心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

人を癒してあげたい人は自立できてない人

 

 

 

思い返すと、私はいつも

私を頼ってくれる人を

探していたように思います。

 

それは、ほとんど無意識に、自動的に。

 

 

 

誰かが私を頼ってくれたり

悩みを相談してくれたりすると

私は、親身になってその人に寄り添い

自分にできることを精一杯やりました。

 

そして、その人が幸せになれるようにと

本当に嘘偽りなく思っていたつもりでした。

 

 

 

でも、今振り返ると

「それは違う」とわかります。

 

 

 

私は、誰かを助けることで

自分の価値を高めていたのです。

 

もともと

「自分には価値がない」と思い込んでいて

そのままの自分で

無邪気に楽しんでいることができず

いつか誰かに糾弾されるのではないか

ということを恐れ、落ち着かず

「何か良いことをしなければ」

と必死だったのです。

 

 

 

もちろん、そんな理解は

その時の自分にはありませんでした。

 

でも、頭の片隅で

「私は自分を必要としてくれる人を

必要としている」とわかっていたように

思います。

 

その思いがよぎると、すぐに

エゴがそれを打ち消して、私の心を

「この人に私ができることはないか?」

という思いでいっぱいにしてしまいます。

 

その方が、自分の内側は平和で

なんとか生きていけるように思えたのです。

 

 

 

誰かに寄り添っている時

誰かを助けている時、癒している時

誰かに頼ってもらっている時だけ

私は価値を持ち、輝きます。

 

「私がいなければこの人はダメになる」

と思える時、私は安定して

最高に幸せを感じていました。

 

助ける誰かがいなければ

自分が存在できないのでした。

 

 

つまり、自分自身が

助けさせてくれる相手に依存していたのです。

 

これが共依存です。

 

 

 

 

 

人を癒してあげたい人は自立できてない人です。

 

人間というのは、本当は

自分で自分を癒やすことができます。

 

だから、本来は

自分を愛で満たすことだけに集中すれば良くて

人のことまでやろうとするのは

その見返りに感謝や賞賛が欲しいから。

承認欲求を満たしたいから。

 

 

 

人は、その人の力でちゃんと幸せになれる。

 

だから、自分も

誰かを助けて幸せになるんじゃなくて

自分の欲求に応えてあげて

自分を満たしていくことで幸せになるのが

自然な在り方なのです。

 

 

 

「人は誰でもひとりであって

孤独な存在なのだ」というのが真実です。

 

ひとりが怖くて、誰かに縋りつきたい、

誰かを助けることで一緒にいたい、と思っても

そうやって孤独から逃げている間は

心の平穏は訪れないでしょう。

 

「自分はひとりなのだ。孤独なのだ。」

ということを目を逸らさずに

受け入れられると、他者は必要なくなって

自分は自由に羽ばたくことができます。

 

 

 

自分が存在するために

他者が必要ないというのは

なんて自由で、健やかで、伸びやかで

いい気分なのでしょう!

 

自分は

自分を満たすことだけに集中すればよくて

人のことなんてどうでもよくて

(人は人で自由に幸せになるから)

自分の欲望に従って

好きに生きればいいのですから。

 

 

 

私は「私の幸せは私ひとりで完結するのだ」

ということが腑に落ちた時

自由になれました。

 

 

自立とは

こういうものなのだろうと思います。

 

 

 

 

(愛に満ちている人が

たくさんの人を救うというのは

よくあることです。

また、災害や戦争などで

困難に陥っている人を助けるのは

人間としての自然な姿です。

人間は助け合う生き物だからです。

なので、今日のお話は

「人を助けようとすることは良くない」

という意味ではありません。)

 

 

 

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