心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

行動に価値があるのではなく存在に価値がある

 

 

 

前はよく

無意識にボーッとしている時など

私は、脳内で自分のことを罵っていました。

 

 

やるべきことをきちんとやれ!

それをしなかったら

お前にはいる意味も価値もない!

ちゃんと人の役に立て!

ちゃんと働け!

 

というようなことを、よく

エゴが喚いていました。

 

 

 

ある時、いつものように

私の中でエゴが暴れて

「お前には価値がないのだから

やるべきことをちゃんとやれ!」と

言っているのを聞いた時

ふと疑問に思いました。

 

 

「ほんとにそうかな?」

 

 

そして

「それってほんとなの?真実なの?」

と自分に問いかけてみました。

 

でも、返事はありませんでした。

 

 

 

 

 

次の日、何気なくテレビをつけたら

ドラマをやっていたようで

たまたま流れてきたセリフがありました。

 

 

 

おばさん 「私には何もないからなぁ」

 

若い男性 「おばさんは、みんなの面倒を

見ようとなんてしなくていいんだよ。

おばさんは、元気でイキイキしてるだけで

みんなの支えになってるんだからさ。」

 

おばさん 「ほんと?じゃあ、何か

新しいことでも始めちゃおうかなー?」

 

 

 

 

セリフはその先も続いていましたが

私には上に書いた部分だけが

スコーンと入ってきました。

 

そして、その瞬間

それが昨日の問いの答えだとわかりました。

 

それは、私の心に、静かに

だけど揺るぎなく、確かに

ありました。

 

それが答えだ、正解だ、ということが

理屈ではなく、ただ、もう知っている

という感覚でありました。

 

 

 

私の問いかけにいつもちゃんと答えてくれる

何者なのかわからない存在の優しさに感動して

嬉しくて涙が出ました。

 

 

 

私は、自分に価値を持たせるために

人の役に立ったり、仕事をしたり

しなければならないと思っていました。

 

でも、そうじゃないのです。

 

 

 

人は、何かをするから価値があるのではなくて

その人の存在そのものに価値があるのです。

 

行動に価値があるのではなく

存在に価値があるのです。

 

現代人は、このことが理解できず

自分に無理をさせて苦しんでいる人が

いっぱいいるのだと思います。

 

そうは言っても、人の役に立たなければ

いる意味などないではないか、と

言いたくなりますが

そんな単純な話ではないのです。

 

 

 

上のセリフのように

その人は自分の人生を

ただ楽しんでいるだけなのに

その楽しそうな姿が周りの人に影響を与え

周りの人も励まされたり、自由になったり

生き方のお手本になったりして

結果、人を支えることになるのだと思います。

 

また、例えば、難病や障害で

人の手を借りなければ生きられないような人も

その人の存在のおかげで

自分に価値を見出せる人もいるでしょうし

その人が存在しているだけで

頑張れる人もいるでしょう。

 

その場合、人の手を借りて生きている人も

周りの人を支えていることになります。

 

その人の存在が、人を支えているのです。

 

 

 

 

「おばさんは、元気でイキイキしてるだけで

みんなの支えになってるんだからさ。」

というのが答えです。

 

だから、私は

いかに人の役に立つか?ではなく

いかに自分を喜ばせるか?が

大事なのだと思いました。

 

自分が自分のままで、自由に、楽しく

やりたいことをやること。

人生を謳歌し、幸せでいること。

それがやることなのだと思いました。

 

そうして、自分が幸せで

楽しそうにしていることが

周りの人にもいい影響を与えて

人を良い気分にし

結果、人のためになるのです。

 

 

 

それからは、エゴが

「ちゃんとやって!」と言ってきても

まともには受け取らず

「私はどうしたい?」と

自分に聞くようにしています。

 

私が「やりたくない」と言ったらやらない。

「こうしたい」と言ったらそうする。

 

もうエゴの言いなりにはなりません。

 

 

 

その方が、私も、周りの人も

気分良くいられるのですから。

 

 

 

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