心のままに〜自分の人生の歩き方

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

必要なことが自然に起こっている

 

 

 

私は今まで

ずっと自分と向き合ってきて

いろんなことに気づいてきました。

 

それは、長い旅をしてきたようで

長い道のりを歩いてきた、という感じです。

 

 

 

そんな今、思うことは

「必要なことが自然に起こっているだけ」

ということ。

 

ここまで来れたのは

私がどうしたから、こうしたから、ではなく

人生の大きなこの流れ、このタイミングが

決まっていたからだ、と感じます。

 

もちろん、その時々で

私はその時の自分の精一杯をやって

努力もしてきましたが

「このことに気づき、大きく舵を切る」など

人生の大きな流れはもう決めてきていて

それに必要なことやものが、自然に

目の前に現れてきたように思うのです。

 

ベルトコンベアーで、目の前に次々と

必要なものが運ばれてくるというように。

 

それを受け取り続けていたら

こうなった、という感じです。

 

 

 

 

 

きっと、もう決まっている。

だから、先を急ぐ必要はない。

焦る必要もない。

 

本当に、起こることを受け入れて

思いついたことをやっていくだけ。

 

自分をコントロールしなくていい。

ただ、ゆるゆる、ゆらゆら

流されていくだけ。

 

力を抜いて

ギュッと握った手を緩めて

人生の川を流されていく。

 

 

 

つくづく思うのは

自分から掴みに行かなくていいということ。

 

自然に起こってくることを受け入れて

流れに乗って委ねているだけいい。

 

「起こることを受け入れる」というのは

言うほど簡単ではないけれど…

つい自分の思い通りにしたいと抵抗し

エゴが騒いでコントロールに走ってしまう。

 

でも、宇宙というのは

力を入れて抵抗しなければ

すべてうまくいくようになっています。

 

だから、起こったことに

抗えば抗うほど苦しくなるだけなのです。

 

抵抗を手放し

ただ流れに乗っていれば

人生は自分を素晴らしい場所へと

運んでくれるでしょう。

 

 

 

 

 

本当に、自分に必要な

起こるべきことが自然に起こっているだけ。

 

先を急いで、焦ったりしないで

今起こっている自分の変化、変容を

楽しめばいいのだと思いました。

 

今の自分を、安心して

ゆっくりと、存分に、楽しめばいい。

力を抜いて、リラックスして

流れに乗ってぷかぷかしているだけでいい。

 

これを楽しみにここに来たのだから。

 

 

 

 

 

そして、いずれ

人生をクリエイトすることを楽しむ

フェーズへと進んでいくのでしょう。

 

それも自然にそうなっていきます。

 

どんな時も、今の自分を楽しむ。

そして、今の自分に

喜びや楽しみをプレゼントして

幸せにすることが大切なのだと思います。

 

 

 

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「行動しなければ」は卒業

 

 

 

行動が大事、自分を活かすことが大事

何をしに生まれてきたの?

生きている間にやるべきことは何?

と思ってきました。

 

私は、何かしなければ

何か動かなければといつも焦っていました。

 

「何をすればいい?」と思うのだけど

「ぜひこれをやりたい」というものが浮かばず

結果、動けず「こんなんじゃダメだ」と

焦って自分を否定していました。

 

 

 

私は、自分を活躍させたいと思っていました。

それが使命なのだと思っていたのです。

 

でも、ほんのり

いや、大部分が自分の価値を

認めてもらいたかったからなのだと思います。

 

私はやっぱり、何者かになって

周りの人や世間から承認されたかったのです。

 

 

 

 

 

でも、それももう必要ありません。

 

行動することも、自分を活かすことも

それをやらなければと思う必要もありません。

 

存在しているだけで

周りに調和をもたらす在り方があります。

それだけで貢献。

それだけで充分。

 

自分の内側を平和に保ち、整えて

日々、静かに満たされて暮らしているだけで

その人の放つ穏やかな波動が

地球にも人々にも良い影響を与えます。

 

その平和な在り方の波動による影響は

行動したことによって与える影響よりも

広く、深く、波及していきます。

 

無理して頑張って行動することよりも

自分を整えることの方が

より貢献できるということになります。

 

 

 

私は、もう「行動しなければ」

という次元にはいないのだと思いました。

 

もう、焦る必要も

「自分は何もしていない」と

自分を責める必要もありません。

 

