心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

仕事辞めます

 

 

 

私は子どもを産んでからは

ずっと専業主婦でいましたが

一昨年、奇跡的な流れで

やりたかった仕事に就くことができました。

 

 

 

それは、障害のある方の就活を支援する

就労支援の仕事です。

 

その人の良いところを見つけたり

困りごとや不安に耳を傾けたり

励ましたりして

誰かが笑顔になるのは嬉しいことです。

 

誰かを応援する仕事ができるのは

幸せだなぁと思いました。

 

 

 

この仕事はとても楽しいし

やりがいもあります。

 

それは本当にそうなのです。

 

 

 

ですが、私はこの仕事を

3月末で辞めることにしました。

 

いろいろな要因があるのですが

自分の心に何度も聞いて

そう決断しました。

 

 

 

 

 

一番の直接的な要因は職場環境です。

所長にも辞める理由は

このことだけ言いました。

 

私の働いている職場のビルは古くて

エアコンの調節があまりできません。

夏場は室温が30度超えることもあります。

 

そんな中

首に保冷剤を巻きながら働きましたが

暑さをずっと我慢しているので

家に帰ってからも熱中症になったり

発熱したりと体がしんどかったのです。

 

所長にそのことを訴え改善を求め

(利用者さんにも具合悪くなる人がいたので)

所長もそれに応えて窓にフィルムを貼るなど

できる対策は講じてくれましたが

焼け石に水で打つ手なしでした。

 

私の中に、「自分に無理や我慢をさせる」

という選択肢はないので

辞めようと思いました。

 

所長は、私が去年入院までして

体調を崩していたことを知っているので

引き留めることはせず、むしろ

「こんな環境で申し訳ない」と

謝罪してくれました。

 

 

 

 

 

もうひとつの大きな要因は、私が

自分の望みは人を助けることではないと

気づいたことでした。

 

それまで、私は人を助けること

支援することが自分のやりたいことだと

思っていて、だからこそ今の仕事に就いて

夢が叶った!と喜んでいたのですが

そうではなかったのです。

 

それは、会社の研修で企業見学に行った時

聴覚障害のある男の子に

助けてもらった経験で気づきました。

 

私が弱者を助けるという構図ではなく

人として対等に助け合うのが

私の生きたい世界です。

 

私の望みは、ただ目の前の人を尊重して

笑顔で一緒にいたいだけだったのです。

 

そのことに気づき

今の仕事に僅かなズレを感じ始め

何度も自分に聞きました。

 

「もし死ぬまで困らないお金があっても

私は今の仕事をずっと続けたい?」

 

何度聞いても答えはNOでした。

今の仕事を死ぬまで続けたいほど

楽しいと思っているわけではありませんでした。

 

 

 

 

 

それともうひとつ。

これは、実際に働いてみてわかったことですが

私にはシフト勤務というものが

合わないということです。

 

この日、この時間、拘束時間は何時間、と

決まっている生活がしんどくて

仕方ありませんでした。

 

そんなこと言っても

世の会社員やパート勤務の方など

ほとんどの人が

働く日や時間が決まっているのは当たり前で

何を甘えたことを言ってるんだと

叱られそうですが

しんどいものはしんどいのです。

 

体質的に繊細なのか

月の満ち欠け、季節の変わり目

気温、湿度、気圧の変化などに影響されて

その日によって体調が変わり

「体が重い」と感じても

シフトに入っていたら余程のことがない限り

無理をして出勤することになります。

 

具合が悪いなら休めばいいじゃない

と思っても、そんなにしょっちゅう

休めば周りに迷惑がかかるし

自分の体調に合わせていたら

そもそもシフト表の意味もありません。

 

会社の中で働くには

就業規則やシフト表などの「枠」に

自分をはめ込まなければなりません。

 

その「枠」にはめ込まれる感じが

すごく息苦しくて、疲れて、しんどくて

「ああ、この働き方、私には合わない」

と思ったのです。

 

若い頃は正社員で何年も働いていて

その頃だってもちろん疲れていたのですが

今ほど自分の感覚に気づいていなかったので

疲れていても、辛くても

どうにかこうにか働けたのだと思います。

 

けれど、今は

自分の心の声や体の声を聞いて

自分がどう感じているのかに

「気づいている」ので、そこで

無理や我慢をさせることは

できなくなってしまいました。

 

 

 

 

