心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

困っている人が必要な人

 

 

 

以前の私は

困っている人を見つけては

助けるということをしていました。

 

 

 

困っている人、悩んでいる人

寂しそうな人、辛そうな人を見ると

自分が何かしてあげられないかと思い

気になって仕方なくて

近寄っていったりしていました。

 

そして、自分にできること

例えば、寄り添ったり、話を聴いたり

ちょっとしたお手伝いをしたりして

その人がホッとしたり、笑顔になると

私も嬉しく思い、心から

「良かった」と思っていました。

 

 

 

私は、自分が

良いことをしていると思っていたし

人に優しくする自分に満足していました。

 

これでいい。これが私。

私は人を支える人なのだ。

これが私のやるべきことなのだ。

 

そう思っていました。

 

 

 

でも、今、振り返ると

この時の私は

自分の周りに困っている人はいないか、と

常に探していたように思います。

 

困っている人がいないと

自分が困るからです。

 

私は、人を助ける自分にしか

価値がないと思っていたのです。

そうやって人のためになる自分にしか

価値がないと思っていたのです。

 

 

 

だから、人を助けた時

初めて自分に価値が生まれ

私の心は平穏になったのでした。

 

そのためには「困っている人」が必要。

 

困っている人がいなくては私が輝けない。

困っている人がいなくては私には価値がない。

だから私は、いつでも無意識に

困っている人を探していたのです。

 

 

アダルトチルドレンが陥りがちな

典型的な共依存です。

 

必要とされることを必要としている状態。

 

 

 

 

 

アダルトチルドレン

人をケアする職業に就くことが

多いそうです。

 

看護師、カウンセラー、ケアマネージャー

などなど。

 

私も、やっぱりそのようなことに興味を持ち

心理カウンセラー、家族相談士の

資格を取りました。

 

 

 

それらの資格を取るために勉強して

自分自身が癒されていったので

無駄ではなかったと思いますが

今となっては家族相談士の研修なども

なんだかどうでもよく感じます。

 

今の私は、もう人を助けることに

興味がなくなっているのです。

 

 

 

私が、私のままでいることを許して

このままの自分でいても

特に役に立つ自分じゃなくても

「いいんじゃない?」と思えるように

なったからだと思います。

 

私はもう、人を助けて

自分の価値を高める必要が

なくなったのです。

 

 

人を助けなくても

特に良い行いをしなくても

このままの自分で

楽しんだり、サボったり、ダラダラしたり

たまに悪いことをしたとしても

私の価値は変わらずに「ある」。

 

価値は、そのままそこに「ある」。

 

だから、私には

困っている人はもう必要ありません。

 

 

 

今、私は、自分で自分を許し、受け入れ

この人生を楽しむことにしか

興味がありません。

 

自分の魂を喜ばすことしか

興味がないのです。

 

 

 

私は、困っている人が必要で

困っている人を

作り出さなきゃいけない世界よりも

人々がお互いに受容する

寛容な世界の方がいいです。

 

困っている人がいない

みんなが幸せな世界の方がいいです。

 

 

 

 

もう、そういう世界に

生きようと思います。

 

実は、困っている人は

私が作り出していたのですから。

 

(人はみんな自分で幸せになれる力を

持っている。それを信じてあげるのが

本当の愛だと思います。)

 

 

 

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