心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

自分に甘い夫

 

 

 

私の夫は去年

脳梗塞になって入院しました。

 

 

幸い、症状は軽くて命に別状はなく

後遺症で左半身が痺れているようですが

日常生活は普通に送れています。

 

仕事にも毎日通えていて

今のところ問題ありません。

 

 

 

 

そんな夫ですが

私は常々不思議に思うことがあります。

 

 

入院した時に病院の先生から

食生活や日常生活の注意点を

一通り説明してもらったはずなのですが

うまく守れていないのです。

(カロリーを抑える、運動をする

タバコを止める、飲酒はほどほど、など)

 

私が「お酒飲み過ぎなんじゃないかな」

と思って、そう言うと

「先生がお酒は飲んでいいと言った。

ストレスの方が怖いからいいんだ。」と言い

 

ラーメン、焼肉と一日のうちに

立て続けに食べているのを見て

私が「カロリー取り過ぎじゃない?

そんなに脂っこいお肉をたくさん食べたら

血管に良くないよ。」と言うと

「そんなに食べてないよ。

先生がお肉は食べないとダメって言ったし。」

と言います。

 

私は、先生が言った「お肉」とは

鳥のささみや豚のヒレ肉などの

ことだと思うのですが

夫が好んで食べているのは

脂ギトギトのモツや豚バラ、牛カルビなどです。

 

それを「お肉」と称して

堂々と食べているのです。

 

そんな食生活なのに

「俺は食事には気をつけている」と

豪語しているので理解に苦しみます。

 

 

 

夫は、先生からの説明やネット、テレビなど

すべての情報の中から

自分に都合のいいものだけを

自分に都合のいいように変換して

取り入れる癖があるようです。

 

 

 

 

私が不思議なのは

命を落とすかもしれない大病をして

また、今現在の日常生活の選択が

命を縮めるかもしれないのに

それでも自分の欲を優先するところです。

 

私は、自分を律するのが得意な方で

むしろ自分に厳しくしすぎないように

注意しているくらいなのですが

そんな私から見ると

「なんで我慢できないんだろう?」

と本当に不思議です。

 

そして

「自分の体をなぜそんなに蔑ろにするのか」

「どうしてそんなに自分に甘いのか」

「どうして物事をよく考えないのか」

「どうしてそんなに欲望に流されてしまうのか」

と、責める気持ちが湧いてくるのです。

 

 

 

私は、夫の体が

懸命に夫にメッセージを送っているのに

それには気づかず

体の負担になるようなことをするので

夫の体がかわいそうでなりません。

 

もちろん「検査結果が異常ということは

体からのメッセージなんだよ」とか

「必要以上に食べものを体に入れるのは

内臓に残業をいっぱいさせているのと同じ。

もう無理って言ってるのに

それでもノルマを課すブラック企業

同じことを体にしてるんだよ。」など

言葉で伝えようと努力するのですが

「そうだね」と言いながら

行動は変わらないので

わかってないのだと思います。

 

 

 

 

そんなこんなで

「なんでこの人はこうなんだ⁉︎」と

常々思っていたのですが

この間、ふとある考えが浮かびました。

 

それは「この人がこんな人だからこそ

私は許されているんだ」というものでした。

 

 

 

それは突然の閃き。

突然わかったという感じ。

 

 

 

夫が、物事を深く考えないで

自分に甘く、自分を律することができないから

人にも甘く、大らかで

私は、家で何も言われず

自分のままで自由でいられるのです。

 

私が、家でのびのびしていられるのは

そんな夫だからなのです。

 

もし、ちゃんと考え

きちんと自分を律することができたら

私に対して、もっと小言めいたことを

言うかもしれません。

 

ダラダラするな、とか

きちんとしろ、とか

言われていたかもしれません。

 

 

 

そう考えると

今の私の自由、幸せは、やっぱり

夫が夫らしくいるからなのです。

 

「夫は欠点も含めて、そのままでいいのだ。

それが夫という人なのだ。」と思いました。

 

 

 

 

私の物差しで見ると

「なんでそんなことできるの?」とか

逆に「なんでできないの?」ということでも

その人の中ではそういうものなのでしょう。

 

それを私が「直す」必要はないですし

また、その権利もありません。

 

私自身も、人から見たら

とんでもない欠点を持ち

ダメなところもたくさんあります。

 

それも直す必要はなく

そのままで存在していていいのです。

 

 

 

 

人同士は、みんなそのようなもので

欠点を持っていたとしても

その人がその人のままでいることで

その恩恵を周りの人は貰えるのだと思います。

 

私が、自分にも人にも大らかな夫に

日々、救われているように。

 

 

 

私は、夫のことを

「そうか、そういう人なのか」と受け入れ

ガミガミと締めつけることだけは

しないようにしようと思いました。

 

そして、悲鳴をあげている夫の体を

どのように労ろうかと

思案しているところです。

 

 

 

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