私は、自分の感覚を信じ

心の声、体の声を聞いて

それに従いたいです。

 

また無収入になってしまいますが

これでいいと思っています。

 

この働いた約2年間は学びも多く

本当に貴重な体験をすることができました。

決して無駄ではなかったです。

 

 

 

今となっては

辞めることに迷いはなく

その先の新しい生活が楽しみです。

 

新しい扉が開く

そんな感じがして

少しワクワクしています。

 

 

 

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生きることがしんどい人へ

 

 

 

最近…というか

もう何年も前かららしいですが

若者の自殺が増えているそうです。

 

「将来に希望が持てない」

「生きることがしんどい」

と自殺してしまうのだそう。

 

 

 

 

 

私の長男も同じようなこと言っていました。

 

長男は今25歳ですが、ADHD

子どもの頃からイジメもありましたし

中学時代は不登校にもなりました。

 

高校は単位制高校に進み

大学は普通の私学に進みました。

 

もともと真面目なので

頑張って単位を取り卒業はできました。

 

でも、大学時代に就活が始まると

コロナというタイミングもあって

なかなか就活がうまくいかず

心が折れて動けなくなってしまいました。

 

 

 

 

 

その時に

「死にたいと思ってるんじゃなくて

生きなくてもいいという感じ。

ふとした時に

魔が刺して実行してしまうかもしれない。

それを周りの人が止めるのは

ほぼ不可能だよ。」

「笑顔を作ることができなくなったら

笑顔をやめるんじゃなくて

生きることをやめる。とにかく疲れた。」

と言いました。

 

 

 

 

 

長男はADHDという発達障害がありながら

支援学級に在籍したことはなく

幼稚園から大学卒業するまで

ずっと普通のクラスで

普通の子たちと同じことをやってきました。

 

それは、私が思っているよりも

遙かに大変なことだったのでしょう。

 

普通の子たちと同じになるために

頑張って頑張って、我慢して我慢して

それでもできない、虐められる

ということを繰り返して

生きることに疲れ果ててしまったのです。

 

 

 

就活で心折れた時に

「もし就職できたとしても

これから先何十年もまた頑張り続けるなんて

とても無理だ。これがずっと続くのなら

生きていくことはできない。」と言いました。

 

 

 

長男は「普通の子」を目指して

頑張り続けて燃料切れを起こしたのです。

 

障害があるのに普通になるなんて

どんなに頑張ってもやっぱり無理で

無理なのに頑張り続けたゆえの燃料切れです。

 

どんなに苦しかったでしょう。

本当にかわいそうなことをしたと

近くで見ていた親として反省しています。

 

 

 

でも、不登校の中学時代はともかく

他の小学校、高校、大学は

友達もたくさんいたし

笑顔で楽しそうに通っていたのです。

 

だから、全然気づかなかったのですが

笑顔で楽しそうにしているのも

頑張ってそうしていたのだな、と

今では思います。

 

長男の障害はほとんどわからないくらい

軽いものだったので、それが逆に周りの人に

「できるよね?」と思わせて

長男を苦しめてしまったのです。

 

だから、障害の大きさや

見た感じの印象で

その人の困難さや苦しみは

わからないものだと痛感しました。

 

やっぱり、きちんとその人と向き合って

話をじっくり聴いてみないと

その人のことは何もわかりません。

 

話を聴いても、本音を言うとは限らないので

基本、人のことは「わからない」と

認識しておいた方が、いろんな可能性に

開けている状態なのでいいと思いました。

 

 

 

長男は「普通の子」を目指し

自分以外のものになろうとして

潰れてしまいました。

 

もちろん私にも責任はありますが

それは絶対にやってはいけないことでした。

 

自分の希望、プライド、周りの期待、など

いろいろあるけれども

やっぱり自分は自分でいるしかできません。

 

自分以外のものになろうとすると

いずれ苦しさに潰れてしまいます。

 

自分をそのまま受け入れて

自分にできることをするしかないのです。

 

自分が苦しいと感じるなら

それは道を間違えているという証拠です。

 

自分が自分のままでいられたら

疲れることも、苦しいと感じることも

ないのですから。

 

 

 

 

 

私は、冒頭の長男の言葉を聞いて

長男の苦しみを知り

これから先の人生は、もう本当に

自分のままで、自分を愛して

幸せになってほしいと思いました。

 

