心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

人の幸せを私がコントロールできるわけがない

 

 

 

子育てをしていると

子どもに幸せになってもらいたくて

あれこれ動こうとしてしまいます。

 

まるで、自分が頑張れば

子どもは幸せになれるかのように

思ってしまいます。

 

子どもを幸せにしよう、

笑顔にしよう、

そのために自分が頑張ろう、と。

 

 

 

 

 

でも、ある時から

もうそうやって

子どものために(人のために)

頑張ることはやめようと思いました。

 

人を幸せにしようとか

救おうとか、助けてあげようとか

できるわけがないと心底思ったのです。

 

人の幸せを

私がコントロールできるわけがない。

それをやろうとするなんて

おこがましいことです。

 

それをやろうとすると

結局、相手を操作しようとしたり

根掘り葉掘り聞いて知ろうとしたり

こうした方がいい、とか

こう考えた方がいい、とか

余計なアドバイスしたり

相手を追い詰めて

鬱陶しい存在でしかありません。

 

 

 

「幸せになってほしい」と言いながら

本当は、こちらの言うことを聞いて

思う通りに動いてほしいのです。

 

子どもの変化を受け入れられず

思った通りに動く人形にしたいのです。

 

それは、母が私にしたことと同じ。

子どもを壊してしまう行為です。

 

 

 

子どもも「個」。

それをそのまま認めて

受け入れるしかありません。

 

 

 

幸せになってほしい相手が

自分の子どもなら

 

・黙ってお金を出す

・黙ってごはんを出す

・見守っている

・機嫌良くそこにいる

 

だけでいいのだと思いました。

 

何もしない方がよっぽどいい。

よっぽど相手を苦しめません。

 

子どもはきっと

自分で、自分だけの幸せを

見つけていくでしょう。

 

 

 

 

 

私はもう、本当に

頑張ることはしたくありません。

 

良い母親でいようとか

良い妻でいようとか

良い主婦でいようとか

本当に疲れる。

 

もう、そうじゃない自分を

許してあげたいのです。

 

 

 

肩の力を抜いて、抜いて、抜いて

コントロールしようとする手を

緩めて、緩めて、緩めて…

 

ただ、自分のままくつろぎたいのです。

 

 

力を抜いて

立派になろうなんて思わないで

私は、ゆるゆるとくつろいでいたい。

 

 

 

 

 

それが、結果的に

周りの人のことも楽にして

幸せにすることに繋がるのだと思います。

 

 

 

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