心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

今日という一日

 

 

自分自身であること

自分のしたいことをすること

自分の心が弾むことをすること

自分を全開で表現すること

 

これらのことを後回しにしない。

 

 

 

しなければならないことや

人を喜ばせること

人からの評価を得ることに

埋もれさせて

後回しにしない。

 

 

 

そのことを忘れないでいよう。

 

 

 

今日という一日は

私がこの世を楽しむためにある。

 

 

 

今日という日は

私のためにある。

 

 

 

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インナーチャイルドの望みを叶える

 

 

私の中には、小さな女の子がいて

インナーチャイルド

その子と良好な関係であることを

心がけています。

 

 

 

 

どのように関係を築くのかというと

イメージの中でです。

 

 

 

ひとりの時に、リラックスして深呼吸して

静かになって目を瞑り

自分が部屋にいて小さな女の子が

部屋の外にいるとイメージします。

 

そして、部屋の外にいる女の子に

「もしよかったら部屋に入ってきて

くれませんか?」と聞いてみます。

 

 

 

インナーチャイルドと繋がれず

まだ関係がうまくできていないと

入ってきてくれない場合もありますが

インナーチャイルドに無理強いは禁物で

必ず、その子の気持ちを優先します。

 

その場合は

その子がこちらを信用してくれるように

こちらの思ってることを伝えて

(「今までごめんね」とか

「あなたの気持ちを聞かせて欲しい」とか

「あなたを大切に思っている」とか)

出てきたくないその子の気持ちを尊重して

終わりにします。

 

関係ができてない場合は

今までほとんど無視してきていて

その子はこちらを信用してなくて

「どうせわかってくれない。

どうせ聞いてくれない」と思っています。

 

なので、今まで全然顧みなかったことや

傷つけてきたことを、まず謝罪するのが

一番始めにやることです。

 

話をするのは、その先の話です。

 

それは、現実の人間関係を想像してみても

わかるでしょう。

ずっと粗末に扱われて傷つけられてきたのに

ある日、突然優しくされて「仲良くしよう」

と言われても、普通

「え、今さら何なの?」と警戒します。

だから、まず謝罪なのです。

 

そして、自分の思っていることを

誠意を持って真摯に伝えます。

 

始め、こちらを拒絶して会ってくれなくても

会ったとしても表情が固くても

誠意を持って関わり続ければ

そのうち表情が柔らかくなってきて

関係は変化していきます。

 

それも、現実の人間関係と同じです。

 

 

 

 

 

 

ドアから女の子が入ってきてくれたら

「あなたとお話がしたいんだけど

お話してもいい?」と聞きます。

 

女の子がうなづいたり、「いいよ」と言ったら

「何かしてほしいことある?」

「何か欲しいものある?」など聞きます。

 

そして、その時女の子が言ったことを

イメージの中でできることはそこでしてあげて

(高い高い、抱っこ、一緒に遊ぶなど)

現実でできることは現実で叶えてあげます。

 

こちらの伝えたいことを伝え

(「今までごめんね」「大好きだよ」

「ずっと守ってあげるからね」など)

「今日はお話してくれてありがとう」と

お礼を言って「またね」とさよならします。

 

 

 

抱きしめてあげたいと思ったら

「抱っこしてもいい?」と必ず聞きます。

こちらの思いだけで勝手に動かないで

女の子の気持ちを尊重することを

忘れないようにします。

 

そこで尊重できないと、結局今までと同じで

「私のことなんて考えてないんだ」と

信用を失うことになります。

 

だから、「とにかく大切に」。

それは、自分のことをどれだけ本気で

大切にできるか、ということに繋がります。

 

 

 

 

 

私の中の小さな女の子も

始めは暗い様子で無表情でした。

 

でも、たくさん謝って

優しく声をかけ続けたら

だんだん表情が緩んで明るくなっていって

今では子どもらしくイキイキしています。

 

 

 

 

 

部屋に入ってくるなり

楽しそうにくるくる回ったり

スキップしたりして

「私は踊ることが大好きなの!」

と言っていました。

 

「何かしてほしいことある?」と聞くと

「私はご機嫌でいたいの」と言いました。

 

「鳥を見ていたい。自由に飛んだり

歌ったりする鳥をずっと見ていたい」

と言ったり

「ふわふわしたあったかい所で寝たい」

と言ったりもしました。

 