長男が幸せなら、世間が何と言おうと

どんな形でもいいと思いました。

 

 

 

その後、長男は大学を卒業して

しばらく家でのんびりして

本人のタイミングで

近所のスーパーでバイトを始めました。

 

自分のペースでバイト生活を送っている時に

私は就労移行支援事業所で働き始めました。

(障害のある人の就労のお手伝いをする仕事)

 

その始めの研修で

事業所のパンフレットなどを持ち帰り

リビングで勉強していたら

長男が通りかかり、それを目にして

「へえーこんな場所があるんだ。

これなら行ってみてもいいな。」と言いました。

 

私は長男の精神科のドクターから

「就職のことなど

こちらから働きかけてはいけない」と

言われていたので、強く勧めず

「そうなんだね〜」くらいに流していました。

 

すると、何日かあとに、また

「そういう所(就労移行支援事業所)

行ってみたいな。」と言ったので

「じゃあ行ってみる?」と

就労支援を受けることにしました。

 

 

 

周りの意向や期待からではなく

本人が自分からそうしたいと言って

動き始めたので、それからはスムーズでした。

 

他の就労支援事業所を探して

(私の職場はお互いに気まずいので)

自分に合う所を自分で選び

そこに通い、訓練を受けて

スタッフに支えられながら就活をして

先日、就職が決まりました。

 

 

 

その職場には自分の特性をきちんと伝えて

配慮してほしいことも伝えてあるので

できるふりもせず、普通の人のふりもせず

ありのままの自分でいられます。

 

もちろん、実際に働き始めたら

何か問題は起きるかもしれませんが

その時は支援機関にも入ってもらって

一緒に考えていけたらと思います。

 

本当に難しいなら辞めてもいいし

私は長男の意思を尊重したいと思っています。

 

 

 

 

 

無理をしていたら幸せにはなれない。

自分のままで自分にできることはある。

自分が輝ける自分の居場所は必ずある。

 

私はそう信じています。

 

 

 

 

「将来に希望が持てない」

「生きることがしんどい」という人は

自分以外のものになろうとしていないか

振り返ってみてほしいです。

 

自分が、そのままの自分でいる時は

苦しくも、しんどくも、ないのですから。

 

 

 

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猫のテレパシー能力

 

 

 

私は猫を一匹飼っていて

この猫のことをとても可愛がっています。

 

 

 

猫は、私が外出して帰ってくる頃になると

ソワソワして鳴き始めるそうです。

 

そして、私が帰ってくるとまとわりつくので

私が抱っこしてヨシヨシしながら

「ただいまー帰ってきたよー

お留守番できたねーいい子だったねー」

と言うと満足して落ち着くのです。

 

 

 

猫や犬などが飼い主が帰ってくるのがわかって

玄関で待っているというのは

よくあることだと思うのですが

うちも私が玄関のドアを開けると

もうそこに猫がごろ〜んとなっています。

 

 

 

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猫は体内時計が正確で

飼い主の行動パターンを

読んでいることもあると思いますし

耳は人間の8倍良いらしいので

マンションの廊下を歩く足音や

もしかしたら自転車置き場に

自転車を停めているくらいから

気配を察知しているのかもしれません。

(うちはマンションの4階ですが)

 

 

 

でも最近、私が仕事で土曜日出勤になり

夫が家にいるということが増えて

猫が音や気配を察しているだけではない

のではないか?という話になりました。

 

夫が言うには、私がマンションに着く

もっと前から鳴き始めるそうなのです。

 

 

 

 

昔、子どもの頃

インコを飼っていたのですが

その子も私が学校から帰ってくる

少し前になると鳴き始めたそうです。

 

でも、それは

ランドセルに鈴を付けていたので

人間には聞こえない音でも

インコには聞こえていて

かなり遠く離れた場所に私がいる時から

鈴の音を聞いていて

私が帰ってくるとわかったのだと思います。

 

でも、今はそういう音の出るものは

持ち歩いていないですし

「え〜?どういうこと?不思議〜!」

と本当に不思議に思いました。

 

 

 

そこで、夫に

「猫が何時何分から鳴き始めるか

記録しておいて」と頼むことにしました。

 

そして昨日、夫が猫を観察して

猫がソワソワして鳴き始めた時間を

記録してくれたのです。

 

 

 

 

それによると、猫は

私が家に到着する6〜7分前に

鳴き始めたことがわかりました。

 

廊下を歩く足音を聞いたからでもなく

自転車置き場の気配を感じたからでもなく

もっと前から、家からかなり離れた所から

私が帰ってくるのを察知して

鳴き始めているのです。

 

その時間から考えてみると

私の仕事が終わって

買い物も終わって

荷物を自転車に積んで

「さあ、帰ろ」と家に向かう頃です。

 

私が自転車に乗って

家に向かって進み始めた頃。

 

不思議です。

なんでわかるんだろう?

