心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

お母さん、ごめんなさい

以前、「お母さんに手紙を書く」

というワークをしたことがあります。

 

 

 

実際に母に読んでもらうわけではなく

誰に見せるわけでもなく

本当にただ、書くだけです。

 

誰にも見せるわけじゃないので

何を書いてもよく、自分では

「どんな罵詈雑言だらけになるだろう」

と予想していました。

 

その時の私は、母が憎くて憎くて

死ねばいいのにと思っていました。

母の頭を蹴り倒してボコボコに蹴って

殺す妄想をよくしていて

「本当にできたら

どんなにすっきりするだろう。

人生棒に振りたくないからやらないけど」

などと思っていたくらいです。

(醜くてすみません)

 

 

 

 

 

でも、母への手紙を実際に書いてみて

自分で読み返してびっくりしました。

 

母を罵る言葉などひとつもないのです。

それよりも、悲しみ

特に母の期待に応えられない悲しみで

いっぱいだったのです。

 

母を責めるどころか

「お母さんの期待に応えられなくて

ごめんなさい。

お母さんを喜ばしてあげられなくて

ごめんなさい。」と謝罪しているのです。

 

 

 

 

 

 

実際に手紙を書いてみて

私は自分の本心を知りました。

 

小さな子どもは

母親のことを責めてなどいなくて

とにかくお母さんに喜んでもらいたい

という気持ちなのですね。

 

だけど、それができない自分のことが

がっかりで、悲しくて、仕方ないのです。

そのことが申し訳なくて

「ごめんなさい。ごめんなさい」

と謝っているのです。

 

母から否定されることは悲しかった。

でも、それ以上に

母を喜ばせられないことが悲しかったのです。

 

 

 

 

 

 

私は、幼い頃の自分の思いを

切なく感じました。

純粋で素直でなんて優しい子なんだろう。

(すみません、自分で言っちゃって)

 

私は、イメージの中で

子どもの自分を優しく抱きしめて

「悲しいね。悲しかったね。

でも、もうあなたはお母さんの期待に

応えなくてもいいんだよ。

あなたはあなたのままでいていいんだよ」

と言ってあげました。

 

 

 

 

 

 

子どもは本当に純粋にお母さんが大好き。

好きで好きで大嫌いになるくらい

好きなのです。

 

母への怒りを認めるのと同じくらい

「お母さん、大好き」

という気持ちを認めることも

大切なことです。

 

ここを認めたら、私は

また一段階解放されたような気がしました。

 

憎しみがあると抵抗感が半端ないですが

子どもの頃の自分の純粋な気持ちを

思い出し、再体験すると

本当に楽になります。

 

「大っ嫌い!」だけど

「大好き」だったんだ。

「大好き」だけど、それが叶わないから

「大っ嫌い!」になったんだ。

「大好き」が傷ついちゃったんだ。

 

それは、忘れていた感情でした。

 

 

 

誰でも、始めから母親のことを

嫌いな人はいないと思うのです。

始めは大好きだったはずです。

でも、どこかで傷ついて

母親が大嫌いになったのです。

 

そんな一番始めの

自分の純粋な気持ちを思い出すと

悲しみが溢れてくるでしょう。

 

その悲しみを思う存分味わって

浄化すると

どこかすっきりとするはずです。

 

すると、一段階自分がクリアになり

世界の明度が一段上がり

世界が色鮮やかに見えるようになるでしょう。

 

それは、またひとつ

自分とのつながりを

取り戻したということです。

 

そうして、幸せへの道を歩んでいくのです。

 

 

 

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お母さんを許せない。それでいいよ。

アダルトチルドレンの回復には、まず

自分の過去に何が起こったのか

自分の家族はどんな家族だったのか

事実を理解し

問題を認識することが必要です。

 

そして、トラウマについて語っていき

親に対する本当の気持ちを吐き出します。

 

言葉にして語っているうちに

親と自分の関係、親のこと、家族のことなどが

客観的に見られるようになっていきます。

 

うちの家族変だったよなぁ、とか

親って自分のことで精一杯なんだな、とか

そりゃ自己否定したくもなるわ、とか。

 

 

 

そして、自分の望む親を手に入れることは

無理なんだと、親を諦めるのです。

 

「思いやりを持って欲しいなんて

あの人には到底無理だわ」と諦めるのです。

 

 

 

 

 

 

そんなふうにして、事実を受け入れて

自分の本当の感情も吐き出すと

親を客観視して距離が取れるようになります。

 

親と自分の間に線を引けて

人生をそれぞれにはっきり分けられると

だいぶ楽になると思います。

 

