心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

みんなでひとつ

 

 

 

以前、私は孤独感と不安に苦しんでいたけれど

今はもう、そう感じてないことに気づく。

 

 

 

特に、ここ2年のコロナ騒動で

私は、地球や人類のことを考えるようになった。

 

「地球や人類のために

私ができることはなんだろう?」と考える。

 

私にとって、地球や人類は

「仲間」だからだ。

 

コロナにまつわる体験で

「この世界はみんなでひとつだ」

という実感を得られたことで、そう思う。

 

 

 

 

ありがたいことに、私の便利や幸せは

遠く離れたところで仕事をする人によって

支えられている。

 

モノを作る人、運ぶ人、売る人

仕組みを考える人、構造を維持する人

メンテナンスする人、表現をする人、など

すべての働く人が

私の幸せを支えている。

 

誰が欠けてもダメでみんな必要。

みんな繋がっている。

 

その周りの人に対する感謝の念が

「みんな仲間」という気持ちを強くする。

 

 

 

 

大切な仲間だから、助けたい。救いたい。

 

ということは、私もその繋がっている

「ひとつ」の中に入っている。

 

私が欠けたらダメだし

私も、大切な「仲間」なのだ。

 

買う人がいなければ

モノの流れは滞るのだから

買う人である私も必要なのだ。

 

経済的観念以外でも同じ。

みんなでひとつ。

 

 

 

 

だからか、と思った。

私が今

あまり孤独感や不安を感じなくなったのは。

 

私はもう、みんなの繋がりの中に入っているし

ひとりじゃないし、いつでも助けてもらえる。

 

私がいつでもみんなを助けたいと思うように

みんなも助けてくれるのだ。

 

私が、地球や人類を「仲間」と認識したら

私もみんなの「仲間」になった。

 

本当は、始めから繋がりの中にいたけれど

気づいていなかっただけだ。

もうみんなの中にいると気づけば

すぐに繋がれる。

 

自分のことしか考えられない時は

分断されているように感じるのだ。

 

 

 

 

 

「ああ、みんなでひとつなんだ」と

腑に落ちた時、私は感動して涙が出た。

 

「合ってるね。ありがとう。」と

私は、自分の胸に言った。

 

 

 

 

 

ややこしいのだけど

ここで言う「助けたい」は

自分の価値を高めるための

「助けたい」とは違う。

 

自分が良い人に見られるように

自分が感謝されるように

自分が役立つ人間だと証明するように

いわゆる、自分の利益のために

「助けたい」と思うのとは違う。

 

同じ「助けたい」でも

スタート地点の動機が違う。

 

 

 

私にも、自分の利益のために

自分のために人を助けたいと思う時があった。

 

けれど、これをやると

自分が苦しくて、疲れて、気持ち悪かった。

 

だから、人を助けようとすることは手放した。

 

 

 

 

今の「助けたい」は何と言えばいいのか…

普通?自然?心地いい?素直な在り方?

そんな感じだ。

 

別に誰にアピールするわけでもなく

お返しを期待するわけでもなく

自分の立場を固めようとするでもなく

ただ、そうするのが自分の自然な在り方。

当たり前でいて、心地いい在り方。

 

地球が悲しんでいたら私も悲しい。

人類が傷んでいたら私も痛い。

動物も植物もモノも土地も

みんな幸せであってほしい。

 

ただ、そう思う。

 

 

だから、助けたい。

 

 

 

私はもう、孤独でも不安でもない。

私はもう、落ち込んでいない。

 

なぜなら、私は

繋がっている全体の中のひとりだから。

 

私は、ひとりではないのだから。

 

 

 

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