自分の使命を果たさなければ

行動しなければ、と思うと

自分に圧がかかります。

 

圧がかかると緊張して、ギュッとして

波動が下がります。

できていない自分に✖️をつけて責めても

波動が下がります。

 

波動が下がることが正解なわけない。

 

 

 

だから、「行動」よりも「在り方」が大事。

日々、自分を整えて、満たして

幸せに暮らすことは

「行動」よりも大事なのです。

 

自分が静かに整っているか

どんな自分も許して愛しているか

あるがままののびのびと自由な自分でいるか

穏やかに心地よく幸せでいるか

喜びを与えて自分を満たしているか

公平な視点、中庸な心でいるか

愛と調和と共鳴しているか

 

要するに、自分が満たされて幸せであるか

自分の内側に集中していることが

大事なのだと思います。

 

 

 

 

 

その幸せな自分を生きていて

ふと思いついたこと、やりたくなったことを

やりたいようにやっていく。

(やりたくないならやる必要なし)

 

それは、自分が楽しいだけではなく

周りの人にとっても嬉しいことでしょう。

 

自分は、ただやりたいからやってるだけ

ただ楽しいからやってるだけなのに

それがみんなにも喜ばれるという

ミラクルが起こるのだと思います。

 

その時、「行動」も「自分を活かすこと」も

必要ない!と手放したのに

自然な流れで「行動」し

「自分を活かすこと」になっています。

 

手放したら手に入る。

いつものパラドックスです。

 

欲しいものがあったら

まず全部手放すといいですね。

もういいや、いらな〜い、と。

そして、自分をひたすら満たし

愛することに集中する。

 

すると、いつのまにか

自分の望む結果になっているものです。

宇宙って不思議。

 

 

 

 

 

以上書いてきたこれらのことに気づいた頃

受け取ったメッセージ。

 

「もう外側じゃないんだよ。内側なんだよ。

外側の世界をコントロールしようとすることは

もう卒業。行動によって現実を

変えようとすることは卒業。

自分を楽しませること、自分の内側を

豊かにすることに集中して。

自分の内側の在り方が

あなたの現実を創っているのだから。」

 

 

 

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「本当にやりたいこと」とは?

 

 

 

「本当にやりたいことは何?」

と自分に問うことがあります。

 

このことについて考える時、よく

「わからない」「何も浮かばない」

となります。

 

私のやりたいことってなんだろう?

何がしたいの?

あれは?違う。これは?違う。

何も浮かばない。

やりたいことなんてない。

 

と、ここまで来て、今度は

何もやりたいことが浮かばない自分に

ガッカリして残念な気持ちになります。

 

やりたいことをイキイキと

楽しんでいる自分になりたいのに

やりたいことがわからないなんて

残念すぎます。

 

でも、これは

ありのままの自分を生きる在り方ではなく

まだ、何らかの理想の自分を設定して

そこにはめ込んでいく在り方なのです。

 

 

 

 

 

本当にやりたいこととは

「何かをすること」ではありません。

自分がどう過ごしたいか、なのです。

 

日常の中で自分のままでいること。

 

やりたいことというと、わかりやすく

絵を描く、歌う、物を作る、何かを育てる

体を動かす、食べる、人とおしゃべり、など

趣味的なことが思い浮かびますが

そこに当てはめようとしなくていいのです。

 

もちろん、それらをやって楽しむのもいいし

内から溢れるものを表現することや

心地いい時間を過ごすことでもOK。

 

ソファにゆったり座って

お茶を飲みたいなら、それでOK。

 

何もしたくない、ボーッとしたいなら

それもOK。

心ゆくまで何もしない時間を過ごせばいい。

 

本当にやりたいこととは

「何をするか」ではなく

「どう過ごしたいか」。

 

どう過ごしたら

自分のままでいられる?

本当の自分で過ごせる?

自分が心地よく過ごせる?

自分が自然に感じられる?

 

 

 

 

 

一時期、私に

「本当は何がしたいの?」という問いが

やってきていました。

 

「それは本当のあなたなの?

本当のところを見ましょう」と。

 

 

 

私は自分を振り返りました。

 

その瞬間に

自分が心地いいか?

自然か?

自分のままでいられるか?

