心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

人生は孤独で不安だ

 

 

 

人生は孤独で不安だ。

 

生きていて

これから先、良いことがあるのか

わからない。

 

悪いことが起こるのかも

わからない。

 

なぜ生まれてきたのか

わからない。

 

生きている意味も

わからない。

 

 

 

すべての答えは

わからない。

 

 

 

 

 

人はわからない状態が不安で

耐えられない。

答えが欲しくなる。

 

だから、夢や目標を作って

ゴールを目指したり

人生に意味を与えようとする。

 

何かを信じて、依存して

安心を得ようとする。

 

 

 

 

でも、本当の真実は

「わからない」

「人生は孤独で不安なものである」

ということ。

 

 

 

この生きていく不安を

夢や目標やなんかで誤魔化して

目を背けて逃げないで

真正面から受け入れるしかない。

 

「人生を生きていくのは不安だ」と

そのことを認めて、諦めるしかない。

 

 

 

出来事を良いこと、悪いこと、と

判断しても仕方ない。

本当のところは死なないとわからない。

 

それが良かったのか、悪かったのか

わからないのだ。

 

 

 

 

人生は、誰にとっても

孤独で不安なものなのだ。

 

だから、孤独でも、不安でも

それを悪いことと判断して

変えようとしなくていい。

 

孤独のままで、不安のままで

そのままでいていいのだ。

 

 

 

 

 

以前、私は、孤独や不安を感じるのは

悪いことのように思っていて

そんな自分を何か変えなければならない

と思っていた。

 

だから、気分は沈んで

生きるのが嫌になっていた。

 

 

でも、そのままでいていいのだ。

そんな自分でもいい。

 

 

孤独を感じ、不安を感じ

今ここを新鮮に体験すればいいのだ。

 

過去に、未来に、と

散らばっている自分を集めて

今ここに集中すればいいのだ。

 

 

 

ありのままの自分、そのままで生きる。

 

 

 

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信じるのは私の意志

 

 

 

私は、以前

自分のことを全く信じてなくて

自分が考えつくことなんて

きっと間違っていると思っていた。

 

だから、どうすればいいのかわからない時は

自分以外のお手本になるような

人の言うことを参考にしていた。

 

私はずっと、自分以外の何かに依存していた。

 

 

 

 

そうやって、依存していた頃は

心は安定して気分良かった。

 

ネガティブになっても

すぐにまたポジティブになれた。

今思えば、それは

表面上のポジティブだったけれども。

 

 

 

依存していた頃は

本当に心は平穏だった。

 

子どものように

自分のことは誰かが何とかしてくれると

信じていたのだから。

 

 

 

 

 

でも、ある時

そんな自分の依存した在り方に気づいて

私は、人の言うことを信じるのをやめた。

 

自分のことを人に決めてもらうのをやめた。

 

 

 

 

すると、人に寄りかかることもできないけど

自分のこともまだそんなに信じられなくて

途端にこの世が怖くなった。

 

元気がなくなり、気力がなくなり

気分は下がったままになった。

 

こんなことなら

無邪気に人に依存していた方が

よっぽど楽で平穏だと思った。

 

 

 

けれど、もう人の言いなりにはならない。

人には依存しない。

そう決めた。

 

 

 

私はいつまでこうしてウダウダしているの?

このままずっと

底の方で沈んでいるつもりなの?

 

 

 

私は誰を信じたらいいの?

 

 

 

 

 

そんな状態のある朝

起き抜けに心に浮かんだことがあった。

 

 

「私の意志がリーダーだ!」

 

 

信じるのは、私の意志。

信じるのは、私の意識。

 

私の意志が私の体を動かす。

私の意識が私の世界を創っている。

 

そのことを自覚するのだ。

 

 

 

意識が先にある。

意識からすべてスタートする。

意識がすべてを創っている。

 

私は意識だ。

私は意識という存在だ。

 

そのことをいつもわかっていようと思った。

 

 

 

 

例えば、体の調子が良くない時に

前向きに何かやろうとしても

なかなかポジティブにはなれない。

 

それは当たり前のことで、そんな時は

意識がきちんとリーダーシップをとって

体を労わり、休ませて

体が喜ぶことをしていけばいい。

 

意識が体を動かすのだ。

だから、意識が体を大切に思い

労わるなり、休ませるなり

どうするのか決める。

 

