心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

忘れた頃に願いは叶う

 

 

 

ふと思いました。

 

以前、私が「嫌だなーやりたくないなー」

と思っていたことを

今はほとんどやらなくてよくなっていて

「こうだったらどんなにいいだろう」

と思っていたことが

ほとんどそうなっているなぁ、と。

 

 

 

満員電車に乗りたくない→

乗らなくてよくなっている

 

駅から遠いところに住みたくない→

駅から徒歩圏内に住んでいる

 

不便なところに住みたくない→

家の周りに何でもある便利なところに住んでいる

 

年一回の帰省→コロナを口実に行かない

 

母親からの攻撃→

遠方に住んでいてほとんど受けない

 

義理両親の面倒、介護→

両親共に亡くなったので今はやらなくていい

 

(問題のある)義姉との付き合い→

縁を切ったので付き合わなくていい

 

親戚を呼んでの法事→

家族だけでやることにした

 

煩わしい学校行事、学校付き合い→

子どもが大きくなったのでなくなった

 

緑を眺めていたい→

ベランダの植物を部屋から眺められる

 

動物と暮らしたい→猫と暮らしている

 

などなど。

 

 

 

嫌だな、やりたくないな、と思ったことは

ほとんどやらなくてよくなっているし

欲しいな、こうだったらいいな、ということは

ほとんど手に入っています。

 

本当に不思議なことです。

 

もちろん、住まいなど

自分でそう選んでいるものも多いけれど

周りが勝手にそう変化していったり

時代の流れで自然とそうなったということも

多いのです。

 

まるで、私の願いを

誰かに叶えてもらったかのようです。

 

 

 

 

でも、きっと、それもこれも

全部、自分の選択なのでしょう。

 

何かを選ぶ時

どれが自分が喜ぶか?

どれが自分に優しいか?

どれが自分がホッとするか?

どれが自分の魂がスキップするか?

 

そんなことを基準にして選んでいると

いつのまにか、世の中は

自分にとって都合よく

優しくなっているように思います。

 

 

 

その時にできる

自分の魂にとってベストな選択。

 

自分の魂(本当の自分)が

喜ぶのはどれ?

 

そこに常に意識的でいたいです。

 

「これでいい」じゃなくて

「これがいい」を生きる。

そんなことを意識していきたいです。

 

 

 

そういう選択をすることによって

私自身が自分に優しく

自分が喜ぶように、自分がホッとするように

自分と接しているということで

 

自分との接し方が

自分の現実に反映されるので

自分の現実が優しく

自分に都合よく流れていくのだと思います。

 

そうしていると

願いは忘れた頃に叶っています。

 

 

 

 

私の願いを叶えてくれる人生に

感謝を込めて。

 

 

 

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