という視点で日常の過ごし方を見直しました。

 

ごはんが先か、お風呂が先か、みたいな

どうでもいいような些細なことです。

 

そういう日常の中のほんの小さなこと

全部に対して、自分とのズレを

調整していきました。

 

自分が心地よく自然に感じることを

やっていく。

小さなズレをなくしていく。

 

そうして整えて、どれだけ日常の中で

本当の自分のままでいられるのか、が

大事なのだと思いました。

 

 

 

 

 

その自然体の本当の自分が

今この瞬間やりたいこと

それが「本当のやりたいこと」です。

 

本当の自分でいれば、やりたいことは

捻り出さなくても自然に、勝手に

湧き上がってくるものです。

 

これやってみたい、やってみよう!

と体も勝手に動くものです。

 

何も浮かばないなら

何もやらなくていいということ。

 

何かをやることよりも

何もしないで休むことが大事だったり

自分の心を見つめることがやることだったり

無理してないか?我慢してないか?と

本当の自分へと戻すための時間だったり

ほかに大切なことがあるのだと思います。

 

 

 

本当の自分のまま

自然で、心地よく感じることを

日常の中で過ごしていく。

 

それが「本当の自分を表現すること」

なのだと思いました。

 

 

 

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言いづらいことを言う

 

 

 

前回「本当の自分であるために

嘘はつかない」という記事を書きました。

 

 

 

その続きになりますが

最近はもっと高度なことに挑戦しています。

それは「言いづらいことを言う」ということ。

 

今まで、言いづらいことは言わずにいる

というのが私の在り方でした。

 

言いづらいことでも

どうしても言わなければならない時は

今までも頑張って言ってました。

 

でも、別に黙っていても

そのままで何ら支障がない時がありますよね。

これはめんどくさいことにならないように

黙っておこう、特に困らないし、という時。

 

そういう時に自分の心の中にあるものを

「出さない」という選択をしていました。

 

 

 

それで、今までの自分はうまくいっていたし

自分も相手もその場にいる人も

誰も嫌な思いをしないし傷つかないので

それでいいと思っていました。

 

でも、その

「思っているけど言わない」ことが

実は、自分の中の

小さなズレとなっているのでした。

 

 

 

自分の中の間違えた思い込みを手放し

嘘を言わないようにして

自分と大きくズレているところがなくなると

今度は小さなズレの修正が

ずっと続くようになります。

 

その小さなズレの修正が

「言いづらいことを言う」ということ。

 

思っているけど言ってないことはないか?

気を遣ったり、遠慮して

言わなかったことはないか?

それらを少しずつ言っていく。

 

これはとてもハードルが高いです。

言えないから言わないのですから。

 

私にとってはチャレンジで

今現在もチャレンジ中です。

 

 

 

「言いづらいことを言う」とは

何でも思ったままズバズバ言っていい

ということではないと思います。

 

自分を尊重するのと同じように

相手のことも尊重し

傷つけない配慮や思いやりは持ちたいです。

 

だから言い方の工夫が必要で

「私は◯◯だと思う」

「私は◯◯は好きじゃない」

「私それは苦手なの」など

Iメッセージ(アイメッセージ)で

言ったりします。

 

「私」を主語にするIメッセージは

あくまでも「私」はこう思ってる

という話なので

相手を責めるニュアンスがなく

相手も聞きやすいのです。

 

でも、「あなたは◯◯だ」

「あなたのここが◯◯だよね」などと言うと

言われた人は傷つくかもしれないし

否定やジャッジのニュアンスがあって

相手は防衛のため反発して

心のシャッターは閉じてしまうでしょう。

 

そうなると「言わなきゃよかった」

ということになるので

言い方の工夫は大切だなと思います。

 

 

 

そんな感じで

遠慮して言わなかったことを言う

言いたくないことを言う

言いづらいことを言う、など

思ったことを言ってみるという

チャレンジ中です。

 

これは、

自分の見せたくないことを見せること。

自分の全部を出すこと。

 

これをすると自分がさらにクリアになり

一段階変わるそうです。

本当の自分を表現することだからです。

 

 

 

 

 

思ってるけど言わない。

都合の悪いことは隠す。

見せたくない自分は隠す。

遠慮して言わない。

相手の反応を気にして言わない。

 

など、これらは自分を見せていません。

自分を表現していない。

それは本当の自分じゃない。

 

本当の自分とのズレがあります。

 

このズレをなくしていく。

自分の純度を上げていく。

 