 

 

 

欲しいものを聞くと

ニコニコして「あめがほしい」。

「あめ」と言われて、直感で

「ああ、あれだな」とわかります。

 

チュッパチャップスの

ストロベリークリーム。

子どもの頃、ワクワクしながら

なくなっちゃうのがもったいなくて

大事に舐めていた大好物です。

 

 

 

女の子の望みは可能な限り叶えてあげますので

私は、次の日、チュッパチャップスの

ストロベリークリーム味を買ってきて

自分で舐めました。

 

すると、次の朝、目覚めたとき

心がスッキリと軽くなったのを感じたのです。

潜在意識にあった思いを叶えることで

自分は癒されたのだと思いました。

 

だから、例えば女の子が

「ぬいぐるみが欲しい」と言ったとして

今の自分が「いや、いらないなぁ〜」

と思ったとしても

それはやっぱり叶えてあげた方がいいのです。

 

潜在意識ではぬいぐるみが欲しかった。

けれど、我慢したのか、否定されたのか

買ってもらえなかったその思いを

今、叶えてあげることで

自分は満たされ、癒されます。

 

女の子の望みを叶えて満たしてあげることは

自分自身を満たしていくことなのです。

 

 

 

同じことで、女の子を抱きしめると

とても温かい幸せな気分になります。

それは、女の子を抱きしめながら

自分自身のコアな部分を抱きしめられている

と感じるからです。

 

女の子を幸せにすれば

自分自身も幸せを感じて

女の子を大切にすれば

自分自身も大切にされたと感じ

女の子を癒せば

自分自身も癒されます。

 

女の子は自分の一部、

女の子は自分自身なのです。

 

 

 

 

 

だから、インナーチャイルドとの関係は

とても大事です。

 

自分が何か満たされない、

なんだかモヤモヤする、と思ったら

自分の中の小さな子どもに

「何が欲しい?どうしたい?」と

聞いてみるといいかもしれません。

 

自分の中の

小さな子どもを満たしてあげることで

現実の自分も心が穏やかになることがあります。

 

 

 

 

ただ、これはイメージの中の話なので

そんなに都合よくいくのかな?とか

自分で勝手に想像してるだけじゃない?など

疑問に思うかもしれません。

 

始めはうまくイメージできないことも

あるかもしれませんが

諦めずに、自分の中の小さな子をイメージして

優しく声をかけ続けてみてください。

 

始め姿が見えなくても、何回目かで

ひょっこり出てきてくれたりします。

出てきてくれないことに苛立つと

怖がって余計に出てきてくれないでしょう。

 

なので、深追いをせずに、執着せずに

出てきてくれなかったら

「ま、いっか」とあっさり引き下がると

いいと思います。

 

昨日の記事の「受け入れる」と同じで

「出てきてくれないということは

そうしたいんだな」ということなので

それでいいのです。

 

でも、諦めずに、優しく声はかけ続け

「あなたを気にしているよ」という

メッセージは伝えるといいですね。

 

 

 

もし、姿を現してくれたら

それは自分の勝手な想像ではないので

その姿をそのまま受け入れて

関わってあげます。

 

その子の様子をよく見て気遣ってあげます。

すると、その子の表情が

自分の想定外に変わっていったり

自分の想定外のことを言い出したりして

その子が、自分に都合よく

自分が動かしている存在ではないと

腑に落ちる時がくるでしょう。

 

 

 

 

 

インナーチャイルドとの関係が良好になると

現実の自分も心が軽くなったり

穏やかになったりと変化が起こります。

 

傷つき、孤独なインナーチャイルドを愛し

その子の望みを叶えてあげることで

自分の人生も豊かになっていきます。

 

 

 

だから、私は

自分の中の小さな女の子と仲良くして

女の子のリクエストに応えていく。

女の子の望みを叶えていくのです。

 

 

 

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抵抗を手放す

 

 

人は、今ここにないものを

探し求めるものです。

 

 

 

もっと優れた人になりたい

もっと痩せたい

結婚したい

子どもが欲しい

成功したい  など。

 

今のままでは何かが足りない。

だから、その足りないものを手に入れるために

何かを頑張って、努力しています。

 

そうやって、ないものを得ようと努力すると

無自覚ながら、自分は緊張します。

いつでも緊張している状態です。

 