親が、自分の心の中に居座わっていて

そこから支配し、関わり続けていて

自分の人生が絡め取られていると

苦しいのですから。

 

はっきりと距離を取って

「わたしはわたし!親は親!」

と言えたらいいのですね。

 

ここまでくれば、もう逃げられます。

 

 

 

 

 

 

そんな回復への過程では

さまざまな感情を感じることでしょう。

 

特に、親に対する怒り、憎しみは

避けて通ることのできない感情です。

 

もちろん、あるがまま吐き出してOK。

怒ってOK、憎んでOK、罵ってOKです。

ここで思う存分怒りを表現するのが

回復への近道ではないかと思います。

 

 

 

親に対する怒りなどの負の感情は

なかなか持ちづらく

「親を大切にしないなんて」

「恩を仇で返して」

「親孝行しないのか」

「親に悪態つくなんて」

と、抵抗感が湧きます。

 

でも、こういう抵抗、世間からの圧力は

いったん脇に置いて

私はやっぱり、ここでしっかりと

怒ることが大切だと思います。

 

 

 

 

 

 

私も、長いこと母のことが許せなくて

その感情に苦しみました。

 

母が嫌いすぎて、里帰りなどで母に会うと

3日目には具合が悪くなりました。

 

次第に嫌悪感が増幅して

しまいには電話で何分か話しただけで

気分が悪くなりました。

 

母の否定と支配と束縛の毒が

私の健康を害すようでした。

それはそれは恐ろしい毒でした。

 

 

 

私は、どうしても母を受け入れられず、許せず

拒否反応はどうしようもありませんでした。

「私、優しくないなぁ。心が狭いなぁ」と

思ったりしたものです。

 

 

 

それでも、私は

自分のすべてを許そうと思いました。

 

お母さんと接したくない。→それでいいよ。

お母さんを許せない。→それでいいよ。

お母さんを受け入れられない。→それでいいよ。

 

と、全部許しました。

 

「これがずっと固定されるわけじゃなくて

もしかしたら、もう少しして

私は本当の大人になって自立できて

心も強く優しくなるかもしれない。

今は途中なだけかもしれない」

と言い訳しながら。

 

でも、もちろん、そのまま許さなくても

憎んでいても、いいのです。

親と和解しなくてもいいし

駆逐してもいいのです。

 

自分が人生の主役になって

親をただの登場人物にできれば。

 

自分が、自分の人生を生きられれば

それでいいのです。

 

 

 

 

 

今では、母が別人のように大人しくなり

毒を吐き散らかさなくなったので

私の具合が悪くなることもなくなりました。

 

不思議ですが、関係性とは

変化するものだなぁと思っています。

 

 

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「助けて」と「愛してる」は同じ

「助けて」と言った人は死なない。

 

そうお話してくださった方がいました。

車椅子カウンセラーの長谷川泰三さんです。

 

長谷川さんは事故で車椅子生活となり

何度も自殺未遂を繰り返していたそうです。

 

その後、立ち直り「命のカウンセリング」

「車イスが教えてくれたありがとう」などの

執筆や講演などでご活躍していました。

 

残念ながら、2014年に

容体が悪化してお亡くなりになりました。

 

 

 

 

 

私は、確か2012年だったと思うのですが

長谷川さんの講演を聴く機会があり

冒頭の言葉を聴いたのです。

 

とても印象的でした。

壇上の長谷川さんはもちろん車椅子。

でも、すごくおもしろい方で

お話はユーモアたっぷりでした。

 

 

 

 

 

 

「『助けて』と言った人は死なないんですよ。

必ず周りの人が助けてくれるから。

『助けて』と『愛してる』は似ている。

嫌いな人には助けを求めないですよね。

そして、そのあとの言葉は

どっちも『ありがとう』。

『助けて』と言われたら

『愛してる』と言われたのと同じことです。

人間は誰かの役に立ちたいと思う生き物。

本当の絆は迷惑をかけ合うことです」

 

 

 

 

 

 

こんな感じのことをお話していました。

 

長谷川さんは、落ち込んでそうな人がいると

そばに行ってわざと車椅子でこけるそうです。

 

そして「助けて〜」と言うと

その人が起こして助けてくれる。

「ありがとう」と言うと

その人は少し元気になるそうです。

 

「自分にもまだできることがある」と

自信を取り戻すのです。

 

 

 

 

 

 

 

「本当の絆は迷惑をかけ合うこと」って

良い言葉だなぁと思います。

 

「人に迷惑をかけてはいけない」

という社会は息苦しいですね。

ちゃんとしなきゃ、とか

失敗できない、とか緊張します。

 

で、大体やらかしてしまうのが人間です。

うまくできないのが人間です。

 