誰の前でも、どの場面でも

いつでも、本当の自分のままでいる。

 

本当の自分を表現していく。

 

 

 

これが、大きなズレの修正が終わったあとの

ずっと続く小さなズレの修正です。

 

こうして、クリアな自分へと還る旅は

続いていきます。

 

魂がクリアになればなるほど

人は聖人になるのではなく

子どものように無邪気になるそうですが

とてもよくわかります。

 

ありのままの自分というのは

決して良い人などではなく

わがままでクセがある存在だと思いますから。

 

その一生懸命隠していたクセを

曝け出すのはとても勇気がいりますが

やってみたいと思います。

 

 

 

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嘘をつかないと決める

 

 

 

前回の記事で

「私がこれまでやってきたことは

偽りの自分を手放し、本当の自分へ還ること」

「本当の自分に近づけば近づくほど

ACの苦しさからは解放されていく。

そして、この世界の美しさや

自分が万物から愛されていることなどに

気づけるようになる。」

「本当の自分であること

そして、それを自分に許すことが大事」

ということを書きました。

 

 

 

本当の自分へ還るには

日々、自分を観察して向き合い

自分にスルーされた感情をすくい上げ

丁寧に感じ切り、自分を慰め、励まし

繰り返し癒していくことです。

 

そうして自分の本当の気持ちを

大切にすることで自分の「本当」に

近づいていくことができます。

 

私は

それを趣味のように繰り返していたのですが

もうひとつ、本当の自分に還るために

心がけていたことがあります。

 

それは嘘をつかないということです。

 

 

 

 

 

「嘘をつかない」とは

人に対しても、自分に対しても、です。

 

「嘘をつかない」と決めて

心がけてみると、いかに自分が

日頃、気軽に、無意識に、事実とは違うことを

口から発しているのかに気づきました。

 

例えば、悪いと思ってないのに

「ごめんなさい」と言ったり

反射的に「すみません」と言ったり

断る理由を本当は用事はないのに

「用事がある」と言ったり

大丈夫じゃないのに

「大丈夫です」と言ったり

なんとなくマズイと思って誤魔化したり

その場を和ますために相手を褒めたり…

 

例を挙げたらきりがないほど

本当じゃないことを垂れ流していました。

 

それもほとんど「嘘をついている」という

自覚もないままにナチュラルにです。

 

「私は嘘だらけだ」と思いました。

 

 

 

このくらいの嘘は

嘘とは言わないかもしれません。

 

人を騙したり、傷つけたりしてないのだから

むしろ人を傷つけないようにしてるのだから

別にこのくらいいいんじゃない?とも

思われるかもしれません。

 

でも、今思うことは

例え「このくらい」であったとしても

本当の自分と一致してないことは

自分にとっては「嘘」で

自分を濁らせる要因になるということです。

 

本当の自分と一致すればするほど

自分とのズレは気持ち悪く感じます。

なので、ちょっとした嘘でも

それを日常的についていると

自分のクリアさが損なわれると思いました。

 

 

 

 

 

始めは大きな嘘をつかないようにする。

これは簡単です。

 

それができるようになったら

今度は小さな嘘、そのくらいいいんじゃない?

と思うような嘘もつかないようにする。

 

これは自分でも気づいてなかったりして

意外と大変です。

 

これができるようになるには

自分がいつも何を口から発しているのか、と

自分のその時の本当の気持ちに

気づいていなければなりません。

 

これは、かなり冷静に自分を

見つめることができてないと難しいです。

 

本当の自分と一致し続けて

その自分に言葉も行動も一致させる

という感じです。

 

 

 

そうは言っても、常に一致というのは

私にはまだ難しいな

と思うことがたまにあります。

 

この間も、夫がなにかおかしなことをして

私は思わずクスッと笑ってしまったのですが

夫に「今笑った?」と聞かれて

笑いながら「笑ってないよ」と言いました。

 

これはお互いにもうわかっていて

冗談だと了解しているので

ただの和やかなワンシーンです。

 

だから、私は何の違和感もなく

笑いながら「笑ってない」と言ったのですが

しばらく経ってから

「あれ?私、笑っていたのに

笑ってないって言った。嘘ついてるじゃん」

と気づき、夫に

「今嘘ついた。私、笑ってた」と言いました。

 

