心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

エゴの望みを叶えても幸せにはなれない

 

 

 

自分の以前の日記を読んでいると

もうずいぶん前から

私の心が「スキップしたい!遊びたい!」と

言っていることに気づいていました。

 

気づいていたけれど

私は、その声に、本当にきちんと

従おうとは思いませんでした。

 

 

 

その時は、まだエゴの声が大きすぎて

私にはそれを叶えることの方が

大事だったからです。

 

「安全を確保したい」

「自分を守りたい」

「自分を認めてもらいたい」

というエゴの声。

 

私は、それらを叶えることに

必死でした。

 

 

 

また、自分を責めることをやめられなかったり

こうすべきと自分を縛ったり

周りの人の機嫌ばかり気になったり

胃痛や頭痛で体調が悪く気力もなかったりで

なかなか心の(魂の)望むように

動けませんでした。

 

 

 

「冒険したい」という

魂の声はかき消されました。

全く届きませんでした。

いや、届いていたけど

ずっと無視していたのです。

 

 

 

例え、本当の望みがわかっても

それを自分に許さなければ

行動に移すことはできません。

 

その頃の私は、魂の声が聞こえても

まだまだエゴが主導権を握っていたのです。

 

そんな状態がずいぶん長いこと続きました。

それは10年近くも!

 

 

 

なんて無駄な時間を使ってしまったのだろう!

と思います。

 

でも、その間、私は

全力でエゴの望みを叶えてきました。

 

そして、望みがすべて叶うまで

やり尽くしました。

 

 

 

 

そこまでやって

やっと気づいたのです。

 

「すべて望みが叶っているのに

なぜ私は不満なの?」と。

 

納得のいくまで

エゴに従ったからこそわかったのです。

自分の安全を確保し

自分を守っているだけでは

幸せになれないこと。

 

このことに、腹の底から気づくために

自分をとことん守った10年は

必要だったのです。

 

 

 

気の済むまでエゴに従ってやったことは

よかったと思います。

 

エゴに従っているだけでは

エゴの望みを叶えるだけでは

幸せになれないと

はっきりわかったのですから。

 

本当の充実感を得るためには

魂の声に従わなければならない

ということが腑に落ちたのですから。

 

 

 

だから、自分の望みが

エゴの望みなのか、魂の望みなのか

どちらでもいいのかもしれません。

 

とにかく、今の自分の望みを叶えていくことで

ストレートに充実して幸せになったり

あるいは、叶えても叶えても満足できなくて

「これは違うかも」と気づいたり

どこかの道には繋がっていくのです。

 

 

 

エゴの望みだった場合

それが叶っても、嬉しいのはその時だけで

すぐにまた不足感が湧いてくるので

それが見分けるポイントです。

 

魂の望みが叶うと

じんわり幸せを感じたり

感動して心が震えたり

心がスキップする感じがしたり

どっしり落ち着く感じがしたり

自分が満たされていくのがわかります。

 

そうして満たされていると

「もっと、もっと」とは思わなくなって

「私はもう充分幸せだ」と思います。

 

それは

「これはエゴの望み?魂の望み?」と

迷う余地がないくらいの幸せな感覚です。

 

「魂が喜んでいる」とすぐにわかります。

 

そうわかるようになるには

いつでも自分が今何を感じているか?

に気づいていることが大切かもしれませんね。

 

 

 

*  〜  *  〜  *

 

 

 

私は、このようにして長いこと

同じところをぐるぐる回って

苦しんできました。

 

でも、エゴに振り回されながらも

私はいつでも、自分を救い

自分を生きることを諦めませんでした。

 

不恰好な生き方だけれど

私はそんな自分を誇りに思います。

 

 

 

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