心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

退屈な日常を丁寧に味わう

 

 

 

昨日の記事の続きですが

私は、自分自身を取り戻すべく

スピリチュアル依存を手放しました。

 

 

 

 

それまでスピリチュアルにかけていた時間

本を読んだり、人のブログを読んだり

瞑想、お祈りをしたり

感謝の言葉を言ったり、何かワークをしたり

セミナーやセッションを受けたり

という時間がなくなり

一日の中にぽっかりと穴が開きました。

 

その何もない時間の隙間がなんとも退屈で

私の日常はとても暇になりました。

とてもつまらなくなりました。

 

気分が高揚することもなく

刺激もなく、本当に何もない。

日常は一気に色褪せて見えました。

 

 

 

 

でも、つまらないからといって

ここで慌てて何かで埋めようとするのは

同じことの繰り返しになると

わかっていました。

 

それでは、自分の辛さを何かで誤魔化す

ヒリヒリとした依存の状態と同じです。

 

それではまた、何かを目指すことになる。

それではまた、大切なことに気づけない。

 

だから、空虚感を感じても

ここで慌てて何かで埋めようとはしない。

充実感やワクワク感を求めて

何かで補おうとしない。

 

そう、グッと堪えました。

 

 

 

 

私はまず、退屈な日常を

どっぷり味わってみることにしました。

 

普通の毎日をしっかりと丁寧に

生きてみようと思いました。

 

私は、普通の毎日に、すごく大切なことが

隠れているような気がしました。

 

日々の営み、普通の毎日、ありのままの自分

ここに大切な何かが隠されている。

私はそれを見つけたいと思いました。

 

 

 

 

 

日常をフラットな目で見てみると

それは、食べること

汚れたものをキレイにすること

乱れたものを整えること、がいっぱい。

 

それと、育むこと、愛すること

作り出すこと、表現することも。

 

こんなふうにして、人間って生きてる。

こんなこと毎日やってたんだなぁ、と

改めて思ったりしました。

 

 

 

食べたり、整えたり、愛したり。

そんなことをじっくりと見て感じてみると

そこにはすべてに愛があり

慈しみ、愛しさを感じる自分がいました。

 

 

 

 

日常や自分など

今ここにあるものに目を向けて

それを味わい、楽しむことは

「今ここを生きること」

そのものだと思いました。

 

何かを求めたり

理想の自分になろうとするのは

今ここにあるものを味わわず

目を背けることになります。

 

つまり、今ここを生きられない。

 

 

 

退屈だと思っている日常を

しっかりと丁寧に味わってみると

今この瞬間を生きることができます。

 

それができると、自分は安心して

落ち着いて、満たされることを発見しました。

 

そして、大きな事件がなくても

日常のささやかなことに幸せを感じて

いつも当たり前にあるものに

「すごくありがたい!すごく嬉しい!」

と感謝が湧いてきます。

 

そうなると、もう必死になって

自分に何か与えようとしなくてもよくなり

自分はありのまま、今を楽しむことができます。

 

 

 

しっかりと、「今にいること」が大切で

それは依存していては難しく

ただ、今あるものを味わうだけです。

 

それは、言い換えると

何でもない日常を慈しみ

丁寧に楽しむということなのです。

 

依存の高揚感とは違う

穏やかな喜びが、そこにはあります。

 

 

 

目の前のことをじっくり見てみる。

しっかり味わってみる。

 

そこから世界は変わります。

 

 

 

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