 

意識が、体と一体化してしまって

その存在感を失うと

体と一緒にブルーになって

ウダウダしてしまうのだ。

 

だから、いつも自分の意識を

際立たせていることが大切。

 

「意識的である」

「主体的である」ということが大切。

 

意識と体はしっかり分けて

意識がすべての

スタート地点だということを忘れずにいる。

 

 

 

 

私のリーダーは、私の意識。

信じるのは、私の意志、意識。

 

正しい答えは

自分の外側にはないのだから。

 

 

 

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できない自分をそのまま受け入れる

 

 

 

私は、どうやら不器用なようで

裁縫、料理、工作などが苦手で

うまくできない。

 

一応やってみるのだけど、出来上がりは

「なんだかなー」という感じになり

気分は下がる。

 

だから、作品を作る系の趣味はないし

裁縫はお金を払って人にやってもらう。

 

でも、料理だけは毎日のことなので

自分にできる範囲でやっている。

 

体に優しいお菓子作りも

自分が食べたいから楽しくやっているけれど

手の込んだものは作れないし

見た目も、言葉を選べば「素朴」だ。

 

 

 

 

私は、自分が苦手なこと

うまくできないことをやって

出来上がりがやっぱりうまくできないと

残念な気持ちになる。

 

自分の手先が不器用なことや

料理が苦手なことを残念に思う。

 

 

 

 

家族4人分の食事を作って

食べて、片づけると、とても疲れる。

 

すごく疲れて、落ち込む気持ち。

ダメな自分が残念で悲しい気持ちがある。

 

 

 

 

 

私は、これらをもういい加減

手放そうと思った。

 

できない自分は事実だけど

それは苦手なのだ。

 

がんばっても、努力しても

やっぱりできない。

好きになれない。

 

それが私なのだ。

 

 

 

できないものは、できないまま

そんな自分を受け入れよう。

 

そのことを責めたり

悲しく思ったりすると

私が傷つく。

 

それはそれとして

それ以上でもそれ以下でもなく

そのまま受け入れる。

 

 

「私、それ苦手なの」

 

 

そう認めるけれど

そのことで自分を責めたり

悲しくなったり

落ち込んだりしない。

 

そのことで、自分を

ダメな人間だと思ったりしない。

 

それは、ただそうであるという事実で

私の価値が下がるわけではない。

 

 

私はそういう個性。

私はそのままでいい。

 

 

 

 

 

私は、できないことがある自分を

悲しく思うことを手放す。

 

私は、でこぼこの自分の個性を

ありのまま受け入れる。

 

 

 

 

人並みにできない自分を受け入れて

そのまんまの

その自分で生きていく。

 

人生の流れは

ここから変わるのだ。

 

 

 

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今あるものはすべて自分が選択したもの

 

 

 

私は専業主婦なのだけれど

専業主婦だと

何かの研修やセミナーに参加した時など

相手にされなかったり

見下されたりすることがある。

 

特に専門家が集まる勉強会などはそうで

私はそういう体験をすると

いつもモヤモヤしていた。

 

そして、私もキャリアが欲しいと思ったり

それがないことを嘆いたりした。

 

 

 

 

でも、自分の過去を振り返ってみると

私は子育て中に仕事もするなんて

とてもじゃないけど無理だった。

 

体力的にも心理的にも

家事と子どものことで手一杯だった。

 

二人の子どもに発達障害があるので

手がかかったというのもあるし

私自身の体力がないというのもある。

 

 

 

でも、どんなに大変でも、子育て中でも

本当に仕事をしたい人はする。

 

それをしなかったのは

私がそれを選ばなかったからだ。

 

私はキャリアを捨てた。

 

 

 

その代わりに私が得たものは

子どもや自分としっかり向き合う時間。

 

私は、キャリアを捨てたから

子どもとしっかり関わる時間を確保できた。

 

キャリアを捨てたから

自分としっかり向き合って

自分をここまで癒すことができた。

 

 

 

キャリアを捨てて

私は、自分と子どもと家を取った。

 

それは、私の選択なのだ。

私がそれを選んだのだ。

 

今になって、キャリアがないことや

仕事を持たない専業主婦であることを

「ない、ない」と嘆いたり

専業主婦だからバカにされたり

軽く扱われることを気にしても

しょうがないのではないか?

