心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

一緒にいてくれる人がいる

 

 

 

先日、夜、突然

知り合いから電話がかかってきました。

 

その内容は重要なものではなく

「コロナ大丈夫?」とのこと。

それから1時間以上の長話になりました。

 

 

 

その時間、私は家事が終わって

ホッと一息ついて好きなことをして

自分の時間を過ごしていたので

電話を切ったあと、私は

自分の時間を奪われた気分になりました。

 

何でも話せる気心の知れた友達と

楽しくおしゃべりできたなら

そんなふうには思いません。

 

でも、その人はそこまで親しい間柄でもなく

話は、その人の話を一方的に聴く形になりました。

 

「人の話を聴く」というのは

自分のエネルギーを差し出す行為で

だから、人の話を聴いたあとは

ぐったり疲れたりします。

 

だから私は、その時「奪われた」

と感じたのです。

 

 

 

 

 

思えば、私も昔はいろんな人と

電話でおしゃべりしていたな、と

思い出しました。

 

その頃は「ひとりの時間」「自分の時間」

などと、意識することもなく

特別必要とも思っていませんでした。

 

家族を持つ前は、それだけ

自分のために時間を使うのは

当たり前のことなのでした。

 

勉強していても、仕事をしていても

時間は、自分のために使うのが普通で

当たり前なのでした。

 

 

 

 

でも、今、家族ができて

主婦、妻、母親という立場になると

時間は、人のために働いて

なくなっていきます。

 

「100%自分だけの時間」というのは

私にとって、とても貴重なものになりました。

 

 

 

 

今の私の周りにはいつも家族がいて

それが当たり前で、「自分の時間」は貴重で

私はいつも「ひとりになりたい」と

願っています。

 

「ひとり暮らししたいなぁ」と妄想し

さぞや楽しいだろうと思ってます。

 

「自分のやっていることを

中断させられたくない。邪魔されたくない。」

 

「自分ひとりのことだけやればいいなんて

なんて楽なんだろう。

思う存分、自分のやっていることに

集中できるなんて、ストレスがなく

なんて嬉しいことだろうか。」と思ってます。

 

 

 

 

 

私は、気づいてないのかもしれません。

今、自分が受け取っている恩恵を。

 

 

「おはよう」「おやすみ」と

言い合える人が自分のそばにいるということ。

 

ふと思ったことやたわいない話を

気軽にできる人がいつも近くにいるということ。

 

美味しいものを一緒に食べて

「美味しいね」と言い合える人がいるということ。

 

自分が人のためにできることがあるということ。

 

時には、自分を気遣い、助けてくれる人が

一緒に暮らしているということ。

 

 

 

今当たり前にある、これらの有り難さを

私は本当に理解して、その素晴らしさを

100%受け取っているでしょうか?

 

 

 

受け取っていないのです。

気づいていないのです。

 

そうして、気づかないまま

ひとりになった時、失ってみて

やっと気づくのです。

 

「ああ、あの頃、私は幸せだった。

私は恵まれていたのだ。」と。

 

 

それは、若い頃に

当たり前にある「自分の時間」が

本当はとても素晴らしく貴重なものだと

気づかなかったのと同じように。

 

 

 

それが失われるとわかるのです。

 

 

 

 

先日、夜、突然電話してきた人は

そのことを私に教えてくれました。

 

その人は、数年前にお母さんを亡くし

ひとりになって「その時」を生きています。

 

「ひとりで暮らす」ということ。

 

 

 

それがどんな気持ちか

本当のところは私にはわかりません。

 

でも、夜、私に突然電話してしまうほどには

孤独で、不安で、苦しいのかもしれません。

 

そう思うと、「私の貴重な時間を奪われた」

と、その人を切り捨てるのは違う気がします。

 

かと言って、私が犠牲になって

時間もエネルギーもすべて差し出すというのも

私に対して愛がありません。

 

その人にも私にも、すべての人にとって

愛のある行動は何なのか

考えていきたいと思いました。

 

 

 

そして、今ある素晴らしい贈り物を

それが、かけがえのないものなのだと

気づきながら100%受け取りたいです。

 

一緒にいてくれる人、家族、時間、健康など。

 

 

それは永遠に

自分が持ち続けられるものではないのです。

 

いつかは手放す時がくる。

その時になって「大切だったのだ!」と

気づくのではなく、今手元にあるこの瞬間に

もう気づいていたいです。

 

「私はかけがえのないものに囲まれている。

私は素晴らしい贈り物を受け取っている。

私は恵まれている。」と。

 

 

 

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