 

「今のままではダメ」と

今あるものに対する抵抗があり

何か別のものを求める感覚。

 

体は緊張しています。

 

 

 

この緊張状態が

自分を苦しめているのです。

 

緊張を緩めてリラックスできると

自分は安心してくつろぐことができます。

 

 

 

 

「今」への否定、抵抗、拒絶、努力、執着が

緊張を生み出すのだから、それらを

手放せばリラックスできるということです。

 

抵抗や執着などは、流れを滞らせ

自分の首を締めて苦しくさせるので

流れを止めないためにはしがみつかないで

すべてを流す、手放すことです。

 

 

 

 

具体的には「今」を受容すること。

起こることを受け入れる。

起こることを見ているだけ。

人も、ものごともすべて丸ごと受け入れる。

 

 

 

「受け入れる」というと

「無理!」と思いますが

「見ているだけ」ならハードルは低いです。

 

自分のことも、人のことも、ものごとも

見ているだけ。

否定したり、ジャッジしたり、抵抗したり

しがみついたりしないで

ただ、「へぇーそうなんだー」と

見ているだけでいいのです。

 

それだけで

否定や抵抗を握り締めていたときよりも

ふわっと楽になります。

 

そして、ふわっと緊張も緩みます。

 

「見ているだけ」というのは

何もしてないようですが、実は

「受け入れる」にとても近いところにいます。

 

「受け入れるなんて無理!」と思うなら

「受け入れなくていいから、ただ見ていよう」

と思ってみるといいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

否定、抵抗、拒絶、執着、ジャッジなどは

エゴの思考なので

それに気づいていることも大切です。

 

このエゴからの反応の思考は

自分を観察していると

いつでも浮かんできていることがわかります。

 

それも「こんなこと考えちゃダメ!」と

否定しないで見ているだけ。

「へぇ〜こんなふうに受け取るんだ〜

こんなふうに考えるんだね〜」と

他人事のように距離を取って認識します。

 

いついかなる時も

エゴがしゃしゃり出てきて判断しています。

だから、それもなくそうとしないで

ただ見ているだけです。

 

 

 

 

 

 

これがこうだったら、とか

これが起こらなければ、と条件をつけず

何が起こっても、それを受け入れます。

 

「そうなっちゃうんだ…」

「そうきたか…」と思うときもありますが

その経験を「やってみる」。

 

すべての経験はする価値があります。

素晴らしい経験も、嫌な経験も

悲しい経験も、罪深い経験も

同じだけの価値があります。

 

自分に起こったのなら

「そういう流れなんだな。

これを経験するんだな」と受け入れて

抵抗しないのが一番楽な対処法です。

 

私は「こうなったということは

これでいいんだな」と思うようにしています。

 

 

 

 

 

すべて受け入れると決めると

「これでも?」とお試しのようなことが

起こるものです。

 

けれど、それに抵抗したところで

幸せにはなれないので

降参して受け入れるしかないのです。

(否定からスタートしたものは

否定的な結果にしかならない。抵抗=否定)

 

結局、自分がどんなに

「こんなの嫌だ!」と抵抗したところで

その努力は不毛で

同じところで足掻いているだけで

自分の望みは得られないのです。

 

幸せになりたい、安心したい

と思うなら、一番の近道は

「受け入れること」なのです。

 

 

 

 

 

抵抗が緊張を生み出す。

抵抗を手放すとリラックスする。

抵抗を手放すにはリラックスする…?

 

卵が先か、鶏が先か、

わからなくなりました。

たぶん、抵抗とリラックスは

相互に作用していて

抵抗しないとリラックスできるけど

リラックスしても抵抗を手放せるのだと

思います。

 

 

 

 

 

緊張の元となる思考を止める方法を、以前

ホメオパシーの先生に教えてもらいました。

一応、ここに書いておきます。

 

・運動する(散歩、体を動かす)

・手を動かす(編み物、図工など物作り)

・体を温める(温めると筋肉が緩む→

リラックス→思考止まる)

 

だそうです。

 

自分の好きなことをしたり

心地良いことをしてもリラックスできますね。

 

 

 

 

 

全部は無理でも、少しだけでも

「今のままじゃダメ。こうじゃなきゃダメ」

が手放せたら、だいぶ楽になると思います。

 