 

それは、私が捨てたものなのだから。

「ない」ことを選んだのは私なのだから。

 

「ない」は当たり前で

それに付随して起こることも

私が受け取らなくてはならないものなのだ。

 

仕方のないことなのだ。

 

 

 

 

 

人生は取捨選択の連続。

 

私は、自分にとって

一番大切だと思ったものを選択してきた。

 

自分の幸せ、子どもの幸せ、家を選んだ。

 

 

 

そうして得たものがたくさんある。

「ない」だけではない。

 

「ない」と同時に「ある」がたくさんある。

だから、これでいいのだ。

 

 

 

 

 

今だって

大変な仕事を無理してすることは選ばず

家でゆっくり猫や植物と過ごす時間を

自分で選んでいる。

 

 

今、自分の周りにあるもの

自分を取り巻く環境は

すべて自分が選択したもの。

 

「そうするしかなかった」

「ほかに選択の余地がなかった」などと

思うかもしれないけれど

それも自分が選んだのだ。

 

人と対立しなくて済む「安全」や

自分が変化しないでいられる「平穏」や

変に思われたくないという「評価」など

必ず自分にとってのメリット

得ているものがある。

 

本当に選ぼうとすれば

人は何だって選べる。

 

それを選ばないのは

選べないのではなくて

自分が「選ばない」を選択したからなのだ。

 

 

 

今あるものはすべて自分の選択。

自分の選択の結果なのだ。

 

 

 

選ばなかった方、捨てた方のことを

「ない、ない」と嘆くのは

やめようと思った。

 

それを捨てたのは自分だ。

 

 

私は、今、自分の選択を誇りに思っている。

 

 

 

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自分の体を責めない

 

 

 

数年前になりますが

私は鍼治療に通っていました。

 

胃腸の調子が悪く、元気が出ず

時々不安にも襲われていたからです。

 

 

 

その時、鍼の先生から

「虚に偏っている」と言われました。

 

免疫力が落ちていて

生命力が落ちている状態。

 

だから、それを補うように

エネルギーを入れるという治療だそうです。

 

長年その状態だったから

すぐに元気というわけにはいかないけれど

続けていくうちに生命力は戻ってくると

言われました。

 

信じられないことに

私は元々は活動的で活発なタイプだそうです。

 

その時は活動的にしている自分を

考えただけでしんどいと思い

とても信じられませんでした。

 

 

 

その頃の私は

家事をやっていてもすぐに疲れて

他の人のように一日中働くなんて

とてもじゃないけどできませんでした。

 

睡眠もたっぷり取らなきゃダメだったし

日中、休憩もたくさん取らなきゃ

具合が悪くなりました。

 

 

 

 

私は、こんな自分が情けなくて

「どうしてみんなのように

働けないんだろう?」と自分を責めていて

無理をして元気な人と

同じことをしようとしていました。

 

 

 

 

私の体にはもうエネルギーがないのに

無理をして立ち上がろうとするなんて

体にとって

なんて酷なことをしていたんだろう

と、今、思います。

 

しかも、この自分の体を責めて

憎んで、呪っていたのです。

 

ダメな体だと否定していたのです。

 

これでは、余計にエネルギーが奪われます。

 

 

 

 

私は、昔から無理をするのが癖になっていて

体は悲鳴を上げていました。

 

無理をしたところで

みんなと同じことはできなかったのに。

 

 

 

もし、自分の体を労わり

無理をしないでいると、その頃のように

家でゴロゴロと何もしないでいることになる。

 

私は、それが受け入れられませんでした。

そんな自分が許せませんでした。

 

エゴが言います。

もっと働け

もっと活動しろ

もっと元気に外出しろ、と。

 

(生命力が落ちている時は、外出は

消耗するから控えるのが養生だそうです)

 

 

 

 

エゴが望んでいることは

その時の私には難しいことで

体の状態を無視していて酷なことなんだ

思いやりが欠けているんだ、と思いました。

 

私が「疲れたな」と思ったら

それは本当に休憩して

エネルギーを回復しなければならない時。

 

これからは「疲れたな」とか

「しんどい」という体の声をちゃんと聞いて

それに対処してあげようと思いました。

 

その時に「このくらいで疲れるなんて!」とか

「また休むつもり?」などと

自分を責めないで、当然のこととして

休ませてあげようと思いました。

 