私の意識が家に向くからだろうか?

 

 

 

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不思議に思ったので調べてみました。

 

すると生物学者

ルパート・シェルドレイクという人が

実験をしていました。

 

犬の実験でしたが、それによると

飼い主が「家に帰ろう」と

強く意識した瞬間に

犬はそれを察知し、所定の場所で

飼い主を待ち始めるそうです。

 

そして、猫も犬と同じように

飼い主の意識を察知できるそうです。

ただ猫の場合は察知していても

気ままにうたた寝したりして

自由に過ごしているらしいのですが…

 

 

 

これには本当に納得しました。

 

うちの猫がまさに

私が「さあ、帰ろ」と思った瞬間に

鳴き始めたのですから。

 

猫は(犬も)

物理的に離れていても

大好きな飼い主の考えていることを

テレパシーで受け取っているのです。

 

病院に連れていく時も

爪を切る時も

他のことを考えながら近づかないと

ダメですね。笑

 

 

 

 

そして、きっと

亡くなって肉体がなくなっても

それは同じなのだと思います。

 

思いは伝わっていると感じます。

 

お互いに大切に思っている

ご縁のある魂は

ずっとつながっているのです。

 

 

 

余談ですが

飼い主に愛された猫は

天国で名前を聞かれると

自分のことを「かわいい」と名乗るそうです。

 

うちの猫もそう思っているかも…?

毎日、かわいいかわいいと

言い続けているので。

 

 

 

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インナーチャイルドとのつながり

 

 

 

今日は久しぶりにインナーチャイルド

コミュニケーションを取りました。

 

 

 

 

ゆったりとソファに座って

目を閉じて、深呼吸を数回します。

 

落ち着いた雰囲気の部屋に

キレイなソファが置いてあるのを

イメージして、自分はその部屋にいます。

 

ドアに向かって

「◯◯ちゃん、もしよかったら

この部屋に入ってきてもらえませんか?」

と呼びかけます。

 

ドアが開き、小さな女の子が顔を出し

やがておずおずと部屋に入ってきました。

 

「私の前まで来てもらえますか?」

と近くまで来てもらい

「お話ししてもいいですか?」

と聞きました。

 

女の子がうなづいたので

「何か欲しいものある?」と聞くと

女の子は首を傾げて考える素振りをしました。

 

でも、答えは返ってきません。

 

「何かして欲しいことある?」

と聞いても同じでした。

 

「何かしたいことある?」と聞くと

猫を抱きしめている映像が浮かびましたが

女の子は何も言いませんでした。

 

 

 

 

女の子は、明らかに

いつもと様子が違いました。

 

まだコミュニケーション取り始めの頃は

ぎこちなく、よそよそしかったですが

繰り返し会っているうちに(イメージの中で)

段々と打ち解けていき

機嫌の良い時はニコニコして

飛んだりスキップしたり

くるくる回ったり踊ったりしていて

何か欲しい?など質問すると

「チュッパチャップス食べたい!」

「キラキラしたキレイな鏡が欲しい!」

「抱っこして!」「高い高いして!」など

自分の望みを教えてくれていました。

 

いつもなら、その望みを叶えてあげる

という流れです。

 

でも今日は、首を傾げて

「うーん…」と伏し目がちにしているのです。

 

 

 

 

 

私は、女の子とうまくコミュニケーションが

取れていないことに気づきました。

 

女の子がなんだか寂しそうで

悲しそうなのを感じ取り、女の子から

何かを聞き出そうとすることをやめました。

 

何かを聞き出したいという

こちらの思惑を完全に手放しました。

 

 

 

 

そして、ただ一緒にいようと思いました。

すると、女の子が私の膝の上に乗ってきたので

私は女の子を抱きしめました。

 

不安そうな、寂しそうな女の子を抱きしめ

「ごめんね」「愛してる」

「ごめんね」「愛してる」

「ごめんね」「愛してる」

と言い続けました。

 

 

 

 

思い返してみると、ここしばらく

女の子とは会っていませんでした。

最後に会ってから、もう数年…?