 

 

自分も、周りも

本当はこのままでいいのですから。

 

そして、人生をくつろいで

楽しんでいいのですから。

 

 

 

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人生の縮図

 

 

オリンピック開催真っ只中です。

 

私は、サッカー日本代表が好きで

観察しているのですが

オリンピック世代も応援しています。

 

 

 

サッカーの試合はゲーム自体も楽しいですが

気づきがあったりして、なかなか深いです。

私がどんなことを考えているのか

お話したいと思います。

 

 

 

 

 

 

先日のメキシコ戦は日本が勝ちました。

メキシコといえば、私のイメージでは

「強い」「日本はいつも負ける」。

 

事実、メキシコはサッカー強豪国で

前節のフランス戦では

4-1でフランスを破っていました。

 

正直「日本はベストメンバーで臨んで

引き分けに持ち込めればいいかな」

なんて思っていました。

 

それが、蓋を開けてみれば日本の勝利。

あの強豪が、日本を相手に

ほとんど機能してなかったのです。

 

もちろん、日本の選手が

自信と勇気を持って積極的に戦ったからです。

日本の選手たちが優秀だったからです。

 

 

 

私は、その戦いを観て

本当に失礼ながら、びっくりしました。

「え!メキシコに勝っちゃうの⁉︎」

 

 

 

私は、その試合を観て

大切なことを思い出させられました。

 

「先のことはわからない。何も決まってない」

 

そのことは理解しているつもりなのに

どうしていつも過去のデータを元に

未来を勝手に決めてしまうのか。

 

「相手が強い」と恐れて

「負けてもしょうがない」と

予防線を張るのか。

 

正しく恐れて(リスペクトして)

相手を研究して対策を講じることは必要だけど

大事なのは、自分を信じることなのです。

 

未来は何も決まっていません。

「これから自分が選ぶのだ」と

日本代表の選手たちが教えてくれました。

 

私は、このことを

忘れないでいようと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

サッカーの試合は人生のようなものです。

 

やることがうまくいき調子が良い時もあれば

攻め込まれてジッと我慢する時もある。

 

攻める時と守る時の流れがあって

どちらか一方だけではなく

必ず流れが変わる時がくる。

 

どんなに苦しくても、諦めずにいれば

それが永遠に続くということはなく

逆に、イケイケドンドンの時も

それが永遠に続くわけではない。

 

苦しくてもいつか必ず終わる。

良い時もそれが永遠ではない。

 

波の満ち引きのようにリズムがあり

その流れに相応しい過ごし方をすればいい。

 

 

 

うまくいかないかもと不安になったり

イケるかもと希望を見出したり

終わったプレーにこだわって

グダグダ言ってる暇はなく

先のことはまだ何も決まっていない。

 

今、この一瞬のプレーが連続していて

それは、圧倒的なライブ。

 

今ここ。この瞬間。

それがサッカーの試合。

 

人生の縮図。

 

だから、観ていて楽しいのです。

人生を味わっているのです。

 

 

 

 

 

先のことが何も決まっていないというのは

とても不安なので、人は

先に知っておきたいと思うものです。

 

でも、自分に起こることを先に知っていたら

人生の喜びや感動は

10分の1以下になるでしょう。

 

 

 

それは

結果を知っている試合を観ればわかります。

 

これからどうなるか知らなければ

ハラハラドキドキして

逆転でもしようものなら飛び上がるほど嬉しく

鳥肌が立つくらいの感動を味わえます。

 

でも、これからどうなるか知っていると

安心感はありますが感動はありません。

 

だから、「先を知らない」ということは

感動を味わえるギフトなのだと思いました。

 

人生の中では「なんで私がこんな目に」とか

「どうしてこんなことになった」ということが

起こりますが、それも込みで

いろんな感情、いろんな感動を

味わえるようになっているのですね。

 

だから、嬉しい感情であれ

嫌な感情であれ、そのすべての感情が

「感じられて嬉しい」のです。

 

それが、生きているということです。

 

 

 

 

 

私は、今回のオリンピックで

日本が勝ってくれたら嬉しいですし

メダルが取れたら普通に喜ぶでしょう。

 

でも、それだけではなくて

私は、日本の選手たちが

どう戦うのかを観てみたいです。

 

苦しい時に諦めず、自分を信じて進むのか

怖れからジリジリと下がっていくのか

無心になってサッカーを楽しむのか

気持ちを込めて戦うのか

苦戦した時、どういう態度で臨むのか

 

一流アスリートの

その瞬間の生き方を観てみたいです。

 

結果、敗れたとしても

そのライブを観られただけで楽しいです。

 

 

 

 

 

ふと、神様も

同じような気持ちなのではないか?