私は、もう自分の体を責めることは

しないと決めました。

 

 

 

人と同じにできなくても

そんな自分をそのまま受け入れる。

そして、その自分で生きる。

 

そうすると、人生の流れは

変わっていくのだそうです。

 

 

 

私は、他者から

「生命力が落ちている」と言われて

自分の体を客観的に認識することができました。

 

そうしたら、休憩することや寝ることに

罪悪感が湧かなくなったのです。

 

弱っている自分を労わるのは

当然のことだと思いました。

 

自分にわかってもらえて

心がホッとして、軽くなりました。

 

 

 

ちなみに、その後の体調ですが

鍼治療に加えて、漢方薬も飲み始めて

さらに自分の体に合わないものは食べない

というふうに食生活も変えたら

胃腸の不調と不安はなくなりました。

 

だからといって

元気いっぱいに飛び回っています!

というわけではありませんが…

 

相変わらず、おうち大好きのインドア派で

のんびりダラダラしていますが

体の不調に悩まされるということは

なくなりました。

 

 

 

やっぱり、自分の現状を正確に把握して

必要なケアをしてあげる

つまり自分を大切にしてあげるのが

自分を助ける方法だなと思いました。

 

 

 

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しなくちゃ、しなくちゃ

 

 

 

私の中で

「○○しなくちゃ」という思いが

癖になっている。

 

すぐにそう思う。

いつもそう思う。

 

 

 

役に立つ人にならなくちゃ

働かなくちゃ

家事をきちんとしなくちゃ

家族の世話をしなくちゃ

 

から始まって

 

充実した人生を送らなくちゃ

自分の情熱を一番大切にしなくちゃ

心に寄り添わなくちゃ

 

まで、全部、しなくちゃ、しなくちゃ。

 

 

 

「しなくちゃ」が体の隅々まで染み込んでいて

そう思っていることに

自分で気がつかないくらい。

 

そのくらい、普段から

私は「しなくちゃ」で動いている。

 

 

 

それはエゴの声で

エゴが常に私をコントロールしている。

「しなくちゃ、しなくちゃ」と

エゴが私を追い立てる。

 

 

 

私は、ありのままの自分で

「ただ在る」ということができない。

 

常にエゴが作動して

「今はこうあるべき。こうしなくちゃ。」

と、誘導してくる。

 

 

 

子どもの頃、私は、ありのままの

自分自身で在ることが許されなかった。

 

のんびりしてたらダメ。

思ったこと口に出したらダメ。

みんなと同じにできないとダメ。

自由にしちゃダメ。

変わったことしちゃダメ。

優秀じゃなきゃダメ。

頑張らなくちゃダメ。

 

そんなふうに自分を押し殺し続けた

その環境の中で、私は

適応してなんとか生き残るために

「今はこうあるべき。こうしなくちゃ。」を

発動させてきた。

 

そうして自分をねじ曲げて

なんとか周りとうまくやってきた。

 

 

 

 

「しなくちゃ、しなくちゃ」は

私の生き残り術だったのだ。

 

主婦として、母親として

やるべきことを優先する

「役割」を生きるやり方も自分を守るため。

 

やるべきことをきちんとやって

人から非難されないように

攻撃されないように、と細心の注意を払う。

 

すべては自分が誰かから

攻撃されないよう守るため。

 

エゴのおかげで私は守られてきた。

 

 

 

 

でも、そのやり方が

今の私には窮屈に感じる。

 

自分の望みや欲望よりも

やるべきことを

「しなくちゃ」と優先していると

自分の本当の望みが叶えられない。

 

本当に欲しいものが手に入らない。

私は永遠に満たされない。

 

 

 

 

私は「しなくちゃ」を手放したい。

「役割」を生きることを手放したい。

 

私は、エゴを発動させて

「しなくちゃ」で動く毎日ではなくて

ただ自分自身であって

自分の心を感じて

心に沿って過ごしたい。

 

 

 

自分の本当の望みにすらも

いつの間にか入り込んで

「しなくちゃ」と牛耳ってくる

この私の思い癖に気づいていたい。

 

そして、気づいたらそっと手放したい。

 

 

 

 

「しなくちゃ」がなければ

私はきっと生きてこられなかった。

そのおかげで今まで生き延びてきた。

 

でも、今はもうなくても大丈夫なのだ。

「大丈夫だよ」とエゴに言いたい。

 

 

 

私は「しなくちゃ」と思うことを手放す。

私は「役割」を生きることを手放す。

 

 

 

自分が自分を、「しなくちゃ」と

縛っていることに気づいたら

そっと手放し、その都度

自分の真ん中に戻ってこよう。

 

そして、自分の心を感じよう。

 

 

 

心はどうしたい?

