直に、今に生きている。

 

だから、とても澄んでいる。

 

 

 

 

猫が教えてくれる。

 

生き方も

在り方も

自分の存在というものも。

 

 

 

愛するうちの猫。

今日も私の隣で眠っている。

 

 

 

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