心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

自分を卑下すると人からバカにされる

 

 

私は、今まで

心理学講座、カウンセラー養成講座

家族相談士資格認定講座など

様々なセミナーを受講してきました。

 

 

 

カウンセラー養成講座や

家族相談士資格認定講座は、もうすでに

人を支援する仕事をしている人たちが

スキルアップするために来ていました。

 

小中高の教師、就労支援の人、保育士

キャリアコンサルタント、看護師、介護士

少年の更生に携わっている人、保育園経営者

専門学校教師、福祉施設職員、などなど。

 

 

 

そんな中、専業主婦は私ひとりでした。

 

 

 

このような講座で学んでいると

グループになってワークをする機会が

よくあるのですが、その時に、たまに

「専業主婦は見下される」

「専業主婦はバカにされる」

「専業主婦は相手にされない」

と、感じることがありました。

 

 

 

言葉の端々に

「ちゃんと仕事をしているとこうなんだけど

あなたにはわからないでしょうね」

というような見下す気持ちが現れていたり

 

ワークの話し合いの場面で

全然意見も聞かれず、相手にされず

まるでいないように扱われたり

 

自由に3人一組になる場面で

誰も組んでくれなかったりしました。

(これは何度も!)

 

 

 

私は「みんな、キャリアのない私からは

何も学ぶことがないと思って

空気のように扱うんだな」と思いました。

 

そして、「やっぱり専業主婦なんて

何の役にも立たない。価値がない」

と思いました。

 

 

 

 

 

 

そんなある日、朝起き抜けに

こんな言葉が浮かびました。

 

 

「鏡は寸分違わず私を映す。

鏡に映ったこの部分は私だけど

この部分は私じゃない、ということはない。

鏡に映ったのは、すべて私なのだ」

 

 

 

自分の目の前に映る人、起こる出来事は

自分の心の内側の投影だと言われます。

 

自分の外側の世界だと思っていることは

実は、自分の心を映し出したものなのです。

 

心はとても深くて、自分では

なかなか全部は把握できません。

その把握できない心の中のものを(潜在意識)

見せてくれているのが

目の前に広がる世界なのです。

 

 

 

「そんなのウソだ。

自分はそんなこと思ってない」と思っても

当たり前です。

 

自分では把握できない領域のものが

映し出されているので

自分には全く身に覚えがないというのは

当たり前なのです。

 

目の前の出来事と自分は関係ないと思わず

「全く自覚できないけれど、自分の中に

そんな部分もあるのかもしれないな」

くらいに緩く捉えると

世界の見え方が変わってきます。

 

 

怒る人にばかり会うのなら

自分の中に怒りが溜まっていることを

教えてくれているし

同じような嫌な目に遭うのなら

そのことから自分を苦しめる間違えた観念が

自分の中にあることを教えてくれています。

 

なので、自分の外側の世界を

「あの人が悪い」「あの人が間違っている」

「世の中が変わらない」「世の中のせいだ」

と見るのではなく

 

「自分のどんな部分が

これを映しているのだろう?このことから

何を教えてくれているのだろう?」

と見ると、生きづらさの原因になっている

自分の思い込みに気づけて

それを手放すことができます。

 

 

そうして、ひとつ思い込みを手放すと

確実に、ひとつ分生きやすくなります。

 

よく「世界は自分を映し出す鏡だ」

と言われますが、そういうことなのです。

 

 

 

 

 

 

私の中にあった

「鏡は寸分違わず私を映す」という言葉は

その時の私に対するメッセージです。

 

私は

「ほら、やっぱり専業主婦はバカにされる」

と思って悔しく思っていましたが

それは、世界が

専業主婦をバカにしているのではなく

私自身が「専業主婦なんてそんなもの」

と、自分でバカにしていたのです。

 

(鏡の中の自分は先に笑わない。

先に笑うのはいつでも自分の方です)

 

私が「専業主婦は無能だ」と思っているから

その思いを表現してくれる人が

目の前に現れたのです。

 

 

 

メッセージは

「世界に映っていることは全部自分だよ。

嫌な部分も全部自分自身なんだよ。

あなた自身が自分をバカにしているんだよ」

と教えてくれました。

 

 

 

 

私自身が「専業主婦だから」と

自分を卑下していたのです。

自らを下に置いていたのです。

 

鏡は、私の中にある「区別」「差別」

「劣等感」を映してくれただけでした。

 

 

 

 

 

私は、改めて専業主婦という

自分自身のことを振り返ってみました。

 

私は、専業主婦だった19年間(その当時)

何もしてこなかったのでしょうか?

 

決してそんなことはありません。

私は、自分と向き合い、出来事と向き合い

大切なことにひとつひとつ気づいてきました。

 

以前とは別人のように進化してきたのです。

人間として、大切なことに

必要なことに気づいてきました。

 

キャリアは積んでいないけれど

人間として学びを積んできたのです。

 

それは、私の厚みとなっている宝です。

 

 

 

すべての学びに優劣はない。

すべての経験に優劣はない。

 

 

 

私が、自分を敬わなければなりません。

私自身が「専業主婦だから…」などと

言ってはいけないのです。

 

 

私は、人生をきちんと学んできた。

それを認めてあげようと思いました。

 

 

 

 

 

このことに気づいてからは

あからさまにバカにされていると

感じることはなくなりました。

 

周りの同志たちが、私の積んできた

様々な経験を興味を持って聞いてくれ

私は尊重されるようになりました。

相談されることすらありました。

 

やっぱり世界は自分次第なのです。

 

 

 

 

世界という自分の鏡が

そのことを教えてくれました。

 

世界は

寸分違わず私を映し出す鏡なのです。

 

 

 

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