経ってしまったかもしれません。

 

ずいぶんとほったらかしてしまいました。

その間、ずっと

女の子は寂しかったのだと思います。

 

私は「ごめんね」という気持ちと

「愛してる」という気持ちでいっぱいで

女の子を抱きしめ続けました。

 

私が女の子に「愛してる」と言うと

自分の中からキラキラと愛が溢れ出て

涙が滲むほどの感動に包まれました。

 

それは言葉で言い表わすのが難しいほど

素晴らしい時間でした。

 

女の子の心も徐々に緩んできて

本当に幸せな優しいひとときでした。

 

 

 

 

もう今日は、こうして

女の子と一緒にいられたから充分だと思い

「今日は会ってくれてありがとう」

と女の子に言いました。

 

女の子は機嫌は良くなったようでしたが

「まだ帰りたくない」という感じがしたので

もう少し、女の子の気が済むまで

一緒にいようと思いました。

 

女の子は私の膝から降りて隣に座りました。

そして、私と手を繋ぎ

ぴったりとくっついてきました。

 

しばらくそうして座っていると

女の子が「私を忘れないで」と言いました。

 

「私のことを忘れないで。

私のことをいつも思い出していて。」

と言ったのです。

 

 

 

私は「ああ、そうだなぁ。

もう何年もずっと忘れていた。

それが悲しかったんだなぁ。」と思いました。

 

私は、自分の中の小さな女の子が

いつも、いつでも、一緒にいて

悲しんだり、寂しがったり

喜んで飛び跳ねたりしていることを

忘れないでいたいです。

 

何かをする時、何かを選ぶ時

自分の中の小さな女の子が

喜ぶ方を選択したいです。

 

それには、いつでもつながっていることが

大切なのだと思います。

 

 

 

 

私は、女の子のことを

いつでも忘れないと約束しました。

 

すると、女の子は安心して

部屋から出ていきました。

 

 

 

今日は

優しい時間を過ごすことができました。

 

 

 

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恐怖の正体

 

 

 

私はとても怖がりでした。

 

いつも私の中の小さな女の子が

怖くて怖くてガタガタと震えている

そんな感じでした。

 

夜中に、なんかわからないけど

不安で怖くて目が覚めるということも

よくありました。

 

 

 

 

 

私は何がそんなに怖いのだろう?

と不思議に思って

自分に聞いてみました。

 

何が不安?何が怖い?

 

 

 

すると、返ってきた答えは

「病気が怖い。死が怖い。孤独が怖い。

外が怖い。生活苦が怖い。未知が怖い。

ひとりなんて心細くて死にそうだ。

ひとりなんて怖い。この世の中が怖い。

安全じゃない。何が起こるかわからない。

事故、災害、犯罪に巻き込まれるかも。

人から攻撃されるかも。具合悪くなるかも。

誰も助けてくれないかも。ひとりで困るかも。

 

外が怖い。怖いから家にいたい。

怖いから動きたくない。

怖いから変わりたくない。

このままじっとしていたい。

怖くて不安だ。こんな怖い世界は嫌いだ。」

でした。

 

 

 

もしかしたら、幼少期に不安になった時

「大丈夫だよ」と抱きしめてもらえなくて

その不安が解消されないまま

どんどん積み重なって自分の中に溜まっていき

莫大な恐怖となっているのかもしれません。

 

だから「ひとりは怖い」

「誰も助けてくれない」という

言葉が出てくるのでしょう。

 

ひとりで生きられないし

誰も助けてくれないのに

何が起こるかわからない外の世界になど

危険すぎて出ていけないのもわかります。

 

 

 

そんな幼少期の体験とは別に

過去生で魂が体験した

戦争や暴力、迫害、虐待などの記憶が

残っているという気もします。

 

私は、とにかく

目立ちたくないという思いが強くて

それについても自分に質問してみると

(なぜ目立ちたくない?)