と思いました。

 

「こうなったら、さあ、どうする?」

と、私たちの生き方を

見ているのではないでしょうか。

 

そして、神様が助けたくなるのは

やっぱり、自分を信じている人

一生懸命な人、雑念なく我欲なく

無心になって楽しんでいる人

最後まで諦めず走り切る人

こうしたいと強い気持ちでいる人

なのではないでしょうか。

 

そうして、この世というフィールドで

プレーしている私たちも楽しんでいるけれど

見ている神様も

楽しんでいるような気がします。

 

そして、きっと応援してくれているでしょう。

 

 

 

 

やっぱり、結果がどうだったかよりも

「どう生きるか?」が

一番大切なことなのだと思いました。

 

この与えられた時間を

どう生きるか、どう過ごすか

自分らしく、意識的でいたいです。

 

 

 

 

 

 

これらのことは他の競技でも同じですね。

 

一流アスリートの一流な技術は

とても美しいです。

スポーツは美しいのです。

 

 

 

私は、頑張っている人を応援して

オリンピックを楽しみたいと思います。

 

 

 

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小さな幸せは毎日味わうことができる

 

 

誰もが羨むような

大きな幸せは、人生で

滅多にないかもしれないけれど

 

小さな幸せは

毎日味わうことができる。

 

 

 

 

 

猫がのんびり昼寝をしてる姿を見るとき

 

肌触りの良いパジャマを身に纏ったとき

 

干した洗濯物が風に揺れるのを見るとき

 

ジューシーな桃をほうばったとき

 

ゴロンとなって畳の匂いを嗅ぐとき

 

温かいお布団に包まれるとき

 

美しい夕日を眺めるとき

 

窓辺に小鳥が来てチュンと鳴いたとき

 

パン屋さんに寄って

パンを買ってスキップしたい帰り道

 

洗顔で清らかなたっぷりのお水が

肌に触れる瞬間

 

ベランダの椅子の上で

爽やかな自然の風が体全体を撫でていくとき

 

朝一番に窓を全開にして

部屋の中を風が通り抜けていくとき

 

朝目覚めて何の予定もなく

「私は自由だ」と思ったとき

 

 

 

 

 

小さな幸せは

毎日の中に散りばめられている。

 

 

 

 

夜の満天の星は

見ようとして空を見上げないと見れない。

そして、空を見上げても

始めは星がよく見えないものだ。

見ようとして目を凝らしていると

だんだんと星が姿を現してくる。

さらにずっと見ていると

目が慣れてきて

この夜空が満天の星だったと気づく。

 

 

 

毎日の中の小さな幸せも

夜空の星のように

「見よう」としなければ見えない。

 

「見よう」と思って

目を凝らしていると

だんだん見えるようになってくる。

 

そうしてずっと見ていると

はっきりと見えるようになって

「それは始めからそこにあったのだ」

と気づく。

 

夜空の星が

始めからずっとそこにあったように

小さな幸せも

始めからずっとそこにある。

 

 

 

 

 

小さな幸せは

五感を通してもたらされる。

 

好きな味、好きな香り、好きな音

好きな肌触り、心地いい感触

心地いい感覚、美しいもの、楽しいもの。

 

 

 

五感が喜ぶものを取り入れると

それだけで幸せを感じられる。

 

自分の五感が喜ぶ毎日の中に身を置くとき

自分はもう幸せだったと気づく。

 

 

 

一攫千金を狙わなくても

大成功を収めなくても

大人気にならなくても

 

もう、自分は幸せの土台の上にいる。

 

 

 

 

 

何の努力もいらない。

ただ、見るところを変えるだけ。

 

毎日の中に散りばめられた

小さな幸せを見て

それを心ゆくまで味わうだけ。

 

小さな幸せは

毎日の中に散らばっていて

いつでもそこにある。

 

 

 

 

小さな幸せは

毎日味わうことができる。

 