困った時に「困った!」と言えて

助けて欲しい時に「助けて!」と言えて

苦しい時に「苦しい!」と言えて

 

そして、周りの人が助けてくれる。

どうした?大丈夫?と気にかけてくれる。

そんな寛容さがあると

生きやすい社会になると思います。

 

「自分の努力不足!」「自己責任!」

「人に迷惑かけるな!」とか言わずに。

 

「人に迷惑かけないように」と

私たちはずっと教育されてきました。

これが「人に助けを求めてはいけない」と

イコールになったら危険です。

人から責められるのではないかと

それが怖くて「助けて」が言えない人も

たくさんいるのです。

 

ぜひ、困った人が「助けて!」と言えて

周りの人が助けてくれる

そんな寛容な温かい社会になるといいですね。

 

助けてあげてる方も

実はそのことで自分も元気をもらって

助けられているのです。

 

「助けて」と言われたら

「愛してる」と言われたということですから。

 

 

 

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好きに生きると健康になる

私はずっと肌の湿疹に悩まされてきました。

 

アトピーではなかったけれど、肌が敏感で

アレルギー反応を起こすものが

たくさんありました。

化粧品、シャンプー、石鹸は

市販のものが使えず

皮膚科に出してもらっていました。

他にも、金属、光、温度、ホコリ、黄砂

などがダメでした。

 

肌が(特に顔が)痒くて仕方ありません。

なので、ステロイドを塗って

酷くなるとアレルギー薬を飲みました。

 

 

 

この状態がすごく辛かったので

根本的にどうにかしようと思い

 

私は、血が汚れているんだ!と思って

体に悪いとされている甘いもの、脂っこいもの

添加物などを取らないように

食事の改善をしました。

 

甘いものや脂っこいものは大好物だったけれど

血を汚すと思って我慢しました。

 

けれど、玄米や野菜中心の健康的な食事をして

一週間くらい経つと

頭痛やめまいがしてくるのです。

 

それで、また少し好きなお菓子食べたりして

食事を緩めると治ります。

 

また健康的にすると頭痛がしてきて

食事を緩めると治ります。

 

まるで禁断症状のように

お菓子を我慢すると頭痛がしてくるのです。

 

私は「これってもしかして砂糖依存症⁉︎」

と怖くなりました。

 

 

 

 

 

 

その時にカウンセラーに言われたのです。

 

「お菓子の禁断症状というより

もっと広い意味でのストレスなのでは?

『好きなようにしたい!自由にしたい!

管理されたくない!』という

自分のやりたいように生きたい気持ち。

肌の湿疹も食べ物が原因じゃなくて

大きなストレスが原因かもしれない。

やりたいようにやって、好きなもの食べたら

お肌が良くなるかもしれませんよ?

生活を破綻させるような食べ方をしないで

金銭面、健康面と折り合いをつけながら

食べれば何の問題もありません。

お菓子食べた方がいいですよ」と。

 

 

 

これを言われた時は「えー?何言ってるの?」

と、全然ピンとこなくて

私は聞き流してしまいました。

 

でも、今はカウンセラーの言う通りだった

とわかります。

 

 

 

自分と向き合い続け、ひとつひとつ

自分を縛っているロープを緩めて

自分を許していったら、いつの間にか

肌は痒くならなくなっていたのです。

 

あんなに、食事や生活など何を改善しても

痒みはなくならず、薬も手放せなかったのに。

 

今気づいてみると

ほとんど痒みはなく薬も使っていません。

そして、甘いものも食べています。

 

 

 

なぜ肌が治ったのか

本当の原因はわかりません。

 

でも、あの痒みは、私が自分を

「あれはダメ、これもダメ、こうすべき

こうでなければならない」と

キツく縛り過ぎていたことに対する

心の怒りの表現だったのではないか

と思うのです。

 

私の心は

「もーーーいい加減にして!こんなの嫌だ!」

と怒っていたのです。

 

 

 

 

 

自分の心地いいように

自分の好きなように

自分の心のままいることが

健康の源なのだなと思います。

 

自分のやりたいように好きに生きたい!

と、体も心も、いつもメッセージを

送っているのかもしれませんね。

 

 

 

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「正しい」は凶器

私はその昔

正しいことは良いことだと思っていました。

自分は常に

正しい行いをしようと心がけていました。

 

だから、人に対しても

正論や真実を突きつけていたように思います。

「だってそうでしょ。

私、間違ったこと言ってないよね」

という具合に。

 

 

 

でも、今では

そんな自分が間違っていたと思います。

 

「私は常に正しい」という姿勢が

いかに傲慢なことか、気づいたのです。

 

 

 

 

 

そもそも、正しさってなんでしょうか?

