心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

しなくちゃ、しなくちゃ

 

 

 

私の中で

「○○しなくちゃ」という思いが

癖になっている。

 

すぐにそう思う。

いつもそう思う。

 

 

 

役に立つ人にならなくちゃ

働かなくちゃ

家事をきちんとしなくちゃ

家族の世話をしなくちゃ

 

から始まって

 

充実した人生を送らなくちゃ

自分の情熱を一番大切にしなくちゃ

心に寄り添わなくちゃ

 

まで、全部、しなくちゃ、しなくちゃ。

 

 

 

「しなくちゃ」が体の隅々まで染み込んでいて

そう思っていることに

自分で気がつかないくらい。

 

そのくらい、普段から

私は「しなくちゃ」で動いている。

 

 

 

それはエゴの声で

エゴが常に私をコントロールしている。

「しなくちゃ、しなくちゃ」と

エゴが私を追い立てる。

 

 

 

私は、ありのままの自分で

「ただ在る」ということができない。

 

常にエゴが作動して

「今はこうあるべき。こうしなくちゃ。」

と、誘導してくる。

 

 

 

子どもの頃、私は、ありのままの

自分自身で在ることが許されなかった。

 

のんびりしてたらダメ。

思ったこと口に出したらダメ。

みんなと同じにできないとダメ。

自由にしちゃダメ。

変わったことしちゃダメ。

優秀じゃなきゃダメ。

頑張らなくちゃダメ。

 

そんなふうに自分を押し殺し続けた

その環境の中で、私は

適応してなんとか生き残るために

「今はこうあるべき。こうしなくちゃ。」を

発動させてきた。

 

そうして自分をねじ曲げて

なんとか周りとうまくやってきた。

 

 

 

 

「しなくちゃ、しなくちゃ」は

私の生き残り術だったのだ。

 

主婦として、母親として

やるべきことを優先する

「役割」を生きるやり方も自分を守るため。

 

やるべきことをきちんとやって

人から非難されないように

攻撃されないように、と細心の注意を払う。

 

すべては自分が誰かから

攻撃されないよう守るため。

 

エゴのおかげで私は守られてきた。

 

 

 

 

でも、そのやり方が

今の私には窮屈に感じる。

 

自分の望みや欲望よりも

やるべきことを

「しなくちゃ」と優先していると

自分の本当の望みが叶えられない。

 

本当に欲しいものが手に入らない。

私は永遠に満たされない。

 

 

 

 

私は「しなくちゃ」を手放したい。

「役割」を生きることを手放したい。

 

私は、エゴを発動させて

「しなくちゃ」で動く毎日ではなくて

ただ自分自身であって

自分の心を感じて

心に沿って過ごしたい。

 

 

 

自分の本当の望みにすらも

いつの間にか入り込んで

「しなくちゃ」と牛耳ってくる

この私の思い癖に気づいていたい。

 

そして、気づいたらそっと手放したい。

 

 

 

 

「しなくちゃ」がなければ

私はきっと生きてこられなかった。

そのおかげで今まで生き延びてきた。

 

でも、今はもうなくても大丈夫なのだ。

「大丈夫だよ」とエゴに言いたい。

 

 

 

私は「しなくちゃ」と思うことを手放す。

私は「役割」を生きることを手放す。

 

 

 

自分が自分を、「しなくちゃ」と

縛っていることに気づいたら

そっと手放し、その都度

自分の真ん中に戻ってこよう。

 

そして、自分の心を感じよう。

 

 

 

心はどうしたい?

何したい?

 

 

それがどんなに小さなことでも

パッとしないようなことだったとしても

今この瞬間の心に従う。

 

 

自分の心に従うだけ。

私の人生はそれでいい。

それ以上に大切なことなどないのだ。

 

 

 

自分の中のノイズを手放して

自分の中をクリアにして

私は心とつながる。

 

 

 

f:id:miiko-3:20220515173526j:image