「目立つと見つかる」

(誰に?)「世間に」

(見つかるとどうなる?)「殺される」

という答えでした。

 

「見つかると殺される」と思っているので

怖くて外になど出たくないのです。

 

 

 

 

 

でも、幼少期の体験も

過去生の体験も、もう終わったことで

ただの記憶にすぎません。

 

今、私は本当に誰にも助けてもらえないのか

というとそうではありませんし

世間に見つかったら殺されるのかというと

そんなこともありません。

 

それは、今となってはただの記憶で

真実ではないのです。

 

 

 

私は、怖かった幼少期や

恐怖体験をした過去生の自分と

それぞれ対話して

それぞれ癒しました。

 

「怖かったね。でももう大丈夫だよ。

もうそれは終わったんだよ。

だから大丈夫なんだよ。

今は私が必ず守ってあげるからね。

私がずっと一緒にいてあげるからね。」

と自分を抱きしめました。

 

 

 

 

 

そうして、自分を癒したあと

自分が怖れていることに対して

「それは本当に起きるだろうか?

本当に起こっただろうか?」と

分析してみました。

 

実際には、怖れているような

事故も災害も犯罪も暴力もないのです。

 

厳密に言えば、小さな事故や

災害にも遭いましたが

今こうしているということは

乗り越えているのです。

 

小さな事故は怪我もなく

災害はガスが止まって不便しましたが

命に別状はなく

病気もしたけれど治療して元気になり

人から攻撃されることがあっても

命まで取られることはありませんでした。

 

人との関係で起こった嫌なことは

ほぼ100%気づきにつながっているので

自分にとってはむしろ

プラスの出来事でさえあります。

 

現実的にあったこれらのことが

私の人生を止めるほどの大変なことだろうか

と考えると、違うと言わざるを得ません。

 

これまで生きてきて

嫌な思いもしたし、心細い思いもしたけれど

大事にならずに無事に

今、私は生きています。

 

命は取られていません。

 

 

 

ここまで考えてみて

これら現実と、私の怖れの大きさは

釣り合いが取れていないのではないか?

大袈裟に怖がりすぎではないか?

頭の中で大きくなりすぎではないか?

 

私の怖れは幻想なのではないか?

と思いました。

 

自分の頭の中で大きく大きく育てて

漠然とした不安を巨大なモンスターに

してしまったのではないかと思いました。

 

 

 

 

私の不安と恐怖は幻想であり

妄想なのでした。

 

現実のものをありのまま評価するのではなく

相応しくない怖がり方をしているのです。

 

ただの影を

モンスターだと思い込んでいるのです。

私は、ただの影を怖れていたのでした。

 

 

 

 

そう気づいて、私は

それから不安と恐怖が上がってきたら

「これは影じゃない?」と

自分に聞いてみるようにしました。

 

そうして、落ち着いて不安と恐怖を見つめて

正体を見極め、現実のものと相応しく

正しい怖がり方をしようと思いました。

 

不安と恐怖で震えている女の子が

「怖い、怖い」と言ってきたら

抱きしめて

「大丈夫だよ。私が守ってあげるから。」

と安心させてあげました。

 

影を影だと見破って

自分の恐怖は幻想だと気づいたら

その時、不安と恐怖の幻想は終わります。

 

 

 

 

これからも不安と恐怖は上がってくるでしょう。

それは、人間でいる限り

死ぬまでなくなりはしないのでしょう。

 

でも、訳もわからず怖がるのではなく

正体を見極め、正しく怖がりたいです。

 

 

 

私は、この地球で

怖がって縮こまって生きたくありません。

 

この地球上でくつろいで

楽しく幸せに生きていきたいのです。

 

 

 

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繊細さはギフト

 

 

 

私は繊細な体質で

おそらくHSPなのだろうと思います。

 

それゆえに、なかなかにしんどく

人ごみ苦手、乗り物苦手、騒音苦手

暑さ寒さ苦手、高湿度、低気圧苦手

月の満ち欠けの影響を受ける

冬至夏至などの季節の影響を受ける、などなど

すぐ疲れ、すぐ体調崩し、体力もなく

みんなと同じことをするのは大変でした。

 

みんなが当たり前のように毎日やっていること

例えば、家事、子育て、仕事、レジャーを

みんなと同じようにはできなくて

自分のことを情けないと思っていました。

 

 

こんな自分が本当に嫌いで

「情けない。不甲斐ない。違う人になりたい。

元気な人に変わりたい。」と思っていました。

 

それでも、自分では頑張っていて

これが精一杯なんだと言っても

周りの元気な人にはわかってもらえず

「努力」「我慢」などのワードを言われると

本当に辛い気持ちになりました。

 

