心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

母に守られていた

 

 

 

ずいぶん前のことですが

私の結婚が決まって

新居に入居する準備をする時

実家の母と夫の母親である義母のふたりに

手伝ってもらったことがあります。

 

新居の掃除に始まり

新しい家具、新しい食器や調理器具などが

どんどん届き、それを開梱して

食器などは洗ってしまっていきます。

 

 

 

私の母は、専業主婦ですが

すごく仕事のできる人で、その時も

テキパキとスピーディーに

仕事を片付けていきました。

 

それを見ていた義母は

あとで違う日に、夫や義父に

「あのお母さん(私の母)は頭いいわよ〜。

本当にあっという間に

仕事を片付けてしまったんだから。」

と言ってずいぶんと感心していました。

 

その時から、義母は

母に一目置いているようでした。

 

 

 

 

私は、ずっと母の厳しさや冷たさに

苦しんできました。

 

母自身がテキパキとできる人なので

モタモタする私はどやされ、罵られ

いつも急かされていて

それが本当に辛く悲しかったです。

 

母がそばにいると

私は緊張して心が休まりませんでした。

 

「それでもいいよ」と許されたことは

ただの一度もなく

私を否定して受け入れてくれない母のことを

私はずっと憎んでいました。

 

 

 

 

 

でも、今になって思うのです。

 

母が厳格で

テキパキと仕事をこなす完璧なところや

きちんとした身なりや

常識のある振る舞いの人だったことで

私はきっと、義理の親や世間の人から

守られていたのだ、と。

 

身なりも振る舞いも完璧な

母のキャラクターが

私のバックについているから

義母や義父は、私をひどく粗末に扱ったり

バカにしたりできなかったのです。

 

 

 

 

私が新婚だったある時

義母が実家の母にわざわざ電話をして

「○○さん(私)が全然家(夫の実家)に

遊びに来てくれない。

私たちの老後はどうなっちゃうんでしょう。」

と訴えたことがあります。

 

全然行かないというのは嘘で

本当は行っていたのですが

義母が異常な依存体質で

週に何回も顔を出さないと我慢できなくて

そんなことを言ったのです。

 

義母は、母から私に注意してほしくて

そんな電話をしたのですが

その時の母の返しは見事でした。

 

 

「あの子たちはまだ若いのに

今から親の老後の心配なんて

させなくてもよろしいんじゃありません?

私たち(親世代)は私たちで

楽しみましょうよ。」と言ったのです。

 

すると、義母は何も言い返せず

黙っていたそうです。

 

 

 

母は、私には

変なことを言ってきたりするのですが

外の人にはまともなことを言うようです。

 

相手が言い返せないような

正論をはっきりと言うので

そういう意味でも母は

義母に一目置かれていたのだと思います。

 

義母は「自分の思い通りにはできない。

この人は強敵だ。」と思っていたでしょう。

 

 

 

 

母の厳格さや頭の良さ

良いものを好む金銭感覚

美しいものが好きな美的センス、など

私は、母からたくさんの

プラスのものを受け取っていました。

 

母は、私にたくさんの

ギフトをくれていたのです。

 

それにより、私は周囲から守られて

豊かな人生を送ることができているのです。

 

 

 

 

母の嫌いなところしか見えなくて

恨んでいた時には気づかなかったことです。

 

老後を心配していた義母もとっくに亡くなり

母と距離を置いて

滅多に会わなくなってから

このことに気づきました。

 

 

 

人との関係性は

変化するものなのですね。

 

 

 

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