心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

できること、できないこと

 

 

 

テレビで、いろんな背景のある人の

支援をする人のドキュメンタリーを

よく観ます。

 

さまざまな障害や犯罪歴のある方

ホームレスや頼る家族のない若者など

困っている人はそれぞれに

壮絶な困難さを抱えています。

 

 

 

そんな方々に手を差し伸べ

一生懸命に支援している人たちがいます。

 

支援される側の人たちも

相当な痛みを負っているので

苦しんでいて、それゆえに

支援者に向けて暴言を吐いたり

刃物を向けたり、裏切ることもよくあります。

 

それでも、支援する人は支援をやめず

どこまでも助けようとするのです。

 

 

 

 

 

そういう支援者を見ると

本当にすごいなぁと

頭が上がらない気持ちになります。

 

そして、「私には無理だな」と思うのです。

 

 

 

以前、人の話を聴き続けただけで

エネルギーをごっそり取られ

体調を崩してしまったことがあり

人にエネルギーをごっそり取られるような

しんどいことはできないなぁ、と。

 

この時は長期間コンスタントに

タダで長時間話を聴き続けて

疲れが蓄積されていったので

特にしんどく体調を崩してしまいました。

 

その時以来、私は人のために

できないこともあると自覚しています。

 

 

 

でも世の中には、しんどい人に

たくさんのエネルギーを与えられる人もいて

そんなタフな人を見ると

「私にはできない。

私は自分のことで精一杯だ。と

心がざわざわしていました。

 

私も支援の仕事をしているので(いたので?)

そんな自分に罪悪感のようなものを

感じていました。

 

 

 

 

 

でも、ふと思ったのです。

 

タフな人がそれをできるからといって

同じことを私もしなければいけないのだろうか?

 

タフな人がそれをできるのは、それが

タフな人たちのやるべきことだから

なのではないか?

 

私がそれをできないと思うのは

私がやらなくていいことだからなのでは?

 

私には、私のできることがある。

私のできることは、もしかしたら

タフな人たちにはできないのかもしれない。

 

だから、人と比べて

「自分はできない。自分はためだ。」と

思う必要などないのだと思いました。

 

 

 

 

 

私は、私のやり方で

私にできる方法で

世の中に貢献していけばいいのです。

 

(貢献しようとしなくてもいい。

自分のままであれば貢献してしまうから。)

 

私にできないことは

できる人にお任せすればいい。

 

そこに優劣はありません。

 

みんなそれぞれに

自分の個性を生きればいいのだと思いました。

 

 

 

 

 

誰にでも、できることとできないことが

あると思います。

 

そこで、できないことを

できるようになろうとすると

苦しくなります。

 

それは、自分のできないことが

できる人の活躍の場を奪うことにもなります。

 

だから、できないことはできないままにして

できる人にやってもらい

自分はできることをやる、というのが

世の中が丸く収まる在り方なのです。

 

 

 

できないことを「できない…」と

落ち込むことはよくあると思いますが

その落ち込みは無駄なのかも?

 

「自分にできることをやっていればいい」

とよく言われますが

本当にそうなのですね。

 

自分ができることをやって活躍していれば

丸く収まるようになっているのです。

 

 

 

世の中のみんなが、自分のままで

自分を表現していればいいのだと思います。

 

 

 

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