正しさって、実はあやふやなものです。

 

何をもってしてそうなるのか?

違うものさしを使ってみたり

違う角度から見てみたら

それぞれに違う正しさがあり

そのものごとにおいて何が正しいのかは

わからないのです。

 

正しいかもしれないし

正しくないかもしれない。

 

時代、場所、宗教などが変われば

正しさも簡単に変わってしまいます。

 

 

 

「私は正しい」と思うことは

自分のものさしからし

ものを見ることのできない

偏狭さをもっているということなのです。

 

 

 

 

 

 

そして、「私は正しい」は

周りの人を傷つけます。

 

正論を突きつけると

突きつけられた相手は何も言えず

悲しくなり、傷つきます。

 

「正しい」は人を傷つける凶器になるのです。

 

 

 

人間は、誰しもが

正しい行いだけでは生きていけません。

 

うっかり間違えてしまったり

わかっていながらもやってしまったり

人間は、過ちを犯すものです。

 

そのことを本人もわかっているし

悲しくも思っているのです。

 

だから、わざわざそのことを

突きつけなくてもいいのだと思います。

 

 

 

少しの優しさをもって

人のことも、自分のことも

欠点にフォーカスしないでいたい。

 

それには

ものごとを引いて見る

ものごとを長い目で見る

という心の余裕が必要になります。

 

 

 

 

そうして

ゆとりのあるものの見方をしていると

世界は優しくなっていくのだと思います。

 

居心地のいい世界になるといいな

と思っています。

 

 

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一回失ってみるといい

よく、感謝しましょうと言われますが

そう思おうとしても

なかなか難しいことかもしれません。

 

けれど、一回失ってみる

あるいは失った想像をしてみると

感謝は自然と湧いてくるものです。

 

 

 

 

 

私には子どもが二人いますが

二人共に発達障害があり

二人共、中学時代は不登校を経験しています。

 

上の子の不登校

私にとって初めての経験だったので

心理的にきつく感じられました。

 

子どもが元気をなくして家から出られず

じっと寝てばかりいる。

それが心配で、不安で、悲しくて

私もまるで出口のないトンネルの中に

いるような気分でした。

 

 

 

そんな中、思い出したことがあります。

 

そういえば

私は、まだ子どもが学校に通っていた頃

子どもの登校に合わせて

早起きすることをしんどいと思っていた。

毎日お弁当作るのも

めんどくさいと思っていた。

部活でドロドロになる体操服を洗うのも

大変だと思っていた。

私は、日々不満に思っていたのでした。

 

でも、子どもが学校に行けなくなって

それらの日々を失ってみて、初めて

それらがとてもありがたいことだった

と気づいたのです。

 

子どもが、元気に外で活動してくれるから

お弁当が必要だし、体操服は汚れるのです。

私が朝起きて、お弁当を作って

体操服を洗うことができるのは

子どもが元気だからなのです。

 

それができるって、本当は

すごく嬉しいことだった。

すごくありがたいことだったのです。

 

私は、子どもが不登校の間

ドロドロの体操服を洗える人が

本当に羨ましかったです。

 

 

 

でも、そこでまた、ふと思いました。

 

もしかして、子どもを亡くした人からしたら

今の私でも羨ましいと思うかもしれない、と。

 

子どもが生きている、顔が見られる

一緒にいられる、まだ未来がある。

これは、かけがえのないことなのではないか?

 

 

 

 

 

 

よく、人は失ってみて初めて

そのものの大切さに気づくと言われますが

本当にそうだと思います。

 

それは、すべてにおいてそうで

水、空気、資源、環境、日常、健康

それぞれの物、食べ物、家、家族、命など

私たちは、なくなったら困るもの

かけがえのないものに囲まれているのです。

 

そう考えると、それらを手にしている今

感謝しかありません。

 

家族に「おかえり」と言えるありがたさ

温かいお風呂のありがたさ

おいしい食事のありがたさ

温かい布団のありがたさ

好きなものを楽しめるありがたさ

一緒にいられるありがたさ

 

こうして、たくさんのものを手にしている今

なんて豊かなんだろう、

なんて幸せなんだろう、と思います。

 

 

 

 

 

 

中学時代、不登校だった上の子は

この春、大学を卒業しましたが

就職ができず、家にいます。

 

この先のことは何も決まっていないし

どうなるかもわからないのですが

私は、心配しすぎたり、焦ったり

せっついたりしないで

一緒にいられる今の時間を喜び

楽しみたいと思っています。

 

この子には限りませんが

どうせずっと一緒になんていられないのです。

 