こんな感じで、日頃

無意識に自分の本当じゃないことを

言っているものなのです。

 

 

 

自分に対する嘘についても

気をつけなければなりません。

 

自分は、意外と自分を欺いているものです。

大丈夫じゃないのに

「大丈夫だよね!」と無理をさせたり

本当は悲しいのに

気にしてないフリをしたり…

 

自分の「本当」、この場合は

「大丈夫じゃない」「悲しい」という

自分の気持ちや言いたいことを

ちゃんと受け取って

本音と顕在意識の自分が一致していることが

大切なのだと思います。

 

ここが一致していると

自分の中のモヤがかなり晴れる気がします。

 

外に表現できなかったとしても

自分は自分の本当の気持ちをわかっている。

これだけで充分自分を愛しているし

自分の満足度も違います。

 

自分のクリアさを保つためには

自分の本当の気持ちをわかっていることは

必須事項だと思います。

 

でも、自分の本当の気持ちを知るのは

意外と難しいことだったりするので

日々、自分と対話することが大事なのです。

 

本当はどう思ってる?

今、何を感じてる?

本当はどうしたい?

何が嫌?

何が好き?、などなど。

 

 

 

 

 

本当の自分として生きていくにあたって

嘘をつかないということは

本当に大切なことです。

 

これを意識することによって

自分はどんどんクリアになっていきます。

 

透明度の高い自分へと還っていく。

その旅を楽しんでいるのです。

 

 

 

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本当の自分に近づくほど

 

 

 

最近、というかずいぶん前から

このブログにスピリチュアル臭がしていて

なんだか気持ち悪いとお感じの方

いらっしゃるでしょうか。

 

愛だの、源だの、現実創造だの

「ピンと来ないんですけど」という方も

いらっしゃるかもしれません。

 

 

 

 

 

このブログも、始めは

「生きづらい自分がどうしたら

この生きづらさを克服できるのか」

というテーマで

気づいたことを書いてきました。

 

なので、始めのアプローチは

心理学やカウンセリングでした。

 

自分に何が起こったのか

自分に何が起こっているのか

自分はどういう状態なのか

自分はどうしたいのか

自分はこれからどうすればいいのか

自分や他人や出来事をどう捉えればいいのか

 

など、現実の出来事や自分の心を

心理学的に見つめ続けました。

 

そうして、状況や問題を整理して

自分を理解してきました。

 

 

 

状況を整理して自分を客観的に見てみると

自分の中には「本当の自分」がいて

その「本当の自分」の周りに

幾重にも「偽りの自分」が

覆い被さっていることがわかりました。

 

偽りの自分が本当の自分を厚く覆い

本当の自分はまったく姿が見えない状態です。

 

偽りの自分はいわば鎧のようなもので

そのおかげで本当のピュアな自分は

守られているのでした。

 

偽りの自分は傷つく出来事が起こるたびに

自分を守るために強化されるので

傷つく出来事が大きく

長期間であるほど鎧は厚くなり

本当の自分との距離は遠くなります。

 

この鎧は本当の自分を守ってくれますが

それが過ぎると息苦しくなって

本当の自分は窒息してしまいます。

 

その苦しさが

「なんだかわからないけど生きづらい」

というAC特有の生きづらさなのだと思います。

 

 

 

 

 

偽りの自分=鎧は

自分を厳しく批判したり

自分を管理したり

良い人でいたり

優秀であろうとしたり

人の役に立とうとしたり

優しい人でいたり

あるいは人に攻撃的になったり

わざと問題を起こしたり

人を束縛したり

人を拒絶したり、と

これ以上自分が傷つかないように

自分が誰かに愛してもらえるように

必死に立ち回ります。

 

始めから愛されて満たされていれば

やらないだろうということばかり。

それらは全部偽りです。

 

 

 

 

 

そのような自分がまとっている鎧を

一枚ずつ脱いでいく作業こそ

私がずっとやり続けてきたことです。

 

自分と向き合い、感情を味わって

自分を受け入れ、慰め、癒し、励まして

それは行われます。

 

鎧を一枚脱ぐことで

偽りの自分も手放せて

その手放せた分だけ本当の自分に

近づくことができます。

 

その作業を進めるごとに

軽やかになっていき、苦しさは薄れていき

鎧の厚さと反比例するように生きることが

楽しくなっていきました。

 

