心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

受け身から能動的へ

 

 

 

以前の私は

自分の嫌なことはほとんどしないし

自分を心地よくしたり

食べたいと思うものを食べたり

読書や映画鑑賞など好きなことをして

毎日を快適に過ごしていたけれど

心の隅に「なんだかなー」という思いが

いつもこびりついていました。

 

 

 

一日がいつものルーティンだけで終わると

その思いは強くなりました。

 

「人生を充実させたい。

なのに自分は何をやっているんだろう?」

という自分への言葉が消えませんでした。

 

「自分は好きなことをしているのに

それだけではだめなのだろうか?」

と不思議に思いました。

 

 

 

それまでの生活で

自分が「なんだかなー」と

思わなかった日もあります。

 

それはどんな日だったのかというと

人と会った日、新しいことをした日

いつもと違う外出をした日

いつもと違うことをした日、などです。

 

目に見える成果のあるなしに関係なく

何の役に立ってなくても

自分を表現すること、クリエイティブなこと

ぜひしたいと思ってすることなど

自分自らが動く能動的な行動をした日は

「なんだかなー」という不満は感じず

「これでいいのか?」という迷いも

ありませんでした。

 

どうやら、この辺に答えがありそうです。

 

 

 

 

 

能動的に自ら動く。

自分のやりたいことをどんどんやっていく。

すると、日常は

輝き出すのではないかと思いました。

 

 

 

でも私は、残念ながら

能動的に動くということが苦手なのでした。

 

それまで何十年間も

「やらなければならないことをこなす」

ということをやってきたのです。

 

「やりたいことをやる」を

やったことがないのです。

 

 

 

正直なところ、「やりたい」よりも

「やらなければならない」をする方が

楽でした。

 

自分の頭で考えなくていいからです。

今まで通り、決まりや常識、ルール、規則

誰かの指示に従って、言われた通り

決まり通りやる方が楽なのです。

 

今まで通り、同じことをやっていればいい。

何も考えなくていい。受け身でいい。

とても楽です。

 

 

 

 

それと対照的に、能動的に

「やりたい」をするにはエネルギーがいります。

 

それは、自らの行動。

内から湧き上がってくるもの。

 

受け身が抜けないと

そのエネルギーを湧き上がらせるのは

難しいことでした。

 

私には、自分の欲望を自覚して

それを叶えるという

思考回路が育っていませんでした。

 

「やりたい」回路が育ってないから

「やりたい」が浮かびませんでした。

 

だから、能動的に動けないのでした。

 

そして、そうやって受け身でいるから

やりたいことが浮かばず

受け身でいるから毎日を満足できないのでした。

 

 

 

そのことに気づき、私は

自分の行動は周りによって決まるという

受け身な在り方から

自分の行動は自分の欲望を叶えるためという

能動的な在り方へと

大きな方向転換をする時が

自分に訪れたのだと思いました。

 

受け身から能動的へ。

 

そうしなければ、私はこれから先も

死んだように生きなければならない。

それは嫌だ!

 

そう思い、生き方を変えようと決心しました。

 

 

 

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