心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

甘えがある人は人から奪う

 

 

 

人に、延々と自分の話を聴いてもらう。

自分の愚痴、弱音、不平不満、悪口を

一方的に聴いてもらう。

 

こんなシチュエーション

よくあることかもしれません。

 

 

 

 

これの聴く側になったことが

あるでしょうか?

 

聴く側は、話が終わった時

ドッと疲れるのです。

 

自分の話は一切せず(させてもらえず)

一方的に人の話を親身になって聴くのは

とてもエネルギーを使う行為。

 

話した方は自分は楽しくて

すっきりしたかもしれないけれど

その実体は、相手のエネルギー

体力、時間を奪っているのです。

 

そのことに無頓着な人が多い。

 

 

 

 

私も、以前、いい人のふりをしていた時

よく、この聴く側の役目を引き受けました。

 

始めは「この人のために」と思って

親身になって聴くのだけれど

それが度重なり、頻繁に長時間になってくると

疲れ果てて「もういい加減にして!」

という気分になりました。

 

 

 

 

本当は

これは私が自分で招いていることです。

 

始めに、聴いてあげようと

受け入れたのは自分ですし

我慢し続けたのも自分だからです。

 

相手は、「この人聴いてくれる」と

思うから話し続けるし

感じ良く受け入れてもらえるから

「もっと話したい。ずっと話したい。」と

どんどん要求がエスカレートしてくるのです。

 

だから、相手に悪気はないでしょう。

 

嫌ならば、そんなに怒りを溜める前に

私がそれを相手に伝えなければならないのです。

 

それをしないで「いいよ、いいよ」と

ずっと良い顔していれば

相手の要求はどんどんエスカレートして

頻繁に、長時間

話を聴かされる羽目になります。

 

そもそも、いい人と思ってもらいたくて

人の話を親身になって聴いているのだから

その時点で間違っているのですけれども。

 

 

 

 

今では、そう反省している私ですが

その頃は本当にウンザリして

「あの人は私の時間を奪っていることに

気づかない。それは甘えだ。」と

思っていました。

 

人の時間を奪ってでも

自分が大切にされたいのだ、と。

 

 

 

 

けれど、自分のことを振り返ってみると

私も今までの人生で

同じことをやっていたのだと気づきました。

 

 

 

例えば、友達の家にお邪魔して

話が弾んで長居してしまった時。

 

本当に話は弾んでいたのか?

私が気持ちよく話していただけでは?

友達は「帰って」とは言えない。

もしかしたら、その友達の時間や

エネルギーを奪っていたかもしれません。

 

 

 

例えば、お店などで

特別扱いされることを望んで

平然とそれを受け取っている、とか。

 

もちろん、ずうずうしいことを

お願いしているわけではないですし

お店側が気を遣って提案してくれることを

ありがたく受け取っているつもりですが

そうしてくれるように

私が仕向けてはいなかったか?

 

もしかしたら、私は

お店のサービス、お金、時間を

奪っていたのかもしれません。

 

 

 

こんな場面は、人生で何度もあるでしょう。

 

きっと、私も今まで何度も

人のエネルギーや時間を奪ってきたのです。

 

 

 

奪っているつもりはないですが

心の底に「大切にされたい。優遇されたい。」

という気持ちがあったと思います。

 

「人から特別に扱ってもらいたい。

人から親切にされたい。」という思いが強いと

人からエネルギーや時間を奪ってしまうのです。

 

 

 

 

その思いは、言い換えれば「甘え」です。

 

母親にしてもらいたかったことを

今、目の前の人にしてもらいたい。

 

受け入れてもらいたい。

話を聴いてもらいたい。

優しくされたい。

大切にされたい。

特別扱いしてもらいたい。

 

子どもの頃に、母親にそうしてもらえなくて

その部分が足りなくて、枯渇してて

誰かにしてもらいたいのです。

 

今でも、誰かに甘えたいのです。

 

 

 

ただ、自分の足りないものが欲しくて

まったく無自覚に

人から奪ってしまいます。

 

私は、そのからくりに気づきました。

 

 

 

そうとわかれば

自分のやるべきことがわかります。

 

無自覚に人からもらおうとしていた

優しさ、親切、大切にする、特別扱い

優遇する、受け入れる、などを

自分で自分にしてあげればいいのです。

 

周りの人に

それをやってもらおうとしないで

自分で自分を大切にすればいいのです。

 

 

 

私は、自分の甘えたい気持ちを認めて

自分が自分によしよしと

甘えさせてあげようと思いました。

 

 

 

そのことに気づいてから

人から無闇にエネルギーを奪うことには

気をつけるようになりました。

 

相手には相手の生活があり

人生があります。

相手には相手の目的なり望みがあります。

 

それを尊重して

自分のことも大切にしたい。

 

 

 

 

エネルギーという観点からものごとを見ると

そのバランスを取ることの大切さを思います。

 

どちらか一方があげ続けるのは

やっぱりバランスが悪いです。

 

もし、自分の話を人に聴いてもらったら

その場のお茶代は自分が払うとか

何かプレゼントする、とかするのが

マナーだなと思います。

 

お互いに楽しくおしゃべりするのは

おおらかでいていいと思いますが…

 

いつもいつも自分の話ばかりして

聴いてもらう一方なら

自分は相手のエネルギーや時間を

いただいているのだということは

自覚していたいですね。

 

それが自覚できると

そのあとの行動は変わってくるでしょう。

 

 

 

シンプルに、自分のことも、人のことも

大切にするのが気持ちよく過ごすコツです。

 

 

 

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