 

 

 

 

私は、自分の繊細さが嫌いでした。

繊細だから辛い思いをする。

繊細だから私は不幸だ。

繊細さは私の不幸の元凶だと思っていました。

 

でも、この状況は、自分に対する自分の態度が

周りの人と同じなのです。

 

つまり、私も自分のことをわかってなくて

受け入れてなくて、肯定していないのです。

 

周りの人が、私を理解してくれなくて

努力だの我慢だの言うのと同じように

私も真の意味で自分のことを

理解していないのでした。

 

 

 

 

 

繊細さが私に訴えていました。

本当の意味でわかって、肯定してほしい。

 

繊細さが悲しんでいました。

受け入れてほしい。嫌わないでほしい。

 

繊細さは、私から嫌われて悲しんでいました。

 

 

 

 

 

繊細とは、本当はどんな存在なのだろう?

どんな姿なのだろう?

 

「みんなと同じ」を目指している時は

繊細さは邪魔になりました。

じゃあ「人と同じにできなくてもいい。

自分のペースで生きていい。」としたら

繊細さはどんな存在なのだろう?

 

そう考えてみたら

繊細であることの魅力、メリットが

見えてきました。

 

 

 

・コミュニケーション能力が高い

・人に寄り添い優しくできる

・感受性豊か

・いろんなことを感じ、考えている

・それを表現する力がある

・直観が鋭い

・メッセージを受け取れる

・本質を見抜ける

・いろんな情報を受け取れる

・芸術的才能、文学的才能

・クリエイティブ能力

・思考、情緒的体験が豊か

・動物、植物などと仲良くできる

などなど。

 

 

繊細であるがゆえに

人を無闇に傷つけないでいられて

良い関係を築いて維持し、大切にされるし

 

日々いろいろなことを感じ、考えて

それをブログなどで表現できるし

 

様々なメッセージを受け取り

自分の心の声を受け取り

いろいろなことに気づくことができ

ものごとの本質を見ることができるのです。

 

 

 

繊細だから人から好かれ

繊細だから天のメッセージを受け取れ

繊細だから世界を豊かに体験できる。

 

そういう受容体であるのがこの体。

この感度のいい受容体である自分で

この美しい世界を感じ、味わって楽しむことは

神様からのギフトなのでした。

 

 

 

 

人を傷つけて

大切なことに気づけない人生が羨ましい?

 

繊細じゃない人は人の気持ちに疎いので

人を傷つけることがある。

そして自分の考えに固執して

大切なことに気づけず成長できない。

気づいていない世界を生きている。

 

その世界羨ましい?

私はちっとも羨ましくない。

そんなこと望まない。

 

私は、人に優しく寄り添って

共に心地よく笑顔でいたいし

世界からのメッセージやものごとの本質など

大切なことに気づいていたいです。

 

それが、私の豊かな世界。

豊かな人生です。

 

私は元気いっぱいになろうとしなくていい。

それを目指さなくていい。

私は、私のままでいるだけで

豊かで幸せでいられるのです。

 

 

 

 

 

ギフトはもうもらっていました。

繊細さは、いただいたギフトでした。

 

繊細さは、素晴らしい世界を

体験できる切符でした。

 

嫌うのではなく、よく理解して

この体が心地良いように過ごし

自分の魅力、自分のありのままを

表現していけばいいのだと思いました。

 

 

ダメでも、情けないのでもなく

本当は豊かで素晴らしい存在。

それが自分。

 

私は、みんなと同じにできないけれど

みんなと違っているけれど

自分なりの暮らし方

自分なりの生き方でいいのだと思いました。

 

 

 

「自分が欠点だと思っているところが

自分の魅力だ」と言われたことがあります。

 

本当にその通りでした。

 

自分は自分のままでいればいい。

そうすれば自分も周りも

幸せになるようになっているのです。

 

私は、この私のままで

気づいている豊かな世界を

生きていこうと思いました。

 

 

 

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体に優しいおやつ〜ココア(ローカカオ)

 

 

 

私が最近

夢中になっているものをご紹介します。

 

それは、ココアです!