偽りの自分をすべて手放し

鎧をすべて脱ぎ捨てるのは

難しいことだと思いますが

本当の自分を曇らせるものが

少なければ少ないほど

薄ければ薄いほど

ありのままの本当の自分は輝きます。

 

太陽が雲で覆われていて

その雲が晴れるようなものです。

(太陽=本当の自分、雲=偽りの自分)

 

 

 

 

 

結局、私が人生をかけてやってきたことは

本当の自分へ還ることだったのです。

 

幼い頃、真実ではないことを信じて

身につけてしまった鎧を手放し

元のありのままの本当の自分へと還ること。

 

ここで言う「本当の自分」とは

「魂」とも言え、なんの細工も装飾もない

魂の自分へと還ることが

私の人生の目的でした。

 

 

 

本当の自分であること

魂の自分で生きることで

自然な流れで、愛とは何かを知り

自分がこのままで愛されていることを知り

自分が素晴らしい存在だと知りました。

 

 

 

 

 

これは不思議ですが

自分の純度が上がれば上がるほど

本当の自分率が上がるほど

自分の中の嘘が少ないほど

自分以外の「本当」もわかるようになります。

 

自分が嘘をつかず正直であることで

人の嘘がよくわかるようになり

また、本物の愛とは何かも

わかるようになったのです。

 

たぶん、自分がありのままの自分であるほど

自然や宇宙と調和して波動が上がるから

真実が見通せるようになるのだと思います。

 

自然や宇宙はいつでもありのまま。

花は他の花が良かったなどと嘆かず

木はその時が来れば実を成らせます。

 

ありのままの自分=自然

だから自分を偽っていると

自然や宇宙とは共鳴しないのです。

 

ありのままの自分は自然の一部で

そのままでいることで調和が取れています。

 

調和が取れているということは

波動が高く、宇宙の流れに乗っていて

視座が高く、今まで見えなかったものが

見えるようになります。

 

ただそれだけのシンプルなことで

特別な能力などではなく

誰でも本当の自分を生きればそうなります。

 

 

 

 

 

このようにして、本当の自分へ還ることで

私が意識するところは

心理的なことにとどまらず

スピリチュアルな領域にまで及んでいったのです。

 

この経緯を踏むと

スピリチュアルは胡散臭いものではなく

ごく自然で当たり前なことで

日常の中にいつも共にあるものになります。

 

 

 

始めはただ楽になりたい一心でした。

楽になりたくて自分と向き合い

感情を感じ続け自分を癒してきました。

 

その道がこんなところに続いていたなんて

人生とはおもしろいものです。

 

ひとつ確かなことは

本当の自分に近づけば近づくほど

ACの苦しさからは解放されていくということ。

 

そして、この世界の美しさや

自分が万物から愛されていることなどに

気づけるようになります。

 

 

 

 

 

本当の自分であること。

本当の自分であることを自分に許すこと。

それが大切だと思います。

 

 

 

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「ネガティブな感情は手放しましょう」ってほんと?

 

 

 

「ネガティブな感情は手放しましょう」

とよく言われています。

 

私も、以前は「本当にそうだな」と思い

一生懸命そうしようとしてきました。

 

怒り、不安、恐怖、悲しみ、など

心地悪い感情が湧いた時

「あ、今ネガティブな感情が湧いている。

これは重い周波数だ。

だから自分の外側に出そう。手放そう。」

と思いました。

 

重いものを手放したら、その分

自分は軽くなれると思っていました。

 

 

 

こういう時の手放しのワークは

たくさんあります。

呼吸と共に吐き出したり

手放すと宣言したり。

 

みんなこれを信じてやっていると思います。

これが正しいように見えます。

私もそう思っていました。

 

もちろん部分的には正しかったり

もっともな理屈だったり

トータルでロジックが通っているので

信じてしまうのも仕方ないかもしれません。

 

呼吸と共にネガティブなものを吐き出すのは

確かに効果があります。

 

でも「ネガティブな感情は手放しましょう」は

進む方向としては逆なのです。

 

このことに気づきました。

 

 

 

 

 

ずっとネガティブな感情を手放そうと

頑張ってきましたが、それをやろうとすると

ある時から「なんか違う」

という気がするようになってきました。

 

ネガティブな感情を手放そうとすると

なぜかモヤモヤしてうまくいかない。

 

そのモヤモヤを見つめていくと

ネガティブな感情を感じている自分が

悲しんでいる気がしたのです。

 

「私を認めてくれないの?

