心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

なんだかなーと思う時

 

 

 

私には、好きに使える時間があって

なんでもやりたいことを

やりたいようにできる自由がある。

 

だから、毎日好きなこと三昧。

 

読書、映画観る、ドラマ観る

音楽聴く、散歩、カフェに行く、など。

とても心地いい優しい時間。

 

幸せ。

幸せとしか言いようがない。

 

 

 

 

 

なのに、私は「なんだかなー」と思う。

 

心が弾んでいない。

心が沈んで停滞している。

心が「違う」と言っている。

 

私は恵まれているのに

好きなことばっかりしてるのに

自由で、幸せなはずなのに

なんでそうなる?

 

 

 

 

頭で普通に考えると幸せなはずなのに

「なんだかなー」と感じるのが

とても不思議だった。

 

 

何が足りない?

何が言いたい?

 

 

私が心に聴いてみると、心は

「ウキウキするような

心がスキップするようなことしよう!」

と言った。

 

心は「遊ぼう!」と言っている。

「楽しもう!」と言っている。

 

心はもっと遊びたい。

ワクワクしたい。

好きなことして楽しみたい。

 

 

 

 

なのに、私は

それが怖くてできないのだった。

 

新しいことは嫌。

チャレンジは嫌。

よくわからないことは嫌。

 

私は、新しいこと、知らないこと

変化することが怖くて仕方ない。

 

読書も映画鑑賞も、もちろん好き。

でもそこにはチャレンジがない。

ずっとやってきたことだから怖さがない。

だから難なくできる。

 

難なくできるけれども

それだけでは心がワクワクしない。

それが漠然とした「なんだかなー」なのだ。

 

 

 

 

 

心が私をせっついている。

「変わろう!」と促している。

 

けれど、私が変わることを恐れて

抵抗している。

 

今まで「家族のために」生きてきた。

それを「自分のために」に変える。

自分が遊ぶための人生にシフトチェンジする。

 

大きな変化だ。

私が変わってしまう。

古い私を失ってしまう。

 

それが怖くて抵抗しているのだ。

 

怖くて怖くて

苦しくても、輝けなくても

変わらないでずっとここにいたい、と思う。

変わりたくない、と思う。

 

 

 

 

でも、こうして客観的に見ると

「変わりたくない!」は

エゴの声なのだとよくわかる。

 

心の声は「遊びたい!」。

 

エゴは新しいことが大嫌い。

心は新しいことが大好き。

 

エゴの声と心の声、どっちに従う?

となると、私の選択はもう

心の声に従うしかない。

 

 

 

 

だから、エゴにお礼を言おう。

 

「エゴさん、私を危険から守って

安全地帯にかくまってくれてありがとう。

おかげで、今まで安全に

自分を癒すことができました。

そろそろ私は安全地帯から出て

自分の旅を始めようと思います。

ここからは自分に起こることは

自分で対処していきます。

だから大丈夫。心配してくれてありがとう。

今まで本当にありがとうございました。」

 

 

 

 

私は、今まで通り好きなことをして

さらに、毎日の中に

新しいこと、やったことないこと

ちょっと怖いけれどやってみたいこと

などを取り入れていこうと思いました。

 

それができているか、合っているか

バロメーターは心が弾んでいるかどうか。

ウキウキ、ワクワクしているかどうか。

 

 

 

「なんだかなー」と思う時

心がモターっと澱んだように感じる時

それは「違うよ!」のサインだ。

 

心が望んでない。

やりたいことをやっていない。

そんなサイン。

 

これからも心の声に繊細に気づき

心の願いを叶えていってあげたい。

心がスキップするように。

 

 

 

私は、いつでも心とともにある。

 

 

 

f:id:miiko-3:20220529181354j:image