心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

悪くもないのに謝っちゃだめ

 

 

 

以前、私は、義理の姉(夫の姉)に

酷い扱いを受けていました。

 

無視される

指図される

余計な口出しをされる

文句言われる

理不尽に当たられる

怒られる

恨まれる

責められる

糾弾してくる

などなど。

 

 

 

今は、自分を守るために距離を置いて

ほとんど会うことはありません。

 

今思えば、義理の姉は発達障害があり

二次障害で精神疾患もあったのではないか

と思います。

 

そのくらい、人に対する要求が高く

柔軟性がなく、思い込みが激しく

思い通りにならないことが許せず

一度気に入らないことがあると

怒りがいつまでもおさまらず

相手を攻撃するのです。

 

そして、自分に都合の良い作り話をして

周りの人達に「自分がいかに正しいか」を

捲し立てていました。

 

明らかな嘘なのですが

まるで本当のことのように話すので

「もしかして、姉にとっては

真実なのかもしれない」と

私は空恐ろしくなりました。

 

 

 

 

 

そんな人だったので友達はひとりもなく

どこで働いても人間関係のトラブルで

長続きせず、今は働いてないと思います。

 

子どもはいませんけれど

結婚できたことは

姉にとっては幸運なことでした。

 

 

 

 

 

そんな姉から、私はよく標的にされました。

 

立場上、私の方が下ですし

義理の両親が存命の頃は両親の目が気になり

いい嫁と思ってもらいたくて

とても従順だったからです。

 

私は、姉の言うことを大人しく

「はい」と聞いて

自分が悪くもないのに

責められると謝っていました。

 

理不尽に糾弾されても

私は人目を気にして穏便にやり過ごそうと

「すみません、すみません」と

謝ってばかりいました。

 

 

 

 

 

この一連の姉との出来事が

私の心をひどく傷つけました。

 

そして、私の中に殺意すら芽生えるほどの

憎悪や怒りが溜まっていました。

 

言いなりになって謝っていた頃は

そのことに気づかず

後になってから気づき

私は、姉から酷い扱いを受けたことを

許せない思いになりました。

 

 

 

 

 

私は、姉を殺したいほど憎いと思い

怒りに駆られました。

 

でも、その怒りをよくよく掘っていくと

一番傷ついたのは、自分が自分を

守れなかったことだったのです。

 

 

 

 

人目を気にして穏便にやり過ごそうと

はいはいと言いなりになったり

自分が悪くもないのに謝ったりした。

 

このことが、ものすごく私を怒らせ

傷つけたのです。

 

 

 

それは、自分の尊厳を踏みにじり

自分の存在を軽く扱い、後回しにして

自分を無視して黙らせ

粗末に扱うことでした。

 

自分を大切にしない

愛のない行為でした。

 

自分よりも

周りの目や姉の機嫌を優先したのですから。

 

 

 

 

本当は、理不尽なことを言われたら

怒ってもいいし、言いたいこと言っていい。

悪いことしてないのなら謝らなくていい。

 

それで嫌われても、悪口言われても

波風が立っても、関係が壊れても構わない。

そういう関係は

結局は、遅かれ早かれそうなるのです。

 

だから、始めから我慢しないで

自分を守るために立ち上がって

戦っていいのだと思いました。

 

 

 

 

言いたいこと言っていいし

悪いことをしてないのに謝るのは

本当にやっちゃいけないことです。

 

本当に怒りが溜まるし、惨めになるし

自分を傷つける行為です。

 

「悪くもないのに謝っちゃダメ!

自分のために戦え!」と

私は、自分を見捨てないで

しっかり守ろうと思いました。

 

 

 

私は、勇気がなくて

自分を売り渡して守れなかったこと

我慢させて悔しい思いをさせたこと

悲しい思いをさせたこと

自分を貶めて尊厳を踏みにじったこと

自分を大切に尊重できなかったこと

などを自分に謝りました。

 

そして、自分のことは自分が守ると

決めました。

 

 

 

 

 

ある時、私はいつものように、姉に責められ

物まで投げつけられるということがありました。

 

けれど、その時は

自分の中にはっきりと怒りを感じ

思っていることを全部言うことができたのです。

 

姉を睨みつけ、怒りを露わにして

「私を馬鹿にしたら許さない!」

という気迫で、言いたいことを言いました。

 

(怒りは、自分や自分の大切なものを

守るために必要な感情です。

だから、怒りの感情が湧くことに

罪悪感を感じる必要はありません。)

 

姉も一歩も引かず、屁理屈を捏ねていましたが

それでも、私は満足でした。

 

(屁理屈を捏ねながら、姉は

怖がっているようにも見えました)

 

 

 

私は、本当に満足しました。

 

私は迎合しなかった!

私は自分の味方になった!

私は自分を裏切らなかった!

 

そのことが嬉しく

そう行動できた自分を誇らしく感じました。

 

 

 

結果は問題ではないのです。

自分が自分をどう扱ったか

そのためにどう行動したかが大事なのです。

 

そうして、自分を守り、大切にできた時

自尊心が育ち、自信も育ち

さらに自分を愛することが

できるようになっていくのでしょう。

 

自分がとても喜び

自分の内側は満たされていきます。

 

この感覚は「幸せ」だなと思います。

 

 

 

 

 

ちなみに、姉とは、その対決した時を最後に

一度も会っていません。

 

私の学びが終わったので

もう会う必要がなくなったのでしょう。

 

今、私の周りには

私を粗末に扱う人はひとりもなくて

毎日、平和に暮らしています。

 

 

 

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