心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

常識も普通も正しいも手放して

 

 

 

私には子どもがふたりいますが

ふたり共に発達障害があります。

 

 

 

去年の春に

長男は大学を卒業しましたが

就職は決まらないままでした。

 

やってもやってもうまくいかない就活に

長男の心が折れてしまい

就活を続けられなくなったのです。

 

「死にたい」と漏らすようになった長男を

病院に連れて行ったところ

うつ病とまではいかないけれども

うつ気味だと言われ

就活はやめて、自宅で

しばらくお休みすることになりました。

 

 

 

次男は高校生ですが

長男以上の困難さを抱えている子で

長男ですら就職できなかったとなると

次男の就職も前途多難な気がして

仕方ありませんでした。

 

私は、子どもたちの将来を思い

気が滅入り、気分は沈みがちになりました。

 

 

 

 

子どもたちが自立できずに

引きこもりになったらどうしよう?

 

この先どうなるのか怖い。

親子共倒れになるのだろうか?

 

私は死ぬまで人の世話をして

自由になれないのだろうか?

 

私が思い描いていた自由で豊かで

楽しくて明るい未来が

奪われるかもしれない。

 

それが怖いと思いました。

 

 

 

 

 

でも、現実問題、うちの子たちのように

社会の中でうまく生きられない人がいます。

 

その人はどう生きればいい?

その人が楽しく生きるにはどうすればいい?

 

 

 

うちの子たちが、どうすれば

幸せに生きられるだろうかと考えたら

それはやっぱり、その人が自分のままで

自分のペースで、自分にできることをすること

だと思いました。

 

 

 

だとしたら、私は

子どもに「普通」を求めていたら

自分が苦しくなります。

 

常識に縛られていたら腹が立ちます。

 

こうあるべき、こうでなくてはならない

そんな思いも私を苦しめます。

 

 

 

常識や普通は、自分がそう思っただけ。

本当は、そうしなければならない

というわけではない。

特に、うちの子たちには当てはまらない。

 

常識や普通という枠に

人をはめ込むのではなく

その人の個性をそのまま尊重して

その人の気持ちをそのまま受け入れる。

 

それが、私のやることなのだと思いました。

 

 

 

「私だったらこうする」は危険です。

 

「なんでやらない?

私だったらこうするのに」と思っても

その人は私ではありません。

 

私はまだ「私が正しい」を

握りしめていることに気づきました。

自分の思う通りにしたいのです。

 

 

 

私自身の常識や普通への執着。

「私が正しい」への執着。

 

これが、私のモヤモヤ、不安の原因でした。

 

 

 

 

 

常識も普通も正しいも手放して

自由になったら、私はどうなる?

 

なんでもありのゆるい世界。

 

すべてを受け入れ

すべてを手放し

ただ、楽しく自由である。

 

みんな自由。

みんなあるがままの世界。

 

 

 

 

常識や普通や正しいを手放して

一番楽になるのは私でした。

 

私自身だって、老後の生活を案じて

勝手にウンザリしたり

憂鬱になったりしていないで

本当は、今すぐに

自由に、豊かに、楽しくなればいいのです。

 

こうあるべきの枠に

自分をはめ込むのではなく

自分の個性をそのまま尊重して

自分の気持ちをそのまま受け入れればいい。

 

「老後こうしたい」じゃなくて

今この瞬間から

自由に豊かに楽しくすればいい。

 

 

 

「他者=自分」

 

子どもの将来の問題のようで

このことは、実は

私のために起こったのです。

 

私は、人の心配をするのではなく

人の世話をいつまでも焼くのではなく

今すぐに自分を優先して

自由であろうと思いました。

 

 

 

私は、常識から外れる自分を許します。

私は、普通と違う自分を許します。

私は、正しくない自分を許します。

 

宇宙はもう許しているのです。

 

自分も、人も

誰もが自由であることが

宇宙の真理なのですから。

 

 

 

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