心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

自由を謳歌する無職でもいい

 

 

 

私は、専業主婦だった時

自分は働いていないのに

お金も時間も自由に使える豊かさに

居心地の悪さを感じていた。

 

夫は働いているのに

他の人はみんな働いているのに

自分だけが優雅に自由でいるなんて

いいのだろうか?

 

誰かに責められるのではないか

咎められるのではないか

自由でいてはいけない

楽をしてはいけない

幸せになってはいけない、と

自分だけがいけないことをしている気分だった。

 

努力する

我慢する

無理をする

頑張る世界に引っ張られていた。

 

みんなが働いているから私も…?

なぜみんなに合わせる?

 

 

 

 

 

既存の会社で働くと

「眠いのに起きなくちゃ」

「疲れてるけど行かなくちゃ」

「具合悪いけど行かなくちゃ」

「やりたくないけどやらなくちゃ」

が、自分の毎日の中に増える。

 

それを我慢してやって

自分は楽しいの?

自分のためになるの?

自分の波動は上がる?

 

答えはNOだ。

 

 

 

みんなが我慢してやっているのだから

やらなくては、と思う。

 

では、もしみんなが

それをやってなかったら?

 

みんなが好きに自由に生きていたら

本当にそれが好き!と思わなければ

それをしようとしないだろう。

 

 

 

 

 

自分の中の答えは

「自由に生きたい」

「自分のペースで生きたい」

ということなのだ。

 

私は、この自分の答えを生きる。

 

人と違っても

役に立っていなくても

働いていなくても

目に見える成果がなくても

自由すぎても

好きにしすぎても

我慢して働いている人がいても

 

私は、ただ私を生きる。

 

私の心地よさ、気持ちよさ

楽しさを生きる。

 

 

 

 

 

私は、私に与えられている毎日を

好きに過ごせる自由を享受したい。

 

私に与えられている自由を

悪いと思ったり

遠慮したりしないで

喜んで、楽しんで、受け取って

感謝する。

 

お金も、自由も

今、私にあるということは

それを天から与えてもらっているということ。

 

喜んで使わなければ

受け取りを拒否していることと同じだ。

 

 

 

 

 

それは、みんなに平等に与えられている。

 

例え、どんな状況だったとしても

将来を楽観することなどできなくても

無職でも、病気で働けなくても

孤独でも、気持ちが落ち込んだとしても

 

今、餓死しないで生きられていて

時間があるのだとしたら

それは天から与えられたもの。

 

生きられるだけの豊かさと

時間という自由を与えられている。

 

自由は愛で、恵みで

神様から贈られたギフトだ。

 

 

 

 

 

私は、私のままでいることを許し

自分のペースで生きることを許し

繊細であることを受け入れ

自由を享受する。

 

私は、自分に与えられた自由を喜び

豊かさに感謝する。

 

 

 

私がこれからやることは

本当の自分を楽しんで生きることだけ。

 

その結果

どこに行き着くのかわからない。

何が起こるのかもわからない。

 

まだまだ旅の途中だ。

 

 

 

(ひとつ気づいたこと。

私にとって自由であることは一番大切。

そうでないと魂が窒息してしまう!)

 

 

 

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