 

 

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より良い自分を目指すことをやめる

 

 

努力して良い人間であろうとしたり

幸せになろうとすることをやめる。

 

それでは迷路に入りこむと

気づかなければならない。

 

 

 

 

 

良い人間であろうとするのは

自分のネガティブな面など

本当の自分から目を背けているし

今の自分は良くないと否定しているから。

 

努力するのは

今の自分ではダメだと否定しているから。

 

幸せになろうとするのは

自分には足りないものがあると

思っているから。

 

 

 

良い人間になろう、努力しよう、

幸せになろう、というのは

表向きキレイに見えるけど

裏には否定が隠されている。

不足が隠されている。

 

 

 

その不足を補おうとするのはエゴだ。

 

努力して何かを得ようとすることも

幸せに「なろう」とすることも

自分の価値を上げようとすることも

より良い自分を目指すことも、エゴだ。

 

「より良くなりたい。もっと、もっと」

はエゴの発想。

 

エゴはコントロールしたい。

執着したい。

エゴは努力が大好き。

 

エゴが自分を否定していて

それを補おうと努力している。

 

 

 

 

 

 

まったく逆だ。道が違う。

 

私は、より良い自分を目指すことを

いったん手放そうと思った。

 

 

 

 

 

おでんの大根に味を染み込ませる時は

一回、火を止めて冷ます。

そうして放っておくと

冷めていく過程の浸透圧で

味は勝手に染み込んでいく。

 

味を染み込ませようと執着して

意地になって火をかけ続けるのではない。

火にかけることをやめ

染み込ませようとすることをやめる。

一回、手放す。

 

同じように、私は

より良い自分を目指すことをやめる。

一回、手放す。

 

がんばって

より良くなろうとすることを手放すと

自然と成熟へと向かっていく。

 

 

 

 

 

やることは

自分も、周りも

すべて、あるがまま受け入れること。

 

ありのままの「今」を

経験することにオープンでいる。

 

産まれたての赤ちゃんのように

地球の常識を知らない異星人のように

目の前のことを、ただ見る。

 

常識も何も知らないのだから

何の判断もしようがなく

ただ、ありのままを見て

受け入れるしかできないはずだ。

 

目の前の出来事に

素直に、オープンにしているだけ。

 

努力、ジャッジ、否定、日課、ノルマ

こういうものはいらない。

 

ただ、すべてを受け入れているだけ。

 

 

 

その状態で、やりたいことはやればいい。

それは、否定や不足からの努力とは違う。

 

スタート地点が

「愛」なのか、「不足」なのか。

やっている行為が同じでも

スタート地点の自分の在り方で大違いだ。

 

 

 

やることはシンプル。

あるがままを受け入れて

コントロールや執着を手放すこと。

わからないと降参すること。

 

 

 

コントロールを手放せたら

この世はくつろげるところになる。

 

 

 

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自分が自由になることを許す

 

 

次男が小学生の頃

仲良くしていたお友達のお母さんが

私は苦手でした。

 

 

 

その人は、教育熱心で厳しくて

なんとなく批判的なのです。

 

「こうすべき、こうじゃなきゃダメ」

がいっぱいあるみたいで

それに反するものは許せなくて

いつもイライラしていました。

 

 

 

べき、ねば、がいっぱいあると

周りの人も出来事も

自分の思い通りにならないことだらけなので

いつもイライラと腹を立てることになります。

 

その人も、そんな感じで

自分の子どもに対しても

いつもガミガミと怒っていました。

 

うちの子ども情報によると

家の中では自分の子どものことを

蹴ったり叩いたりして

言うことを聞かせていたそうです。

 

 

 

 

 

そのお母さんは、たぶん

私たち親子が嫌いだったと思います。

 

次男は、高機能自閉症でちょっと変わっていて

普通やらないことをやったり

常識から外れたりすることがあるのです。

 

いわゆる「良い子」ではなくて

どちらかというと問題児でした。

(中学生になったら

学校一の問題児になりました)

 

 

 

人の顔色が人一倍気になる私は

次男が幼い頃から

「人の迷惑にならないように。

常識から外れないように」と

神経をすり減らしていました。

 

でも、そんなこと言っても、次男は

まったく異次元のスケールで生きていて

大人が思う枠にはめようとすると

ものすごいエネルギーで反発して

私の思う「良い子」にはなってくれません。

 

