心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

エゴの視点

 

 

 

思い通りにコントロールしたい。

理想通りになってほしい。

自分の正しさを証明したい。

自分の方が上だと思う。

自分の価値を高めたい。

人や自分を批判したい。

自慢したい。

特別に扱われたい。

人に認めてもらいたい。

などなど。

 

 

 

こんな時、自分の意識は

エゴに乗っ取られています。

これらは、エゴからの発想

エゴの考え方です。

 

だから、そんな自分に気づいたら

「今、私はエゴに支配されている」と

意識化して、自分を観察します。

 

そして、エゴに

「OK!ありがとう!もう大丈夫だよ!」

と爽やかに手を振るのです。

 

 

 

 

 

思えば、以前の私は、気がつくと

いつも自分を責めていました。

 

PC関連に疎い

車の運転が苦手

使える資格を持ってない

家事が適当

みんなが喜ぶ料理が作れない

行動が全部遅い

うまくできないことだらけ

不器用

などなど。

 

 

 

今思い返すと、これらは

全部エゴの視点だなぁと思います。

 

できないことばかり注目して

まるで何もかもダメという評価。

理想が高すぎ。要求が高すぎ。

 

できる人と比較して

自分はダメだと思っています。

 

そして「こんな自分じゃダメだ」と

焦っています。

 

 

 

エゴは非現実的。

エゴは極端。

エゴは比較、否定が大好き。

エゴはダメなところに注目して

不安を煽ってくる。

 

エゴの言っていることを

鵜呑みにすると危険です。

それは現実ではないからです。

 

 

 

落ち着いて、現実をよく見てみよう。

本当に自分は何もかもダメか?

人より劣っていてはダメなのか?

 

 

 

確かに、私は不器用だし

ゆっくりだし、機械に弱いです。

 

でも、私は自分にできることを

一生懸命やっています。

 

エネルギーがないなりに

ゆっくりと、少しずつ。

家事もそこそこやっているし

こうしてブログも書いています。

 

 

 

何より、たくさんの時間を使って

自分と向き合っています。

 

自分と向き合うのは

エゴは嫌がるけれども

私は誇れることだと思います。

 

私は、自分のやるべきことをやっています。

何も生み出さないし

人に評価はしてもらえないけれど

私にとっては大切なことです。

 

 

 

私は、いばれるくらい、人よりも

劣っているところがたくさんあります。

 

体も小さいし、体力ないし

能力的にもいろいろポンコツです。

 

それって、ダメなんでしょうかね?

人より劣っているのは

ダメなことなんでしょうかね?

 

 

 

「そんなんじゃダメ!

もっと能力を身につけて

頑張らなければならない!

もっともっと!」と言っているのは

エゴなのではないでしょうか。

 

エゴが、人より劣っていることに

耐えられないのでは?

エゴが、人より劣っていると

自分の安全を保てないと

恐れているのでは?

 

 

エゴが「自分は人より劣っている」

と、認識したとしても

それはエゴがそう思っただけです。

 

 

 

現実には、この世界は

良いところ、悪いところ

得意なところ、苦手なところを

いろいろな組み合わせで持っている

個性豊かな人々がいるところなのです。

 

「劣っている」のではなく

「個性」なのです。

 

悪いところや苦手なところだけに注目して

「人より劣っている」と思うのは

本当に滑稽なことです。

 

人はみんなそれぞれ違って

ユニークな存在で

それぞれが、それでいいのです。

 

 

 

私は、ゆっくりやってもいいし

自分のペースで休んでもいい。

 

誰かと比較して「劣っている」と思っても

それでいい。

 

「これが今の私」

そう胸を張っていいと思ってます。

 

 

 

だから、エゴに

「OK!ありがとう!

でも、もう大丈夫だよ!」と言おう♡

 

 

 

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