どちらかが死んだらお別れです。

別れは必ず来ます。

失う時は必ず来るのです。

 

だから

一緒にいられる今は貴重なありがたい時間。

それを忘れないで、喜んでいたいと思います。

 

 

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本当のことを言おう

アダルトチルドレン

本音を言うことが苦手です。

 

親を喜ばせようとするのが基本設定なので

自分の本音なんて言えるはずがありません。

天真爛漫になれるはずがありません。

 

人の喜びを優先する生き方が

自動操縦で身についているので

自分の本音が、もはや

わからなくなっていることもあります。

 

 

 

そして、アダルトチルドレン

本当の自分を知られることを怖れています。

 

だから、本当の気持ちなど人には言わないで

その場を取り繕って

自分を嘘で固めていたりします。

 

 

 

 

 

 

私も、そんなひとりでした。

 

私にも本音を隠す癖がありました。

特に苦手なのが、自分の不調を言うこと。

 

一緒にいる人に「気分が悪い」

「疲れたから休みたい」「不安で怖い」

など、絶対に言えませんでした。

 

 

 

私は年一度、家族で帰省していたのですが

その時に利用する新幹線が苦手でした。

がんばれば乗れる程度なのですが

毎年の帰省が憂鬱でした。

 

帰省が近づいてくると気が重くなり

一週間前くらいから

不安で眠れなくなりました。

 

当日、新幹線に乗ると、恐怖で

心臓はバクバク、冷や汗をかいて

気分が悪くなり、とても辛かったです。

 

その不安のピークは

30分くらいしか続かないので

なんとか耐えて乗り切っていました。

 

毎年そうなのです。

なのに、奇妙に思われるかもしれませんが

それだけの辛さがあっても

私は、夫にも、子どもにも、他の誰にも

そのことを話したことがありませんでした。

 

どうしても「新幹線が怖い。不安だ」

と言えませんでした。

 

そんなこと、おくびにも出さず

冷や汗をかきながら

笑顔で家族と談笑していたのです。

 

内心は恐怖が渦巻いているのに

顔に笑顔を貼りつけて平静を装っていました。

そのギャップは、まるでホラーです。

 

 

 

 

今は「新幹線が苦手だ。乗りたくない」

と言えるようになりましたが、その当時

私はなぜ言えなかったのでしょうか?

 

今、振り返ってみると

「周りの人に迷惑をかけたくない」

「周りの人に変な人だと思われたくない」

「みんなの表情が曇るのが怖い」

というのが理由でした。

 

みんなのお荷物になりたくなかったし

みんなをがっかりさせたくなかったのです。

 

それは、まさに子どもの頃に身につけた

私の生き方だったのです。

 

 

 

 

 

また、不調を言うことの他に

もうひとつ苦手だったのが

相手を傷つけそうなことを言うことです。

 

これ言われたら嫌だろうな

と思うことは言えませんでした。

 

それは自分の子どもに対してもそうで

言いたいことをはっきり言えなかったのです。

こうして欲しいと思っても言えなくて

でもそっちに誘導したいから

すごい気持ち悪い言い回しになっていました。

 

本当の気持ちと言ってることが違うと

相手も自分もすごく気持ち悪いです。

子育てにおいて、親がこれをやると

子どもの心はかなりのダメージをくらいます。

ダブルバインド

 

だから、その時、相手が傷ついても

腹を立てても、思ってないことを言うより

本当の気持ちを言った方がいいのです。

 

「私はこう思う」と

自分が本当に思っていることを

素直に言っていいのです。

 

 

 

 

私も、自分と向き合ううちに

「私は本音を隠しているのだ。

言いたいことを言えてないのだ」

とわかっていきました。

 

 

 

 

 

今思うことは、

「人間は人を傷つけないで生きるのは不可能」

ということ。

 

だから、人を傷つけることを怖れないで

自分にも、人にも、嘘をつかないで

本音で生きていいのです。

 

 

自分に嘘をついて、自分を欺いていると

自分との関係がうまく結べません。

すると、自分の本当の気持ちがわからなくなり

自分の望みもわからなくなります。

 

自分の本心がわからないという

心許ない状態になります。

それが心の不調につながっていくのです。

 

 

 

 

だから私は、「私はこう思う」と正直に

「私はこうなの」と堂々と

言いたいと思います。

 

それを誰が非難できるでしょうか?

 

「だって、そうなんだからしょうがない」

としか言いようがありません。

 

 

 

 

 

自分の心の中で思うことと

口に出して言うことが一致すると

とても清々しい気分になります。

 

嘘をつかないって本当に楽なことなのです。

 

 

 

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