私を排除するの?

私を愛してくれないの?

私は悪い子なの?私はいらないの?」

と悲しんでいたのです。

 

ネガティブな感情を感じている私が

悲しんでいるので

スッキリなどするはずがなく

手放しはうまくいきません。

 

それでもそのやり方を信じていた時は

「このスッキリしない感じもネガティブだ。

手放さなきゃ。」と

さらに手放そうとしていました。

 

 

 

 

 

でも、この

「ネガティブな感情をあえて手放す」

という在り方は逆なのです。

 

ネガティブな感情を手放そうとする時

そこにあるのは否定です。

 

「ネガティブな感情は悪い、重い。

持っていてはいけない。良くないものだ。」

という否定。

 

ネガティブな感情を感じる自分✖️

ネガティブな感情がない自分◯

 

これは二元性の世界。

良い悪いというジャッジがある世界。

 

「ネガティブな感情を持っていてはいけない。

だから自分から追い出そう。」という考え方。

 

 

 

 

 

ここに愛はあるでしょうか?

 

否。愛とは逆なのです。

本物の愛は全受容全肯定。

すべてを許している。

どんな自分も許されている。

 

だから、ネガティブな感情がある自分も

そのままでいいのです。

 

ネガティブな感情は100%そのままで

「そうなんだね。そう感じるんだね。

わかったよ。そのままでいいよ。

そのままのあなたとずっと一緒にいるよ。」

とすべてを許し、そのまま受け入れ

抱きしめて、愛する。

 

心の底から「そのままでいい」と自分を許す。

ネガティブな自分を愛する。

 

そうして許された時

ネガティブな感情の自分は安心して

自分の中にキラキラと溶けて

消えていくのです。

 

その時、ネガティブな感情は

もう感じなくなっているでしょう。

 

それはつまり「手放せた」ということ。

自分は数段軽くなっています。

 

 

 

大事なポイントは、心の底から

「どんな自分もそのままでいい」と

自分を許すことです。

 

そのあとの手放せた状態になりたくて

それ目的で

「全部そのままでいいよ!」と言っても

自分は自分の嘘は簡単に見抜きますから

手放しは起こらないでしょう。

 

本当に心から「こんな自分もOKだよ」

と思えて愛せた時に手放しは起こります。

 

 

 

感情の手放しは「するもの」ではなく

「起こるもの」です。

 

主体的にするのではなく

ある状態になった時に「起こるもの」。

 

コントロールしようとしたら

悲しむ自分がいるでしょう。

 

(ここではどうしようもなく湧いてくる

感情について話しています。

主体的に手放すことができる時もあります。

やり方や考え方、観念、ルーティン、ルール

物、人間関係など)

 

 

 

 

例えば、幸せになりたい

軽く、気分良くなりたい

愛のある世界に生きたい

目覚め、覚醒したい、と思う時

「ネガティブな感情を手放そう」としていると

そこには行き着けないでしょう。

 

それはまるで出口のない迷路の中を

永遠にぐるぐるしているようなものです。

 

「ネガティブな感情を手放そう」には

今の自分自身への否定がある。

否定していたら気分良くもなれないし

幸せにもなれないし

目覚めることもできません。

 

 

 

幸せになりたい時も

気分良くなりたい時も

愛の世界で生きたい時も

目覚めたい時も

やることはひとつだけ。

 

自分のすべてを許すこと。

自分を全受容全肯定すること。

 

これはすべての根源である源の愛と同じ。

源の愛は全受容全肯定の愛。

無条件の愛なのです。

 

だから自分のことを全受容全肯定した時

自分を無条件に愛せた時

自分は源の愛と同調していることになります。

 

その時、自分は安心に包まれ

流れに乗って人生を進んでいくことが

できるのだと思います。

 

もちろん、完璧に自分のことを

全受容全肯定するのは難しいことです。

 

でも、それができない

不完全な自分すらも許す。

自分を許せない自分も許す。

 

それが自分を愛するということだと思います。

 

 

 

 

 

ネガティブな感情を

手放そうとすると手放せなくて

手放そうとすることを手放し

(ややこしいですね)

そのまま丸ごと受け入れると

結果的に手放しが起こる。

 

世の中、逆なことが多いものです。

 

 

 

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