心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

いつも自分の外側ばかり見ている人

 

 

 

例えばですけど

自分が楽しくピアノを弾いて

誰かに聴いてもらおうと思った時

どんな人を呼びますか?

 

 

 

自分のピアノを聴きたいと思ってくれる人?

 

 

 

それとも

 

 

 

自分のピアノを聴いてほしいと思う人?

 

 

 

 

 

私は、断然、自分のピアノを

聴きたいと思ってくれる人でした。

 

私のピアノを聴きたいと

望んでくれる人に聴いてもらいたい。

そして、いい気分になって

喜んでもらいたい。

そんなふうに思っていたと思います。

 

それに、自分のピアノを聴いてほしいと思う人

というのが、「どういうこと?」と

ピンときませんでした。

 

 

 

 

 

これは、私がいつも

自分の外側を見ていて

自分を信頼していなかったからです。

 

 

 

いつも自分の外側ばかり見ている人は

自己完結ができません。

 

自己完結とは、すべて自分自身で考え

納得して決断することです。

 

いつも自分の外側を見ている人は

誰か他者がいて、その人が

喜んでくれるか、笑顔になってくれるか

反応が大切で、それを含めて

自分が成り立っています。

 

自分の行いは

人の反応によって変わります。

まず人ありきです。

 

自分の中は空っぽで

主体的に行動することができず

自分のことを、自分が全責任を負って

決断することができません。

 

だから、自分のピアノを

相手が聴きたいと願ってくれたら

その人に聴いてもらいたいのです。

 

 

 

 

 

 

反対に、自分のピアノを

聴いてほしいと思う人を呼ぶというのは

自分の行いは自分の望みによって

決めています。

 

「自分が」この人に聴いてもらいたい

と思う人を呼びたいのです。

 

その人が自分のピアノを聴きたいか

聴きたくないか、それは問題じゃないのです。

 

「自分が」聴いてほしいのです。

 

 

 

それは、自分の心を羅針盤にした在り方です。

自分がどうしたいか?が行動の動機です。

 

こういう人は、自分の外側を見るのではなく

いつも自分の内側、自分の心を見ています。

 

自分の心が何を望んでいるのか?

自分はどうしたいのか?

それが大事で、常に主体的です。

 

そして、自分のことは

自分が全責任を持って、自己完結しています。

自立している人とも言えます。

 

 

 

 

 

私は、このことを知った時

目から鱗が落ちました。

当時、自分では、自分に集中しようと

心がけてる時で、やっているつもりでした。

 

なのに、まだ全然、めちゃくちゃ

外側に意識を持っていかれてたのです。

 

めちゃくちゃ人の機嫌気にしてるじゃん!

めちゃくちゃ外側見てるじゃん!

とびっくりしました。

 

 

 

私は、外側ばかり見て、自分自身が

疎かになっていることに気づきました。

 

外側の人の意向を気にして

外側から正解や情報を得ようとばかりして

自分の意向、自分の気持ちは

あまり確認しない。

 

自分を信用してない。

自分を大切にしてない。

自分と繋がっていない。

これが私の在り方でした。

 

 

 

本当に、外側はどうでもいいのです。

自分が喜ぶかどうかなのです。

 

やりたいことをやる。

やりたくないことはやらない。

シンプルにこれなのです。

 

その時、自分の喜びを増やしてあげることが

今一番大切なやることなのだと悟りました。

 

 

 

私は、それまで自分を粗末にして

無視してきたことを自分に謝りました。

 

そして「自分のことは自分の心が決める」

と、心に刻んだのでした。

 

 

 

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