 

 

 

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先日、体に優しいカフェで飲んだココアが

めちゃくちゃおいしい!!と思って

自分でも取り寄せてみました。

 

それがローカカオパウダー。

 

 

 

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私は、カフェで飲むまで知らなかったのですが

ローカカオはスーパーフードだそうですね。

 

 

 

ローカカオは純粋な生のカカオで

低温で加工したカカオのこと。

 

普通のココアやチョコレートは

高温で加工しているので

栄養素が損なわれているのですが

ローカカオは低温加工なので

カカオ本来の栄養素をそのまま

いただけるそうです。

 

含まれている栄養素としては

マグネシウム、カルシウム、鉄、亜鉛

ビタミンC、オメガ6系脂肪酸カテキン

ポリフェノール、フェニチルアミン

セロトニントリプトファン、他。

 

全部書くのがめんどくさいので

「他」としましたが、これ以外も

栄養素は豊富なようです。

 

上記栄養素を見てみても

体に与える効果はたくさんあります。

 

血圧、心臓などを安定させ

腸や肌の調子を整えて

抗酸化作用、ダイエット効果

アンチエイジングなどが期待されます。

 

また、ときめきホルモン

幸せホルモンと呼ばれる

フェニチルアミン、セロトニンなどは

ストレスから身を守り

ウキウキと気分を上げ

幸福感を感じられる作用があります。

 

 

 

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と、こんなこと書いてますが

私には本当はどうでもいいことなのです。

 

栄養があるから、とか

健康に良いから、とか

気分上げたいから、とか

そんなことではなくて

ただおいしいから飲んでいるだけなのです。

 

上に書いた栄養やら効能やらは

今調べました。笑

 

 

 

 

 

カフェでいただいたココアは

ローカカオ、オーツミルク、アガペシロップ

を混ぜたものでした。

 

アーモンドミルクが常備してあるので

私はアーモンドミルクで作ってみました。

 

作ると言っても混ぜるだけです。

 

ローカカオ    小さじ大盛り3杯

てんさい糖    大さじ2杯

アーモンドミルク 200ml

お湯       適量

(甘さ、濃さはお好みで変えてください。)

 

混ぜる時のコツは

材料をすべてカップに入れたら

ほんの少量のお湯を入れ

スプーンでぐるぐるぐるぐる

粉がなめらかになるまでよく練ることです。

 

なめらかになったら

また少量のお湯を入れ

スプーンでぐるぐるかき混ぜます。

 

そしてカカオがトロトロの状態になったら

アーモンドミルクを加えて混ぜて

出来上がりです。

 

まず少量のお湯でよく練ることで

粉がダマになるのを防ぎます。

 

 

 

温かいのがいい方は

アーモンドミルクを温めるといいですが

45℃以上になると

栄養素が壊れてしまうそうです。

 

また、牛乳などの乳製品と合わせると

損なわれる栄養素があるので

オーツミルク、ココナッツミルク

アーモンドミルクなどと合わせると

いいそうです。

 

 

 

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ローカカオで作るココアは

今までスーパーで買ってた純ココアと

本当に味が違います。

 

コクがあって、深みがあって

香りがいい。

つまり、とってもおいしいです!

 

 

ちなみに、ローカカオにも

カフェインは含まれていますが

普通のココアよりは少なくごく少量なので

お子さんや妊娠中の方でも

大丈夫だそうです。

 

私も基本的にカフェインはダメなのですが

このローカカオは大丈夫です。

 

 

 

なんだか癖になっていて

毎日のように飲んでしまっています。

 

やっぱり私も

飲んで幸福感を感じているのでしょうか。

 

確かに良い気分…ですが

それはおいしいから、と思っていました。

でも、もしかしたら

栄養素のおかげなのかもしれませんね?

 

おいしくて、体にも優しくて

栄養も豊富なんて

こんなにいいことはありません。

 

 

 

 

そんなローカカオに出会えたのは

新しくできたカフェに行ったからです。

 

始めに、勇気を出して

新しくできたカフェに行ったら

体に優しいカフェを教えてもらえて

 

体に優しいカフェに行ったら

ローカカオのおいしいココアに出会え

 

そのココアを家でも飲みたいと思い

自分で探して手に入れて

今、毎日おいしいココアが飲めます。

 

 

 

おもしろいなぁ、つながっているなぁ

と思います。

 

ものごとをつなげていく接着剤は

「行動すること」ですね。

 

行動すれば次につながっていく。

行動すれば次に広がっていく。

 

簡単な、だけど

とても大切なことだと思いました。

 

 

 

良いものとの出会い

良い人との出会いは

行動あるのみです♪

 

 

 

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