心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

自分の快を大切に

 

 

 

自分が感じる快、不快を

ねじ曲げないで

感じるままに日常を過ごしていくことは

とても大切なことです。

 

 

 

快、不快をいつもねじ曲げていると

自分の中で誤作動が生じて

「自分」という人間が起動しなくなり

動けなく無気力な状態になるのです。

 

 

 

「快、不快をねじ曲げている」と言っても

自分でそれをやっているという自覚すらなく

毎日やり続けている人も多いでしょう。

 

自分の感覚に無頓着でいると

そういうことが起こります。

 

 

快、不快をねじ曲げるとは、例えば

「疲れたけど、疲れたなんて言ってられない」

「こうしたいけど我慢しよう」などと

自分が感じたことと違うことをすることです。

 

自分が素直に感じたことに

「それではダメ」とバツをつけることです。

 

 

 

 

それは、ものごとを

「正しい、間違えている」「良い、悪い」

と、ジャッジしていると起こります。

 

すべてのものごとを

このジャッジする目線で見ていると

自分に対しても「それは良い」「それはダメ」

と判断していて、そうすると

お馴染みの「こうでなければならない」

「こうすべきだ」という

ねばべきの思考で自分を縛ることになります。

 

自分は「ダメ、悪い、間違えている」

のままでいてはならず、それを正して

より良い自分にならなければ

と思うからです。

 

こんなふうにしていると

自分は、自分として起動せず

誤作動を起こして

イキイキと生きられないでしょう。

 

 

 

 

 

自分に誤作動を起こさせないためには

自分に起こる出来事や

自分の目の前のものごとを

「良い、悪い」「正しい、間違えている」と

ジャッジしないでいる姿勢が大切です。

 

ジャッジをしないで

それら出来事、ものごとをフラットに感じて

自分にとって、これは快か?不快か?と

本能のままに感じ取るのです。

 

自分が「これは良くない」と思うことの中に

自分の「快」があることはよくあることだし

「これは正しいはずだ」と思うことの中に

苦しさや違和感などの「不快」が

あるかもしれません。

 

ダラダラと過ごした一日が「ダメな一日」

ではなくて、本当は

「ああ〜ゆるむ〜リラックスする〜」と

自分を癒し、英気を養っている、とか

 

きちんとやるべきことをやっている

正しい自分に息苦しさを感じたり

疲れを感じている、とか。

 

 

ものごとを正しいか、正しくないか

で判断するのではなく

自分が心地いいか、心地よくないか

で判断するのです。

 

今、自分は快か?不快か?が

一番大事なのです。

 

 

 

 

自分の感じる快、不快を本能のままに感じ

それをあれこれねじ曲げない。

そのまんま受け取り、感じるのです。

 

自分の快の感覚をよく味わい

大切に生活していると

セロトニンの分泌量が増えるそうです。

 

セロトニン

幸せホルモンと言われていますね。

 

 

 

 

自分の快を大切に

おいしいと思うものを食べて

着たいと思う洋服を着て

行きたいと思うところに行き

したいと思うことをすればいいのです。

したくないことはしなくていいのです。

 

 

 

そうして、自分の快、不快を歪ませず

そのまま感じて日常を過ごしていくと

自分は、自分として、輝く自分自身を

生きることができるのだと思います。

 

 

ジャッジ、判断ではなく

(思考優位ではなく)

大切なのは、自分はどう感じるか?です。

 

人間は感じる生き物なのです。

 

 

 

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