心のままに〜生きづらさの克服

毒親育ちのアダルトチルドレンが自分を救ってきた日々

今あるものはすべて自分が選択したもの

 

 

 

私は専業主婦なのだけれど

専業主婦だと

何かの研修やセミナーに参加した時など

相手にされなかったり

見下されたりすることがある。

 

特に専門家が集まる勉強会などはそうで

私はそういう体験をすると

いつもモヤモヤしていた。

 

そして、私もキャリアが欲しいと思ったり

それがないことを嘆いたりした。

 

 

 

 

でも、自分の過去を振り返ってみると

私は子育て中に仕事もするなんて

とてもじゃないけど無理だった。

 

体力的にも心理的にも

家事と子どものことで手一杯だった。

 

二人の子どもに発達障害があるので

手がかかったというのもあるし

私自身の体力がないというのもある。

 

 

 

でも、どんなに大変でも、子育て中でも

本当に仕事をしたい人はする。

 

それをしなかったのは

私がそれを選ばなかったからだ。

 

私はキャリアを捨てた。

 

 

 

その代わりに私が得たものは

子どもや自分としっかり向き合う時間。

 

私は、キャリアを捨てたから

子どもとしっかり関わる時間を確保できた。

 

キャリアを捨てたから

自分としっかり向き合って

自分をここまで癒すことができた。

 

 

 

キャリアを捨てて

私は、自分と子どもと家を取った。

 

それは、私の選択なのだ。

私がそれを選んだのだ。

 

今になって、キャリアがないことや

仕事を持たない専業主婦であることを

「ない、ない」と嘆いたり

専業主婦だからバカにされたり

軽く扱われることを気にしても

しょうがないのではないか?

 

それは、私が捨てたものなのだから。

「ない」ことを選んだのは私なのだから。

 

「ない」は当たり前で

それに付随して起こることも

私が受け取らなくてはならないものなのだ。

 

仕方のないことなのだ。

 

 

 

 

 

人生は取捨選択の連続。

 

私は、自分にとって

一番大切だと思ったものを選択してきた。

 

自分の幸せ、子どもの幸せ、家を選んだ。

 

 

 

そうして得たものがたくさんある。

「ない」だけではない。

 

「ない」と同時に「ある」がたくさんある。

だから、これでいいのだ。

 

 

 

 

 

今だって

大変な仕事を無理してすることは選ばず

家でゆっくり猫や植物と過ごす時間を

自分で選んでいる。

 

 

今、自分の周りにあるもの

自分を取り巻く環境は

すべて自分が選択したもの。

 

「そうするしかなかった」

「ほかに選択の余地がなかった」などと

思うかもしれないけれど

それも自分が選んだのだ。

 

人と対立しなくて済む「安全」や

自分が変化しないでいられる「平穏」や

変に思われたくないという「評価」など

必ず自分にとってのメリット

得ているものがある。

 

本当に選ぼうとすれば

人は何だって選べる。

 

それを選ばないのは

選べないのではなくて

自分が「選ばない」を選択したからなのだ。

 

 

 

今あるものはすべて自分の選択。

自分の選択の結果なのだ。

 

 

 

選ばなかった方、捨てた方のことを

「ない、ない」と嘆くのは

やめようと思った。

 

それを捨てたのは自分だ。

 

 

私は、今、自分の選択を誇りに思っている。

 

 

 

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