心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

思い込みを検証する

 

 

 

「自分にも、子どもにも

常識から外れることを許す。

普通と違うことを許す。

正しくなくていいと許す。

ありのままの自分で

楽に楽しく生きることを許す。」

 

こう思うと、その時出てくる

反論の声が私の中にありました。

 

 

 

「常識から外れるなんて許されない。

努力が足りない。無責任。怠け者。

(子どもに対して)親の怠慢。親失格。

何も言わない方が楽だ。

親が楽したいから綺麗事言って逃げてるだけ。

しつけは親の仕事。

きちんと管理して正しく導くべきだ。

母親、妻、主婦としての役目を

きちんと果たすべきだ。」

 

これは、そのまんま私の母の思想です。

 

 

 

「子どもを管理して正しく導くこと。

母親、妻、主婦としての役目を果たすこと。」

 

これが、生きる上で母自身に価値を持たせる

一番大切なことだったのでしょう。

母は、そうやって

一生懸命生きてきたのでしょう。

 

だから、私にも繰り返し言い聞かせ

この声は私の中で根付いていました。

 

 

 

 

 

でも、これは本当に正しいのでしょうか?

真実なのでしょうか?

 

ある時、私は、このことを

今の自分で冷静に検証してみようと思いました。

 

 

 

 

まず、子どもを管理する→

 

発達障害のあるうちの子たちは無理。

これをやろうとすると

逆に子どもを潰してしまう。

これまでやろうとして散々失敗してきた。

 

 

正しく導く→

 

親の都合の良いように?

もちろん私の中にもルールがあって

すべてOKというわけではない。

でも、基本的には親が導くというより

本人の中から湧いてきたものに従いたい。

親の考える正しさや幸せなんて

子どもは軽く超えてくる。

 

 

母親、妻、主婦の役目を果たす→

 

これを自分に課すと、常識という

決まった枠組みの中に

自分をきっちりとはめ込むことになる。

役目ってなんだろう?

すべての役目を完璧にやっている人なんて

いるだろうか?

現に私の母は「子どもの安全基地になる」

という一番重要な役目を果たしていない。

義母も片付けが苦手で家をゴミ屋敷にした。

完璧にできる人なんていないのではないか?

ちょっとくらい不完全でいいのではないか?

妻としても母としても不完全だけど

みんなで楽しく暮らせれば

それでOKなのではないか?

 

 

 

 

 

こうして検証してみると

私の中に響く母の声は

今の私にはそぐわない現実味のないもので

採用する必要などないことがわかりました。

 

母のエゴの声は、私を苦しめ

周りの人をも苦しめるだけのもの。

そんなものはいらない。

手放そうと思いました。

 

 

 

完璧に役目を果たすことよりも

いつも機嫌良く楽しそうにしていた方が

周りのみんなもそれぞれ自由で

楽しくいられます。

 

役目に縛られるよりも

自分自身であること。

自分を許し、自由であること。

人生を楽しむことの方が重要です。

 

それは、周りの人をも自由にし

楽にすることになるのです。

 

 

 

 

 

そう思い至って

私は、自分を母、妻という役割から

解放してあげようと思いました。

 

子どもも大きくなって

世話されるのが鬱陶しそうだし

みんなそれぞれ生活もバラバラだし

今までとはやり方を変えて

家事も子育ても大雑把にしようと思いました。

 

一汁三菜のきちんとしたごはんを

毎日作り続けるのをやめて

緩やかなメニューにする、とか

気分によっては作らない、とか。

 

 

 

そして、その私の決意を

家族みんなに宣言しました。

 

「もう主婦業を今までのようにはやらない。

自分の好きなようにやる。」と。

 

 

すると、みんなは驚きもせずに

「いいよ」と言いました。

 

むしろ、「そうした方がいいよ」

「わかった。大丈夫だよ」「問題ないよ」など

賛成して後押しするような雰囲気でした。

 

 

 

母親として、妻としてちゃんとやらなければ!

と思っていたのは私だけだったみたいです。

 

その私の強迫観念が

周りの人の居心地も悪くしていたのでしょう。

必死になっている私を見るのは

辛かったのかもしれません。

 

周りの人は、私に「ちゃんとしてほしい」

なんて思ってなくて

「楽しんでいてほしい。幸せであってほしい」

と思っていたようでした。

 

だから、私が「好きにする!」と言ったら

「どーぞどーぞ!」と言ったのです。

 

 

 

 

結局、「こうでなければ」と

縛っていたのは自分だけでした。

馬鹿みたいな一人芝居です。

 

本当に、笑ってしまうくらい

滑稽だと思いました。

 

 

 

 

自分の中に響く

「こうでなければならない!」という声は

ひとつひとつ検証する必要があります。

 

中には、本当に無意味で馬鹿げた

もう必要のない決まりがありますから。

 

それらを「あ、これ、もういらないや」と

ひとつずつポイッと捨てていくと

自分はどんどん軽やかに

幸せになっていきます。

 

 

 

自分を苦しめているのは、ほとんどが

もういらない自分の思い込みなのです。

 

 

 

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