私は、途中から、次男を

普通の子にしようとすることをやめました。

 

なるべく枠にはめようとせずに

次男の個性を尊重して

でも、次男が社会の中で快適に過ごせるように

ルールやマナーを丁寧に教えていきました。

 

 

 

その私の教育方針が

厳しく子育てしてる人から見ると

甘くていい加減に見えるのでしょう。

 

子どもたちの間で何かトラブルが起こるたびに

「どういう教育されてるんですか?」

というようなことを言われました。

 

 

 

そんなお母さんに育てられている

次男のお友達は、成績も良く

大人の言うことをよく聞く良い子で

そんな子が、なぜ次男と仲が良いのか

本当に不思議でした。

 

不思議ですが、次男とその子は

本当に馬が合うようで

学校が離ればなれになるまで

ずっと一緒に遊んでいたのでした。

 

私は、その子のお母さんからの

風当たりが強いので

「なるべく遊ばないでほしい…」

と内心思っていたのですが。

 

 

 

 

 

どうしてもその子と関わるので

そのお母さんの「ねば、べき」にそぐわない

私や次男は、たびたび、そのお母さんから

批判めいたことを言われます。

 

それは

完全にその人の物差しによるジャッジで

「うちの事情も知らない人から、なんで

そんなこと言われなくちゃならないんだ」

と、本当に嫌な気分になりました。

 

でも、私は反論もせずに

ただひたすら謝っていました。

 

 

 

 

 

 

そんなことを繰り返していて

私は、あることに気づきました。

 

 

 

私がゆるい子育てをして

キツイお母さんが批判してくる。

これって、子どもの頃、私が自由にして

母がそれを否定してくるのと同じ構造だ!

 

 

 

そのお母さんと私の母は

本当に怖いくらいそっくりなのでした。

 

「ああ、同じだな、繰り返してるな」

と同じパターンを繰り返していることに

気づきました。

 

 

 

このパターンのテーマは何か?

そう考えてみると、それは

私自身のゆるさ、自由と、それに対する否定。

「自由と否定」だと思いました。

 

そこを、もっと掘っていくと

私自身の中に「自由になってはいけない」

という否定と、「自由になると攻撃される」

という怖れがあることがわかりました。

 

子どもや他人まで巻き込んで

これは、「私が自分の自由を許すのか?」

という問題なのだと思いました。

 

たぶん、それだけの問題なのです。

 

 

 

 

 

他人のお母さんから嫌味を言われるなど

本当に嫌な体験をしましたが

それは、私自身が

この「自由」について真剣に考えて

自分を解放するために起こったのです。

 

この出来事は

「もう自分に自由になることを許そう」

とメッセージをくれていたのでした。

 

 

 

人からとやかく言われるのは

本当のところ、自分が自分に

それを許していないからなのです。

(目の前の起きることは自分の心の反映)

 

 

 

 

 

 

自由になることを自分に許すのは

自分を愛することです。

 

人の自由を許すのは

その人を愛することです。

 

自由とは、自分のままでいること。

自分らしくあるということ。

 

 

 

私は、その時

自分が自由になる時が来たと思いました。

それを、自分で意図して選ぶ時がきたのです。

 

 

 

私は、自由にしていい。

子どもも、自由にしていい。

そして、批判する人も批判していていい。

 

そのままでいいのだ。

「私、自由」→「文句言われる」でいいのだ。

 

 

 

そうして、自分に自由を許し

起こることをそのまま受け入れたら

本当に心が楽になりました。

 

 

 

 

 

 

その苦手なお母さんとは

子どもが小学校を卒業してから

一度も会っていません。

 

もう学び終わったから会わないのでしょう。

もし会っても、気にならないか

もしくは(いつも謝っていた)私は

別人のように自分の言いたいことを

まくし立てるかもしれません。

 

それはそれで楽しみです。

 

自分が自由であることを自分に許すと

厳しく批判的な人のことが怖くなく

自分のことを述べられそうな気がします。

 

自分を許していないと批判的な人が怖くて

いちいちグサグサと言葉が刺さるのです。

 

 

 

「私はもう自由だよ。

私は、自分のままで生きるよ」

と、自分に自由を許した

きっかけとなる出来事でした。

 

 

 

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