心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

信じるのは私の意志

 

 

 

私は、以前

自分のことを全く信じてなくて

自分が考えつくことなんて

きっと間違っていると思っていた。

 

だから、どうすればいいのかわからない時は

自分以外のお手本になるような

人の言うことを参考にしていた。

 

私はずっと、自分以外の何かに依存していた。

 

 

 

 

そうやって、依存していた頃は

心は安定して気分良かった。

 

ネガティブになっても

すぐにまたポジティブになれた。

今思えば、それは

表面上のポジティブだったけれども。

 

 

 

依存していた頃は

本当に心は平穏だった。

 

子どものように

自分のことは誰かが何とかしてくれると

信じていたのだから。

 

 

 

 

 

でも、ある時

そんな自分の依存した在り方に気づいて

私は、人の言うことを信じるのをやめた。

 

自分のことを人に決めてもらうのをやめた。

 

 

 

 

すると、人に寄りかかることもできないけど

自分のこともまだそんなに信じられなくて

途端にこの世が怖くなった。

 

元気がなくなり、気力がなくなり

気分は下がったままになった。

 

こんなことなら

無邪気に人に依存していた方が

よっぽど楽で平穏だと思った。

 

 

 

けれど、もう人の言いなりにはならない。

人には依存しない。

そう決めた。

 

 

 

私はいつまでこうしてウダウダしているの?

このままずっと

底の方で沈んでいるつもりなの?

 

 

 

私は誰を信じたらいいの?

 

 

 

 

 

そんな状態のある朝

起き抜けに心に浮かんだことがあった。

 

 

「私の意志がリーダーだ!」

 

 

信じるのは、私の意志。

信じるのは、私の意識。

 

私の意志が私の体を動かす。

私の意識が私の世界を創っている。

 

そのことを自覚するのだ。

 

 

 

意識が先にある。

意識からすべてスタートする。

意識がすべてを創っている。

 

私は意識だ。

私は意識という存在だ。

 

そのことをいつもわかっていようと思った。

 

 

 

 

例えば、体の調子が良くない時に

前向きに何かやろうとしても

なかなかポジティブにはなれない。

 

それは当たり前のことで、そんな時は

意識がきちんとリーダーシップをとって

体を労わり、休ませて

体が喜ぶことをしていけばいい。

 

意識が体を動かすのだ。

だから、意識が体を大切に思い

労わるなり、休ませるなり

どうするのか決める。

 

 

意識が、体と一体化してしまって

その存在感を失うと

体と一緒にブルーになって

ウダウダしてしまうのだ。

 

だから、いつも自分の意識を

際立たせていることが大切。

 

「意識的である」

「主体的である」ということが大切。

 

意識と体はしっかり分けて

意識がすべての

スタート地点だということを忘れずにいる。

 

 

 

 

私のリーダーは、私の意識。

信じるのは、私の意志、意識。

 

正しい答えは

自分の外側にはないのだから。

 

 

 

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