何したい?

 

 

それがどんなに小さなことでも

パッとしないようなことだったとしても

今この瞬間の心に従う。

 

 

自分の心に従うだけ。

私の人生はそれでいい。

それ以上に大切なことなどないのだ。

 

 

 

自分の中のノイズを手放して

自分の中をクリアにして

私は心とつながる。

 

 

 

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不安はどこからやってくる?

 

 

 

以前の私は、訳もなく不安が上がってきて

よく憂鬱になっていました。

 

「同じことでも他の人は平気なのに

なんで私は不安になるんだろう?

私の不安は一体

どこからやってくるんだろう?」

と、思っていました。

 

 

 

 

 

私なりにいろいろ勉強して得た

この問いの答えは「我慢と緊張」です。

(これだけではありませんが)

 

長年、ずっと我慢をしていて

ストレスが溜まって溢れてしまっているのです。

 

 

 

 

我慢というのは、している時

緊張しているものです。

 

だから、我慢=緊張。

 

そして、緊張の最たるものは恐れ。

 

だから、我慢をし続けると

恐れが溜まっていきます。

これが不安症やパニック症を引き起こします。

 

恐れが溜まって溢れてしまっているのが

不安に苛まれている時やパニック発作です。

 

 

 

このことを知った時

本当に腑に落ちました。

 

「だから私は不安なんだ!怖いんだ!」

とわかりました。

 

私はずっと、何でもないことが

怖くて怖くて仕方ありませんでした。

それはとても辛いことでした。

 

この私の不安や恐怖は

私が小さい頃から何十年も我慢し続けたり

母親が怖くてずっと緊張していたからなのです。

 

その緊張は、私の中に溜まり続けて

もう収まりきらなくなっている。

それが不安という形で

溢れている状態です。

 

 

 

 

幼い頃からずっと緊張していた

その名残りで、今でもすぐに緊張して

背中や肩はずっと固いまま。

体を緩めることが下手です。

 

上手にリラックスできないので

恐れも浄化されていきません。

 

 

 

本当は、心は

自然治癒力で回復する力を持っています。

 

けれども、それを上回る緊張が続くと

心は決壊して恐れの感情が

溢れ出てきてしまうのです。

 

不安や恐怖を感じる時

何かきっかけがあるものですが

(乗り物、閉所、高所、特定のものなど)

それらはその感情とは無関係だそうです。

 

ただ自分の中に溜まっていたものが

出てきただけです。

 

 

 

そして、感情というのは

出てきたら浄化されます。

 

なので、不安や恐怖の感情が出てきた時は

とても辛いですが

本当は喜ぶところなのです。

 

感じられたらそれは終わるので

今出てきているものは終わるということです。

自分の中の恐れが少し減るということです。

 

 

 

とはいえ、不安や恐怖を感じる時は

本当に言葉で表せないくらいに

辛いものですよね。

 

そんな時は

その感情が「ある」と意識を集中して

「体のどの辺に、どのくらいの大きさで

(色や形も)ある」と言い続けると(50回)

消えていきます。

 

これをフォーカシングと言います。

 

 

 

辛い感情は、逆説的ですが

感じれば感じるほど

自分は楽になっていきます。

 

感じきれば浄化されるのですから

感じれば感じるほど

自分の中はキレイになっていくのです。

 

 

 

そして、対処としては

やっぱり日常でリラックスすることが

大切だそうです。

 

ストレッチ、マッサージ、鍼、瞑想

などが有効。

 

マッサージで筋肉を柔らかくすると

連動して心も緩むのです。

鍼はダイレクトにストレスを解放するそうです。

 

昨日の記事のように

自分のやりたいこと、好きなことを

日常的にやっていくのも

リラックスできますね。

 

 

 

 

このことを知った時

私は、今までの我慢する生き方を

変えようと思いました。

 

今は、私の近くに母親はいない。

誰も私を怒鳴ったりしない。

 

私は、平穏で自由なのです。

 

 

 

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